創価大学硬式野球部
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- 1971年(昭和46年)同好会として創部。
- 1974年(昭和49年)より、東京新大学野球連盟に加盟。2部リーグに所属[1]。
- 1975年(昭和50年)春季2部リーグで優勝し、秋季より1部リーグに昇格[1]。
- 1977年(昭和52年)春季1部リーグで初優勝。同年の全日本大学選手権(第26回大会)に初出場し、準決勝で優勝した3年石毛宏典らを擁する駒沢大に1-2で敗退したが、ベスト4を記録した[1]。
- 1984年(昭和59年)春季リーグ戦から岸雅司が監督に就任。
- 1990年(平成2年)春季リーグ戦優勝。続く第39回全日本大学選手権準決勝で優勝した小池秀郎や高津臣吾ら4年生投手陣擁する亜細亜大に0-3で敗退。
- 1995年(平成7年)秋季リーグ戦優勝後、明治神宮大会(第26回大会)に初出場し、準々決勝で1年二岡智宏らを擁する近畿大に0-1で敗退したが、ベスト8を記録[1]。
- 1995年(平成7年)のドラフト会議で、武藤孝司が近鉄バファローズから3巡目で指名され入団。初のプロ野球選手となった。
- 1997年(平成9年)秋季リーグ戦優勝。第28回明治神宮大会準決勝で真木将樹や伊達昌司ら4年生投手陣擁する法政大に0-3で敗退。
- 1999年(平成11年)秋季リーグ戦で優勝。第30回明治神宮大会初戦2回戦の青山学院大戦では、創価3年持田裕樹・4年清水勝弘両投手と青学2年石川雅規投手との延長18回1-1引き分け再試合を持田 - 清水の継投も青学3年亀谷洋平の完封により0-1(8回日没コールド)で敗退[2]。
- 2002年(平成14年)春季リーグ戦優勝。続く第51回全日本大学選手権準々決勝で準優勝した4年和田毅投手や3年鳥谷敬らを擁する早稲田大に1-5で敗退。この選手権大会で、4年絵鳩隆雄が大会最多本塁打3本の大会タイ記録(当時)を樹立する[注釈 1]。
- 2005年(平成17年)春季リーグ戦優勝。続く第54回全日本大学選手権準決勝の優勝校となった青山学院戦では、創価4年八木智哉と青学3年高市俊両投手の対決も2-9で敗退。同秋のドラフト会議で、八木智哉が北海道日本ハムファイターズに希望入団枠で入団。出身者として当時最高位の指名となった[注釈 2]。
- 2006年(平成18年)東京新大学野球連盟において、連盟記録となる43連勝を記録[1]。春季リーグ戦優勝後の第55回全日本大学選手権準々決勝で法政大を5-3で降したものの、準決勝で前年同様4年高市投手擁する青山学院に2-9で敗退。
- 2007年(平成19年)春季リーグ戦優勝。続く第56回全日本大学選手権準決勝で優勝した1年斎藤佑樹投手らの早稲田大に1-10で敗退。
- 2009年(平成21年)春季リーグ戦優勝。続く第58回全日本大学選手権準決勝で富士大に0-2で敗退。
- 2011年(平成23年)、秋季リーグ戦優勝。第42回明治神宮大会準決勝で1年源田壮亮らを擁する愛知学院大に1-×2(延長10回)で敗退。
- 2014年(平成26年)春秋リーグ戦で優勝。春の第63回全日本大学選手権準決勝で2年田中正義投手らを擁して優勝した4年大城卓三らを擁する東海大に2-7で敗退。田中が同大会特別賞を受賞。同年秋の第45回明治神宮大会2回戦(準々決勝)で関西大を2×-1(延長10回タイブレーク)で降したものの、準決勝で明治大に2-6で敗退した。
- 2016年(平成28年)のドラフト会議で、田中正義が1位指名で5球団競合の末、福岡ソフトバンクホークスに入団。
- 2020年(令和2年)秋季リーグ戦終了後に堀内尊法が監督に就任。
- 2022年(令和4年)秋季リーグ戦から佐藤康弘が監督に就任。
- 2024年(令和6年)秋季リーグ戦優勝後、第55回明治神宮大会で、大会最多安打記録を更新する10安打[4]をマークした3年立石正広らの活躍で初の決勝戦に進出したが、青山学院大に3-7で敗れ、準優勝に留まる。
- 2025年(令和7年)春季リーグ戦優勝。続く第74回全日本大学選手権1回戦で東亜大に0-11(延長10回タイブレーク)で敗退。秋季リーグ戦は、杏林大が初優勝し創価大は2位。続いて出場した神宮大会代表決定戦の関東地区代表戦で敗退。同年秋のドラフト会議で、立石正広が1位指名で3球団競合の末、阪神タイガースに入団。
本拠地
記録
※ 2025年秋季リーグ戦終了現在
- 東京新大学野球リーグ
- 1部リーグ優勝 51回(リーグ最多)
- 2部リーグ優勝 1回
- 全日本大学野球選手権大会出場25回、ベスト4進出 7回
- 明治神宮野球大会出場12回、準優勝1回、ベスト4進出 3回