国際刑事裁判所ローマ規程の締約国
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国際刑事裁判所ローマ規程の締約国(こくさいけいじさいばんしょローマきていのていやくこく)は、国際刑事裁判所ローマ規程(ローマ規程)を批准し、またはその他の方法により同規程に加盟した国家のことである。
締約国
2025年1月8日現在、125か国がローマ規程に批准又は加入している[1]。
| 締約国[1] | 署名 | 批准又は加入 | 発効 | 第1改正[2] | 第2改正[3] | 第3改正[4] |
|---|---|---|---|---|---|---|
| — | 2003年2月10日 | 2003年5月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月18日 | 2003年1月31日 | 2003年5月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月18日 | 2001年4月30日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1998年10月23日 | 2001年6月18日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1999年1月8日 | 2001年2月8日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1999年10月1日 | 2023年11月14日 | 2024年2月1日 | — | — | — | |
| 1998年12月9日 | 2002年7月1日 | 2002年9月1日 | — | — | — | |
| 1998年10月7日 | 2000年12月28日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | 批准 | |
| 1999年9月16日 | 2010年3月23日 | 2010年6月1日 | — | — | — | |
| 2000年9月8日 | 2002年12月10日 | 2003年3月1日 | — | — | — | |
| 1998年9月10日 | 2000年6月28日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 2000年4月5日 | 2000年4月5日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1999年9月24日 | 2002年1月22日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月17日 | 2002年6月27日 | 2002年9月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月17日 | 2002年4月11日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 2000年9月8日 | 2000年9月8日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 2000年2月7日 | 2002年6月20日 | 2002年9月1日 | — | — | — | |
| 1999年2月11日 | 2002年4月11日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年11月30日 | 2004年4月16日 | 2004年7月1日 | — | — | — | |
| 2000年10月23日 | 2002年4月11日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年12月18日 | 2000年7月7日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 2000年12月28日 | 2011年10月10日 | 2012年1月1日 | — | — | — | |
| 1999年12月12日 | 2001年10月3日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1999年10月20日 | 2006年11月1日 | 2007年1月1日 | — | — | — | |
| 1998年9月11日 | 2009年6月29日 | 2009年9月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1998年12月10日 | 2002年8月5日 | 2002年11月1日 | — | — | — | |
| 2000年9月22日 | 2006年8月18日 | 2006年11月1日 | — | — | — | |
| 2000年9月8日 | 2002年4月11日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月17日 | 2004年5月3日 | 2004年8月1日 | — | — | — | |
| — | 2008年7月18日 | 2008年10月1日 | — | — | — | |
| 1998年10月7日 | 2001年6月7日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1998年11月30日 | 2013年2月15日 | 2013年5月1日 | — | — | — | |
| 1998年10月12日 | 2001年5月21日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | 批准 | |
| 1998年10月15日 | 2002年3月7日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1999年4月13日 | 2009年7月21日 | 2009年10月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1998年9月25日 | 2001年6月21日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年10月7日 | 2002年11月5日 | 2003年2月1日 | — | — | — | |
| — | 2001年2月12日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 2000年9月8日 | 2005年5月12日 | 2005年8月1日 | — | — | — | |
| — | 2002年9月6日 | 2002年12月1日 | — | — | — | |
| 1998年10月7日 | 2002年2月5日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| — | 2016年3月3日 | 2016年6月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1999年12月27日 | 2002年1月30日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1999年11月29日 | 1999年11月29日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年10月7日 | 2000年12月29日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | 批准 | |
| 1998年7月18日 | 2000年6月9日 | 2002年7月1日 | — | — | 批准 | |
| 1998年12月22日 | 2000年9月20日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年12月4日 | 2002年6月28日 | 2002年9月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月18日 | 2003年9月5日 | 2003年12月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1998年12月10日 | 2000年12月11日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1998年7月18日 | 1999年12月20日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月18日 | 2002年5月15日 | 2002年8月1日 | — | — | — | |
| — | 2011年5月19日 | 2011年8月1日 | — | — | — | |
| — | 2012年4月2日 | 2012年7月1日 | — | — | — | |
| 2000年9月7日 | 2003年7月14日 | 2003年10月1日 | — | — | — | |
| 2000年12月28日 | 2004年9月24日 | 2004年12月1日 | 批准 | 批准 | — | |
| 1998年10月7日 | 2002年7月1日 | 2002年9月1日 | — | — | — | |
| 1999年1月15日 | 2001年11月30日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年8月26日 | 2000年5月25日 | 2002年7月1日 | — | 有効 | — | |
| 1998年10月7日 | 2002年4月11日 | 2002年7月1日 | — | 批准 | — | |
| 1998年7月18日 | 1999年7月26日 | 2002年7月1日 | — | — | 批准 | |
| — | 2007年7月17日 | 2007年10月1日 | — | — | — | |
| 1998年10月7日 | 2002年4月11日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1999年8月11日 | 2005年3月15日 | 2005年6月1日 | — | — | — | |
| — | 2019年11月26日 | 2020年2月1日 | — | — | — | |
| 2000年3月8日 | 2002年11月13日 | 2003年2月1日 | — | — | — | |
| 1999年4月22日 | 2002年6月28日 | 2002年9月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1998年11月30日 | 2000年9月6日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月17日 | 2004年9月22日 | 2004年12月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月18日 | 2001年10月2日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1998年12月10日 | 2003年5月12日 | 2003年8月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1998年10月13日 | 2000年9月8日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1998年10月7日 | 2002年3月6日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1998年7月18日 | 2008年3月14日 | 2008年6月1日 | — | — | — | |
| 1999年3月2日 | 2002年9月19日 | 2002年12月1日 | — | — | — | |
| — | 2011年9月21日 | 2011年12月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月17日 | 2000年8月16日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月17日 | 2002年11月29日 | 2003年2月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 2000年9月6日 | 2000年12月7日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年11月11日 | 2002年3月5日 | 2002年7月1日 | 有効 | — | — | |
| 2000年9月7日 | 2005年10月28日 | 2006年1月1日 | — | — | — | |
| 2000年9月8日 | 2010年10月12日 | 2011年1月1日 | — | — | — | |
| 2000年12月29日 | 2002年4月11日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| — | 2006年10月23日 | 2006年6月3日 | — | — | — | |
| 1998年10月27日 | 2002年6月25日 | 2002年9月1日 | — | — | — | |
| 2000年12月13日 | 2001年11月12日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月18日 | 2001年7月17日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | 批准 | |
| 1998年10月7日 | 2000年9月7日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月17日 | 2002年4月11日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 2000年6月1日 | 2001年9月27日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年8月28日 | 2000年2月16日 | 2002年7月1日 | 有効 | — | 批准 | |
| — | 2015年1月2日 | 2015年4月1日 | 批准 | 有効 | — | |
| 1998年7月18日 | 2002年3月21日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1998年10月7日 | 2001年5月14日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 2000年12月7日 | 2001年11月10日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 2000年12月28日 | 2011年8月30日 | 2011年11月1日 | — | — | — | |
| 1999年4月9日 | 2001年11月12日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1998年10月7日 | 2002年2月5日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | 批准 | |
| 1999年7月7日 | 2002年4月11日 | 2002年7月1日 | — | — | 批准 | |
| — | 2006年8月22日 | 2006年11月1日 | — | — | — | |
| 1999年8月27日 | 2010年8月18日 | 2010年11月1日 | — | — | — | |
| — | 2002年12月3日 | 2003年3月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月17日 | 2002年9月16日 | 2002年12月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1998年7月18日 | 1999年5月13日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1998年7月18日 | 1999年2月2日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 2000年12月19日 | 2001年9月6日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 2000年12月28日 | 2010年8月10日 | 2010年11月1日 | — | — | — | |
| 1998年10月17日 | 2000年9月15日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年12月23日 | 2002年4月11日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | 批准 | |
| 1998年10月7日 | 2001年12月31日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| 1998年7月17日 | 2000年11月27日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月18日 | 2000年10月24日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| — | 2008年7月15日 | 2008年10月1日 | — | — | — | |
| 1998年10月7日 | 2001年6月28日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月18日 | 2001年10月12日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | 批准 | |
| 2000年12月29日 | 2002年8月20日 | 2002年11月1日 | — | — | — | |
| 1998年11月30日 | 2000年5月5日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1999年3月23日 | 1999年4月6日 | 2002年7月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| — | 2011年6月24日 | 2011年9月1日 | — | — | — | |
| 1999年3月17日 | 2002年6月14日 | 2002年9月1日 | — | — | — | |
| 2000年1月20日 | 2024年10月25日 | 2025年1月1日 | 有効 | 有効 | ー | |
| 1998年11月30日 | 2001年10月4日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 2000年12月19日 | 2002年6月28日 | 2002年9月1日 | 有効 | 有効 | — | |
| — | 2011年12月2日 | 2012年2月1日 | — | — | — | |
| 1998年10月14日 | 2000年6月7日 | 2002年7月1日 | — | — | — | |
| 1998年7月17日 | 2002年11月13日 | 2003年2月1日 | — | — | — |
脱退した国
ローマ規程第127条は、国家がICCからの脱退することを認めている。脱退は、寄託者に対する通告の1年後に発効し、既に開始されている訴追には影響しない。2021年6月現在、4か国が規程からの脱退の意図を正式に通告した[1]ものの、2か国は、発効前に撤回した。
| 締約国[1] | 署名 | 批准又は加入 | 発効 | 脱退通告 | 脱退日 | 脱退撤回 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1999年1月13日 | 2004年9月21日 | 2004年12月1日 | 2016年10月27日 | 2017年10月27日 | — | |
| 1998年12月4日 | 2002年6月28日 | 2002年9月1日 | 2016年11月10日 | — | 2017年2月10日 | |
| 2000年12月28日 | 2011年8月30日 | 2011年11月1日 | 2018年3月17日 | 2019年3月17日 | — | |
| 1998年7月17日 | 2000年11月27日 | 2002年7月1日 | 2016年10月19日 | — | 2017年3月7日 |
いくつかの国家は、ICCが、裕福で強力な国家が犯した犯罪を見逃す一方で、弱小国の指導者のみを罰しており、西洋帝国主義のツールとなっていると主張している[8][9][10]。このような意見は、特にアフリカの国々が表明してきている。アフリカの国々のうち34か国はICCの加盟国であるが、かかる意見は、国際刑事裁判所が過大にアフリカに焦点を当てていると受け止められていることによる。これまでにICCが捜査を行った事件の9割は、アフリカの国々で起こったものであった[11][12]。
2009年6月、コモロ、ジブチ、セネガル等のいくつかのアフリカの国家は、アフリカの締約国に対し、スーダンのオマル・アル=バシール大統領の訴追への抗議のため、規程から「集団で」脱退するよう求めた[13]。2013年9月、ケニアの国民議会は、同国のウィリアム・ルトー副大統領およびウフル・ケニヤッタ大統領(両名は職務に就く前に訴追された)に対するICCの捜査に抗議するため、ICCからの脱退動議を可決した[14]。10月に行われたアフリカ連合の特別首脳会議では、ケニアの権力者の公判に呼応したアフリカの加盟国によるICCからの大量脱退について、議論がなされた[15]。首脳会議では、在任中の国家元首は公判にかけられるべきではない旨およびケニアの事件は延期されるべき旨の結論に至った[16]。しかし、同首脳会議は、大量脱退の提案については、支持が不足していたことから、承認しなかった[17]。11月には、ICCの締約国会議はこれに応じて、アフリカ連合の懸念事項に対処するため、提案されたローマ規程の改正を検討することで合意した[18]。
2016年10月から11月にかけて、ブルンジ、南アフリカおよびガンビアは、ICCからの脱退の意思を国連事務総長に通告した。当時、ブルンジは進行中のICCによる事前捜査の対象であった[19]。南アフリカは、同国内にスーダンのアル=バシールがいた際、同人に対するICCの逮捕状を執行することを拒み、脱退通告をした。同年、その後に行われたガンビアの大統領選挙においてヤヒヤ・ジャメの長期政権が終わると、ガンビアは脱退通告を撤回した[1]。南アフリカの通告については、野党民主同盟から、議会の承認が必要であるがその要求がないとして合憲性が争われた。2017年2月、南アフリカの高等裁判所は、政府の通告は合法でなく、2017年3月7日をもって通告が廃止される必要があると判示した[1]。その後、政府は、議会におけるICC脱退についての議案を取り下げた[20]。しかしながら、与党アフリカ民族会議は、なお脱退を支持している[21]。
2018年3月14日、ICCによる事前捜査を受けているフィリピン大統領のロドリゴ・ドゥテルテは、ローマ規程からの脱退を発表した[22]。脱退は2019年3月17日に発効する予定である[23]。脱退の法的有効性については、フィリピンの最高裁判所で争われている[7]。
国内実施法
ローマ規程は、締約国に対し、被疑者の逮捕および引渡しを含む犯罪の捜査および訴追について、国際刑事裁判所への協力を義務づけている[24]。規程第9部は、全締約国に対し、「自国の国内法の手続がこの部に定めるすべての形態の協力のために利用可能であることを確保する」ことを要求している[25]。
ローマ規程の補完性原則に基づき、国際刑事裁判所は、関係国が自ら事件を捜査し、適切な場合に訴追する意思がないか、不可能である場合にのみ、当該事件の管轄を有する。したがって、多くの締約国は、国際刑事裁判所の管轄に属する犯罪を捜査し、訴追することを可能にするための国内法を施行している[26]。
2006年4月現在、以下の国が国内実施法を制定又は起草している[27]。
| 国 | 補完性に関する立法 | 協力に関する立法 |
|---|---|---|
| オーストラリア、ベルギー、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ブルガリア、カナダ、クロアチア、デンマーク、エストニア、フィンランド、ジョージア、ドイツ、アイスランド、リヒテンシュタイン、リトアニア、マルタ、オランダ、ニュージーランド、スロバキア、南アフリカ、スペイン、トリニダード・トバゴ、イギリス | 成立 | 成立 |
| コロンビア、コンゴ共和国、セルビア、モンテネグロ | 成立 | 起草段階 |
| ブルンジ、コスタリカ、マリ、ニジェール、ポルトガル | 成立 | なし |
| フランス、ノルウェー、ペルー、ポーランド、スロベニア、スウェーデン、スイス | 起草段階 | 成立 |
| オーストリア、日本、ラトビア、ルーマニア | なし | 成立 |
| アルゼンチン、ベナン、ボリビア、ボツワナ、ブラジル、中央アフリカ共和国、コンゴ民主共和国、ドミニカ国、ガボン、ガーナ、ギリシャ、アイルランド、イタリア、ケニア、レソト、ルクセンブルク、ナイジェリア、サモア、セネガル、ウガンダ、ウルグアイ、ザンビア | 起草段階 | 起草段階 |
| ドミニカ共和国、エクアドル、ホンジュラス、ハンガリー、ヨルダン、パナマ、ベネズエラ | 起草段階 | なし |
| メキシコ | なし | 起草段階 |
| アフガニスタン、アルバニア、アンドラ、アンティグア・バーブーダ、バルバドス、ベリーズ、ブルキナファソ、カンボジア、キプロス、ジブチ、フィジー、ガンビア、ギニア、ガイアナ、リベリア、マラウイ、マーシャル諸島、モーリシャス、モンゴル国、ナミビア、ナウル、パラグアイ、セントビンセント・グレナディーン、サンマリノ、シエラレオネ、マケドニア共和国、タジキスタン、東ティモール、タンザニア | なし | なし |
署名および批准・加入の概要

| 日付 | 署名 | |
| 1998年12月31日 | 72 | |
| 1999年12月31日 | 93 | |
| 2000年12月31日 | 137 | |
| 日付 | 批准・加入 | 既署名国 |
| 1998年12月31日 | 0 | 72 |
| 1999年12月31日 | 6 | 87 |
| 2000年12月31日 | 27 | 112 |
| 2001年12月31日 | 48 | 92 |
| 2002年12月31日 | 87 | 55 |
| 2003年12月31日 | 92 | 51 |
| 2004年12月31日 | 97 | 46 |
| 2005年12月31日 | 100 | 43 |
| 2006年12月31日 | 104 | 41 |
| 2007年12月31日 | 105 | |
| 2008年12月31日 | 108 | 40 |
| 2009年12月31日 | 110 | 38 |
| 2010年12月31日 | 114 | 34 |
| 2011年12月31日 | 120 | 32 |
| 2012年12月31日 | 121 | |
| 2013年12月31日 | 122 | 31 |
| 2014年12月31日 | ||
| 2015年12月31日 | 123 | |
| 2016年12月31日 | 124 | |
| 2019年12月31日 | 125 | |
裁判官の割当て
国際連合の地域グループごとの締約国数は、各グループに割り当てられている裁判官の最少人数に影響する。国際刑事裁判所裁判官の候補者指名と選挙の手続規定20(b)[28]は、5つの地域グループのいずれからも、最低2名の裁判官が裁判所に置かれることを定めている。ただし、あるグループに17以上締約国がある場合、当該グループには3人目の裁判官が割り当てられる。
以下の表には、各地域グループの締約国数が挙げられている。2011年12月1日のモルディブの加入により、アジアグループが最後に3名の裁判官を割り当てられた地域グループとなった。この割当ては、既に2011年の国際刑事裁判所裁判官選挙に反映されている[29]。
| グループ | 締約国数 | 裁判官の割当数 |
| アフリカ | 34 | 3 |
| アジア太平洋 | 19 | 3 |
| 東欧 | 18 | 3 |
| 中南米 | 27 | 3 |
| 西欧・その他 | 25 | 3 |
管轄権の受入れ
国際刑事裁判所ローマ規程第12条第3項により、規程に加盟していない国は、「裁判所書記に対して行う宣言により、問題となる犯罪について裁判所が管轄権を行使することを受諾する」ことができる。これを行う国が規程の締結国ではない場合であっても、規程の関係する条項は受諾する国に適用されるが、これは当該問題限りの判断としてなされる。
これまでのところ、裁判所は5つの第12条第3項に基づく宣言を公表している。また、2013年12月、エジプトの自由と公正党がエジプトを代表して、管轄を受け入れることを求めて宣言を送付した。しかしながら、検察局は、2013年7月のエジプトクーデターの後同党が失脚したため、同党には宣言を行う権限がないと認定した[30][31]。
| 国[32] | 受入日 | 管轄開始 | 管轄終了 | 加盟日 |
|---|---|---|---|---|
| 2003年4月18日 | 2002年9月19日 | 無期限 | 2013年5月1日 | |
| 2009年1月21日 | 2002年7月1日 | 無期限 | 2015年4月1日 | |
| 2014年4月9日 | 2013年11月21日 | 2014年2月22日 | 非加盟 | |
| 2014年12月31日 | 2014年6月13日 | 無期限 | 2015年4月1日 | |
| 2015年9月8日 | 2014年2月20日 | 無期限 | 非加盟 |
| 斜体 は、検察局により宣言が無効と見なされたことを意味する。 |
未批准の署名国
ローマ規程に署名した137か国中、29か国が未批准である[1]。
| 国[1] | 署名 |
|---|---|
| 2000年12月28日 | |
| 1998年10月7日 | |
| 2000年12月29日 | |
| 2000年12月11日 | |
| 1998年7月17日 | |
| 2000年12月26日 | |
| 1998年10月7日 | |
| 2000年9月12日 | |
| 1999年2月26日 | |
| 2000年12月31日 | |
| 2000年12月31日 | |
| 2000年9月8日 | |
| 2000年9月8日 | |
| 1998年12月8日 | |
| 1998年7月18日 | |
| 2000年9月8日 | |
| 2000年12月28日 | |
| 2000年12月20日 | |
| 2000年9月13日 | |
| 2000年12月28日 | |
| 1998年12月3日 | |
| 2000年9月8日 | |
| 2000年11月29日 | |
| 2000年10月2日 | |
| 2000年11月27日 | |
| 2000年12月31日 | |
| 2000年12月29日 | |
| 2000年12月28日 | |
| 1998年7月17日 |
| * | = 批准する意思がないことを表明した国 |
条約法に関するウィーン条約により、条約に署名したものの批准していない国は、当該条約の「趣旨及び目的を失わせることとなるような行為」を慎む義務がある。しかし、この義務は、当該国が「条約の当事国とならない意図を明らかに」したときには継続しない[44]。署名国のうちの4か国(イスラエル、ロシア、スーダンおよび米国)は、もはやローマ規程の締結国とならないという意思を国連事務総長に通告しており、したがって、署名から生じる法的責任を有していない。
バーレーン
バーレーン政府は、当初、2006年5月に、2006年7月に終了する会合においてローマ規程に批准すると発表した[45]。2006年12月までに批准が完了しなかったが、国際刑事裁判所を求めるNGO連合は、2007年に批准がなされるだろうと述べた[46]。
イスラエル
イスラエルは、ローマ規程の採択に反対の票を投じたが、後に短期間署名をしていた。2002年、イスラエルは、国連事務総長に対し、もはやローマ規程の締結国になる意思がないことを通告し、したがって、規程への署名から生じる法的責任を有していない[47]。
イスラエルは、国際刑事裁判所の目標に「深い共感」を有していると述べている。しかし、同国は、国際刑事裁判所に対する政治的圧力により、同裁判所が国際法を再解釈し、「新たな犯罪を創出する」ことにつながることを懸念している。同国は、その例として、「支配側の一般市民の一部の被支配地域への移転」を戦争犯罪に取り込んだことを引き合いに出し、同時に、テロリズムや薬物取引が除外されていることに異議を唱えている。イスラエルは、検察官に与えられた権力が過大であり、また、裁判官の地理的な任命により、国連の地域グループのいずれにも属することができないイスラエルが不利になっていると考えている[48]。
クウェート
2007年の会議において、クウェート弁護士会およびクウェート国民議会書記長のフセイン・アル=ヘレティは、クウェートが国際刑事裁判所に加盟することを求めた[49]。
ロシア
ロシアは、2000年にローマ規程に署名した。2016年11月14日、ICCは、ロシアによるウクライナへの軍事介入の事前捜査についての報告書を発表し、「クリミア及びセヴァストポリの領域内における状況は、実際のところ、進行中の占領も同然」であり、「報じられているような双方の国による相手国軍事基地への爆撃や、ウクライナによるロシア軍人の拘束及びロシアによるウクライナ軍人の拘束といった情報は、東ウクライナにおける武装戦闘を背景とした国際的な武力衝突の存在を示唆する、ロシア軍とウクライナ政府軍との間の直接的な軍事的戦闘を表している」とした[50]。これに対して、ロシア大統領のウラジーミル・プーチンによる大統領布告は、「ロシア連邦はもはやローマ規程の加盟国とならないとの意思を、国際連合事務総長に送付した」ことを認めた[51][52]。公式な発表は11月30日になされた[53]。
タイ
前上院議員のクライサック・チュンハワンは、2006年11月、薬物取引が疑われた者に対して2003年に行われた、2500件の管轄外の殺戮の疑いに関連する人道に対する罪に関して、前首相のタクシン・シナワットを捜査できるようにするため、タイがローマ規程を批准して遡及的に管轄を受け入れるよう求めた[54]。
アメリカ
米国は2000年12月に(大統領のビル・クリントンのもとで)ローマ規程に署名したが、クリントンは、「我々の根本的な懸念が解消されるまでは、助言と同意を求めるためにローマ規程を上院に送付することはしないし、次期大統領[ジョージ・W・ブッシュ]にも勧めない」と述べ、批准のために上院に規程を送付することをしない決断をした[55]。米国上院のICC反対派は「新しい国際組織に懐疑的で、アメリカの主権をなお嫉妬深く守りたがって」おり、ローマ規程以前は、ICCへの反対は主に共和党上院議員のジェシー・ヘルムズによってなされていた[56]。2002年5月6日、ブッシュ政権はICCの締約国になる意思がないと述べ、国連事務総長のコフィー・アナンへの書簡において、国務次官(軍備管理・国際安全保障担当)のジョン・ボルトンは、「米国は規程の締約国になる意思はなく」、「米国は2000年12月31日の署名から生じる法的義務を一切負わない」と述べた[57]。この書簡は、規程への「非署名」を呼ばれることがあるが、書簡の実際の法的効果についての法的意見はこれと異なり[58]、大統領には一方的に規程に「署名しない」こととする権限はないと主張する学者もいる[59]。
米国は、ブッシュ大統領の在任期間を通じて、「国際刑事裁判所に非友好的な態度をとった」[60]。2002年、米国議会は米国軍人保護法(ASPA)を採択し、同法は2002年8月2日に署名されて成立した。同法の「最も重要な目的は、米国政府がICCを支持することを防ぐことであった」[60]。ASPAの主要な条項は、米国がICCに資金提供を行うことを阻み、また、ローマ規程第98条(ICC締約国の領域にいる個人をICCが訴追することで、同国が当事国である他の二国間条約又は多国間条約の条項に違反することとなる場合に、ICCがかかる訴追をすることを禁じている)の助けを借りて、米国外にいる米国市民にICCの管轄が及ばないようにするため、米国がICCの全署名国と合意を結ぶことを求めている[60]。従来、第98条は、米国軍人を招聘して受け入れる国家が、外国裁判所での米国軍人に対する訴追の免責に同意するという、伝統的な地位協定やミッション地位協定との関係で利用されていた[60]。議会のICC反対派に支持されていたブッシュ政権は、米国軍だけでなく「協定が結ばれた国にいる全ての米国市民について、ICCからの免責を保証する」二国間免責協定(BIA)を積極的に締結しようとする新たな戦略をとった[60]。元のASPAでは、米国とBIAを締結することを拒否した国は、軍事的援助を失うなどの制裁を受けることとされていた(もっとも、これらの規定は廃止されている)[60]。2006年12月現在、アメリカ国防省は、102か国との間でBIAが署名されたと発表している[61]。2002年、米国は、国連平和維持軍がICCの訴追からの免責を得られない限り、全ての平和維持活動の更新に関して拒否権を発動すると警告した[62]。妥協的な措置として、安全保障理事会は、2002年7月12日、決議1422を成立させ、国際連合が設立し又は認可した任務に関わる非加盟国の者について、更新可能な12か月間、免責が与えられた[62]。同決議は、2003年に12か月間の更新がなされたが、米国軍のアブグレイブ刑務所における捕虜虐待が明らかとなった後の2004年には、安全保障理事会は免責の更新を拒否し、米国は更新の要求を取り下げた[63]。
オバマ政権において、米国はローマ規程の批准への動きをとらなかったが、ICCの前に事件に対する援助をすることで「慎重かつ事案ごとにICCを支持する手法」を採用した。国務長官のヒラリー・クリントンは、戦争犯罪を司法に持ち込んで米国の利益を増大するようにして、米国は効果的なICCの行動を促進すると述べた[60]。オバマ政権においてなされた米国のICC支持の動きは、オブザーバーとしての年次締約国会議への参加や、ICCへの事件の付託のための安全保障理事会常任理事国の地位の利用(2011年のリビア案件を含む)、ICCへの「逃亡人についての情報の共有とその他の相当な非金銭的支援の提供」、および戦争犯罪報奨プログラムの拡大を含んでいた[60]。
イエメン
2007年3月24日、イエメン議会はローマ規程の批准のための採決を行った[64][65]。しかし、この採決は議会の規則に違反していたと主張し、再採決を求めた議員がいた。その再採決において、批准は取り消された[66]。