初田牛駅
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| 初田牛駅 | |
|---|---|
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駅舎(2018年9月) | |
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はったうし Hattaushi | |
![]() | |
| 所在地 | 北海道根室市初田牛340番地5 |
| 所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
| 所属路線 | 根室本線(花咲線) |
| キロ程 | 406.0 km(滝川起点) |
| 電報略号 | ウシ |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 1面1線 |
| 開業年月日 | 1920年(大正9年)11月10日 |
| 廃止年月日 | 2019年(平成31年)3月16日 |
| 備考 | 無人駅 |
初田牛駅(はったうしえき)は、かつて北海道根室市初田牛に所在した北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線(花咲線)の駅(廃駅)である。電報略号はウシ。事務管理コードは▲110449[1]。 廃止前までは上下1本の普通列車が当駅を通過していた。
駅名の由来

- 1920年(大正9年)11月10日:鉄道省釧路本線(→根室本線)厚床駅 - 西和田駅間延伸に伴い開業、一般駅[2]。
- 1944年(昭和19年)12月2日:駅舎改築[3]。
- 1962年(昭和37年)12月9日:同日付で車扱貨物・集荷配達の取り扱いを廃止[3][4]。
- 1964年(昭和39年)4月1日:業務委託駅に変更[3]。
- 1971年(昭和46年)10月2日:貨物・荷物取扱い廃止し旅客駅となる[5]。同時に無人化[3][6]。
- 1972年(昭和47年)4月:隣の厚床駅まで通学する地元中学生のために、釧路行き貨物列車を臨時停車させ、車掌車に便乗しての乗客取り扱いを開始(取り扱い終了時期不明)[7]。
- 1977年(昭和52年)10月24日:駅舎改築竣工[3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)へ移管[8]。
- 2018年(平成30年)
- 2019年(平成31年)3月16日:同日実施のダイヤ改正に合わせ、利用者減少に伴い廃止[JR北 1]。
地名より。当地を水源とする川の名称ともなっている。山田秀三によるとアイヌ語に由来する以下の2説があり、いずれも永田方正『北海道蝦夷語地名解』から紹介している[11]。
- 「ブドウ・採る・いつもする・ところ(川)」を表す「ハッタウㇱイ(hat-ta-us-i)」から[11]。
- 「淵が・ついている・もの(川)」を表す「ハッタㇻウㇱイ(hattar-us-i)」から[11]。
山田はこの2説について「どっちが正解なのかは今となっては分からない」としつつ、「古い松浦図[注釈 1]は『ハッタウシ』なので」ということを踏まえて「hat-ta-us-i」説を支持した上で、初田牛川の付近を流れる「和田牛(わったらうし)川」のアイヌ語名とされる「オワタラウㇱイ(o-watara-us-i)[注釈 2]」と相互に混合があったのではないか[注釈 3]、と推測している[11]。
なお、他文献では駅名・地名の由来は以下のように紹介されている。
廃止当時の駅構造
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
| 年度 | 乗車人員(人) | 出典 | 備考 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
| 1978年(昭和53年) | 10 | [15] | |||
| 1979年(昭和54年) | 2,410 | (6.6) | [16] | ||
| 1980年(昭和55年) | 2,200 | (6.0) | |||
| 1981年(昭和56年) | 2,160 | (5.9) | |||
| 1992年(平成4年) | (4.0) | [17] | 1日平均乗降客数8人 | ||
| 2015年(平成27年) | 「1名以下」 | [JR北 2] | |||
| 2016年(平成28年) | 0.2 | [JR北 3] | |||
| 2017年(平成29年) | 0.2 | [JR北 4] | |||
駅周辺

待合室は北海道道1127号初田牛厚床線から分岐する砂利道の先に位置した。森の中にあり、付近に初田牛地区の集会所があるが民家は疎らである。駅裏には北海道道142号根室浜中釧路線付近へ至る道路があるが、渡線路などは設置されていないため迂回が必要であった。なお、この付近は霧の発生が比較的多い場所であり、駅付近には防霧保安林が設けられている[18]。
駅跡については、廃止前の2018年11月15日に初田牛地区で行われた住民説明会の席上で、住民側から「モニュメント的なものの設置」が要望され[10]、その後沿革などが記された記念看板が設置されている[19]。
