厚床駅
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| 厚床駅 | |
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駅舎(2018年9月) | |
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あっとこ Attoko | |
![]() | |
| 所在地 | 北海道根室市厚床 |
| 所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
| 所属路線 | 根室本線(花咲線) |
| キロ程 | 262.6 km(新得起点) |
| 電報略号 | アト |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 1面1線 |
| 乗降人員 -統計年度- |
20人/日 -2014年- |
| 開業年月日 | 1919年(大正8年)11月25日 |
| 備考 | 無人駅 |
| 厚床駅 | |
|---|---|
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標津線記念看板(2018年9月) | |
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あっとこ Attoko | |
| 所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
| 所属路線 | 標津線(支線) |
| キロ程 | 47.5 km(中標津起点) |
| 駅構造 | 地上駅 |
| 開業年月日 | 1933年(昭和8年)12月1日 |
| 廃止年月日 | 1989年(平成元年)4月30日 |
厚床駅(あっとこえき)は、北海道根室市厚床にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線(花咲線)の駅である。電報略号はアト。事務管理コードは▲110448[1][2]。かつては標津線(厚床支線)の分岐駅であった。
駅名の由来

- 1919年(大正8年)11月25日:鉄道院釧路本線(→根室本線)厚岸駅 - 当駅駅間延伸に伴い開業[3][4]。根室支庁(当時)で初の鉄道駅となる。釧路機関庫厚床駐泊所設置[5]。
- 1920年(大正9年)11月10日:当駅 - 西和田駅間延伸開業に伴い[6]、途中駅となる。
- 1925年(大正12年):殖民軌道根室線として、当駅前 - 標津駅間が開業。
- 1928年(大正15年)9月:2年前に退職した元・当駅駅長、田中多三郎に構内営業が許可され、田中屋開業[7]。
- 1933年(昭和8年)
- 1937年(昭和12年)10月30日:厚床駐泊所が釧路機関区厚床支区となる[5]。
- 1940年(昭和15年)1月:田中屋により駅弁「ほたて弁当」発売開始[7]。
- 1958年(昭和33年)10月1日:釧路機関区厚床支区を廃止[5]。
- 1961年(昭和36年)3月:構内より明治乳業工場へ専用線敷設[8]。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)10月30日:駅舎(2代目)が竣工[9]。
- 1969年(昭和44年)2月1日:標茶機関区厚床派出所設置[5]。
- 1979年(昭和54年)7月15日:貨物の取り扱いが終了[5]。
- 1982年(昭和57年)11月1日:標茶機関区厚床派出所が厚床駐泊所となる[5]。
- 1983年(昭和58年)4月1日:標茶機関区厚床駐泊所を廃止[5]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物の取り扱いが終了[5]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:運転取扱要員のみ配置[5]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[10]。
- 1988年(昭和63年)9月:田中屋が駅弁「ほたて弁当」の駅売りを中止[7]。
- 1989年(平成元年)
- 1995年(平成7年)9月1日:駅業務の簡易委託が終了し、無人駅となる。
- 2000年(平成12年):同年夏の青春18きっぷポスターの撮影地に採用[12]。
- 2016年(平成28年)3月26日:ダイヤ改正による減便に伴い、2番線が廃止。当駅は棒線駅となり、列車交換が行われなくなる[新聞 1]。
所在地名より。アイヌ語の「アットゥクト(at-tuk-to)」(オヒョウニレ・伸びている・沼)に由来するとされる[13]。
駅構造
かつては単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する列車交換可能な交換駅であった。駅舎側単式ホームの1番線が根室本線の下り本線、島式ホーム内側の2番線が標津線、外側の3番線が根室本線の上り本線で、互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム西側を結んだ構内踏切で連絡していた。さらに、1963年(昭和38年)時点では3番線の外側に貨物側線を3線有していた[新聞 1]。標津線廃止の際に2番線の線路が撤去され単式ホーム2面2線となり、3番線(根室本線の上り本線)は2番線に改称された。なお貨物側線の撤去時期は不明である。その後2016年(平成28年)3月25日までは、当駅にて行き違いがある場合のみ、釧路方面行上り列車が2番線(旧3番線)を使用していたが[新聞 1]、翌26日のダイヤ改正に伴う減便で、当駅構内は単線での運用となった。現在は2番線(旧3番線)の線路及びホームは残っているものの、構内踏切跡の階段部分に蓋がされ立入禁止となっている[新聞 1]。棒線駅ではあるが、場内信号機や出発信号機は存在し、閉そく境界としては機能している。
現在の駅舎は1989年(平成元年)の標津線廃止後にバス待合所兼用として建て替えられたものであり[14][15][11]、窓口は根室交通厚床案内所として営業していたが、現在は営業休止となっている。標津線廃止と同時の簡易委託化によりJR乗車券の発売も行っていた。

- ホーム(2018年9月)
- 2番線および構内踏切跡(2018年9月)
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
戦前は馬市で活気づき、根室管内全域の馬が集まるほどだった。戦後、軍馬の需要がなくなると、酪農が台頭し1960年代は毎年約20万人が乗降するにぎわいを見せた[新聞 1]。
| 年度 | 乗車人員(人) | 出典 | 備考 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
| 1978年(昭和53年) | 112 | [16] | |||
| 1979年(昭和54年) | 43,497 | (118.8) | [17] | ||
| 1980年(昭和55年) | 42,550 | (116.6) | |||
| 1981年(昭和56年) | 42,022 | (115.1) | |||
| 1982年(昭和57年) | 40,644 | (111.4) | |||
| 1983年(昭和58年) | 35,420 | (96.8) | |||
| 1984年(昭和59年) | 33,698 | (92.3) | [18] | ||
| 1985年(昭和60年) | 29,858 | (81.8) | |||
| 1986年(昭和61年) | 31,465 | (86.2) | |||
| 1987年(昭和62年) | 22,776 | (62.2) | |||
| 1988年(昭和63年) | 24,146 | (66.2) | |||
| 1989年(平成元年) | 24,681 | (67.6) | [19] | 同年度4月30日で標津線廃止 | |
| 1990年(平成2年) | 22,265 | (61.0) | |||
| 1991年(平成3年) | 18,323 | (50.1) | |||
| 1992年(平成4年) | 14,533 | (39.8) | |||
| 1993年(平成5年) | 13,870 | (38.0) | |||
| 1994年(平成6年) | 13,140 | (36.0) | [20] | ||
| 1995年(平成7年) | 6,570 | (18.0) | |||
| 1996年(平成8年) | 5,724 | (15.7) | |||
| 1997年(平成9年) | 6,300 | (17.3) | |||
| 1998年(平成10年) | 6,387 | (17.5) | |||
| 1999年(平成11年) | 4,380 | (12.0) | [21] | ||
| 2016年(平成28年) | 12.4 | [JR北 1] | |||
| 2017年(平成29年) | 12.8 | [JR北 2] | |||
| 2018年(平成30年) | 10.6 | [JR北 3] | |||
| 2019年(令和元年) | 9.0 | [JR北 4] | |||
| 2020年(令和2年) | 6.6 | [JR北 5] | |||
| 2021年(令和3年) | 7.6 | [JR北 6] | |||
| 2022年(令和4年) | 7.2 | [JR北 7] | |||
| 2023年(令和5年) | 6.8 | [JR北 8] | |||
| 2024年(令和6年) | 5.8 | [JR北 9] | |||


駅周辺
バス路線
その他
駅弁
かつて駅前の「田中屋」が1940年(昭和15年)から1988年(昭和63年)まで当駅構内で「ほたて弁当」(ホタテ干し貝柱出汁の炊き込みご飯)を製造販売していた[新聞 1][7]。駅での販売が中止されたのちも、駅前の「佐々木商店」で取り扱われていたが、2006年に販売終了となった。2012年には、7月21日から8月31日に運行された臨時列車「快速 北太平洋 花と湿原号」の当駅停車に合わせて、「ビーフサンダーマウンテン駅弁」が期間限定販売された。当駅から約2.5km北にある「明郷伊藤☆牧場」が製造販売を行い、快速運行時間以外でも予約することで牧場内で購入可能だった[23]。
すずらん贈り
当駅に関わる根室市立厚床小中学校の伝統行事であり、例年6月上旬に同校生徒から列車の窓越しに乗客にスズランの花が手渡される。
昭和30年代の北海道観光ブームを受けて北海道庁が提唱した「観光客を親切に迎える運動」に呼応して、1964年(昭和39年)に当時の厚床中学校校長と生徒会が厚床駅長に掛け合って始まった。スズランを贈ることになった経緯は、近くの原野に自生するスズランが、「本州からのお客さんに最高の贈り物になるだろう」との考えからであった[7]。
初回の1964年(昭和39年)6月9日は上り準急「第一ノサップ」の乗客に同校生徒会が前日放課後に近くの原野で採取したスズラン100株を窓越しに乗客に手渡し、同年は6月下旬まで続けられた[7]。
その後も2025年(令和7年)現在に至るまで取り組みは継続されている[24]。
