1914年5月2日、今の熊本県山鹿市生まれ。農林省に入省し、24歳の時に応召、陸軍第48師団配属となり当初は台湾に派遣された。その後太平洋戦争開戦劈頭4日目のフィリピン上陸作戦に参加しアメリカ軍と交戦、右足を負傷した。負傷から復帰した後はインドネシアのティモール島に駐留し、そこで終戦を迎えた。終戦による武装解除後は捕虜として野菜やサツマイモを育てる自活生活を送り、1946年5月に復員した[1]。
帰国後も農林省に勤め、59歳で退職した。
その後も陶芸教室で陶芸を教えるなど地域活動に貢献。自伝の執筆活動にも時間を費やし、109歳まで戦争体験などを新聞に投稿するなどしていた[1]。
2023年まで、熊本市の自宅で暮らしていた。2025年9月現在、熊本県山鹿市にある介護施設に居住している。
111歳でも、背中を伸ばして歩き、自分で食事を摂っている。彼は「何でも食べることは重要だ」としている。着替え、歯磨き、入浴、トイレなど、日常生活のほとんどを一人でこなしている[2]。
2026年2月8日、水野清隆が死去したことにより111歳282日で、日本の男性最高齢者となった[3]。