夜刀浦
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アーカムのような架空の「クトゥルフ神話の土地」を日本に創造し、五名の作家が競作するアンソロジー『秘神 〜闇の祝祭者たち〜』の舞台として、編集者である朝松健により設定された。
後に、2017年12月10日から18日にかけて、朝松健の公式Twitter (現X) 『朝松健ニュース』において、参加作家に配布した「設定書」が公開された。
2006年に『クトゥルフの呼び声 (TRPG)』に向けて再編された設定が『Role&Roll』Vol.20において『夜刀浦綺譚』として発表された。この記事は設定創作者である朝松健の監修を受けたものだが、『秘神』における設定とはいくつかの相違が見られ、冒頭にもそれが明記されている[1]。また、ドラマ『蔭洲升を覆う影』の設定を取り入れている[2]。
その他、日本におけるクトゥルフ神話にまつわる土地としていくつかの創作物で言及される土地だが、それぞれ相違点が存在する。
基本設定
- 『秘神』における基本設定
- 『秘神』「設定書」においては、増田湾 (朝松健の『「夜刀浦領」異聞』『秘神黙示ネクロノーム』における東京湾であると考えられる) を挟んで三浦半島を望むと記述されている[3]。
- 東北方面17kmに阿久湊市(『秘神黙示ネクロノーム』の舞台となる都市[4]) 、南西28kmに王港[5]市(『蔭洲升を覆う影』に言及される港町と同名[6])[注 1]。そこから西北西に9kmの地点に赤牟市(『蔭洲升を覆う影』の舞台、蔭洲升の最寄り駅と同名[6])がある[7]。
- 『「夜刀浦領」異聞』では「下総国海底郡」にあるとされ、阿久湊から西南に下ること四里余。王港より北西に進むこと、七里。さらに東南東に閼伽水庄(作中にて赤牟の旧名と示唆[8])へと下りたれば汝、夜刀神に見ゆるを得ん」[5]という口伝がある一方、閼伽水庄から二里余ほど東南東に進めば夜刀浦の入り口に到達する描写がある[9]。
- これらの記述には矛盾がうかがえるが「設定書」注記には「読者を混乱せさせるのと異次元であることを暗示するため現実の地理とは異なっている」「敢えて方向を矛盾させたりして地図で追えなくしている」と設定コンセプトが記されている[7]。
- 『秘神』収録作品において夜刀浦市は「海底郡」に位置するとされているが、実際の行政区分において市は郡に含まれない。とはいえ、「海底郡」は周囲の地域を包括する夜刀浦の一部として描かれている。
- 夜刀浦市のほぼ中央には、糸神川の分流である宇神川が流れ、市を東西に分割している。糸神川は『秘神黙示ネクロノーム』にも登場する川で[10]、『秘神』における夜刀浦市内においてはその一部分のみが流れていることが推察される。
- 宇神川の東は、宇神藩一万石の城下町であった武家屋敷町跡であり、中心部にあった夜刀浦城は、領主の飯綱勝元が幕府方についたため官軍に焼き払われ、石垣と城址のみが残る[11][12]。川の西に広がる工業地帯は飯綱製薬の工場と研究施設、その従業員の住宅街、飯綱大学のキャンパスがある[12]。
- 『夜刀浦綺譚』における基本設定
- 『夜刀浦綺譚』においては『秘神』から位置が大きく異なっており、現実の千葉県いすみ市にあたる位置に設定されている。同様に、王港町は御宿町、赤牟市は勝浦市の位置に設定されている。この三つおよびいくつかの飛び地が「海底郡」と呼ばれている[13]。
- 市域の四つの突出部の先端と、東の海上にある伊衛門島(鬼門島)と呼ばれる孤島が、五芒星型をなしている。それぞれの地点には神社や祠が位置している。これは『はざかい』における夜刀浦の町の形について「星に似た、特殊な、何かの紋章のような」[14]を踏まえた設定であると考えられる。
- 糸神川は西部内陸から流れて、市域を南北にほぼ等分して太平洋へそそぐ。北西からは支流が流れて、工場地帯をかすめて市の中央部と合流しているが、こちらの支流の名は不明である[15]。
- 夜刀浦市街の中心は糸神川河口付近に位置する[15]。現在はJR外房線の宇神城下町駅を繁華街が取り巻いている。かつてはもう少し南、市内バスの武家屋敷跡地停留所があるあたりが中心で、土地の名家や地元企業・飯綱製薬の重役たちはこの界隈に住んでいることが多い。
- 繁華街と武家屋敷町の間には、80年代初頭に開発された新興住宅街があり、ほかの土地から移ってきた比較的新顔の住民が住んでいる[16]。
- 糸神川の、北西からの支流との合流点からわずかに上流の地点からは、南へ水が流れて「さぶろう沼」と呼ばれる大きな沼に流れ込んでいる。
- この沼の近くから東西南北にむけて町境が伸び、南東部が糸神川河口や中心街を擁する「夜刀浦町」、北東が「黒須町」。北西、南西の町の名は不明だが、飯縄製薬の施設や飯綱大学を擁する北西の町は地元からは「イヅナ」と通称され(『秘神』収録作品、井上雅彦『碧の血』の設定に由来[5])、正式な町名で呼ばれることは少ない[17]。市域の北の突出部は「星宮町」となっている。
- その他の作品
- 2011年には朝松健による夜刀浦を舞台とした小説『弧の増殖 夜刀浦鬼譚』が出版された。この作品では、#さぶろう沼など『夜刀浦綺譚』の設定がいくつか採用される一方で、後述する#見遥ヶ丘の位置などは『夜刀浦綺譚』の地図と整合性を取りがたく『秘神』の設定に準拠している可能性もある。
- くしまちみなと『かんづかさ』においては、この世に存在しない異世界と設定されている。千葉氏が夜刀浦を接収しようとしたために、夜刀浦の庄を治めていた者が"人止めの呪い"を施し、この世から隔絶されたと伝えられている。だがその後も「夜刀浦人」と呼ばれる凶悪な半魚人(深きものども、あるいはそれがモチーフと思われる[独自研究?])が襲来する、現世の人間が呑みこまれるなど、現世を脅かし続けている。
- その内部は、赤黒い海、赤黒い雲の間からのぞく毒々しいオレンジ色の空、陰鬱な雰囲気、生臭い空気がたちこめる異界であり、人里には昭和四十年代の町並みが広がり、人間に加え「夜刀浦人」に近い姿の者も居住している。
「王港」が「大港」に変わっているなどの違いもあるが、その他の地理設定はほぼ『夜刀浦綺譚』に準じている。
地理
飯綱製薬 ()- 宇神藩主一族直系の飯綱明成が創設した製薬会社。
- 東証上場の有名大企業であり、都心に大きな自社ビルを所有しているが、登記上の本社は夜刀浦市にある[20]。
- 飯綱家は市の西側に広大な土地を所有しており、飯綱製薬の製造プラントや研究所、工業団地などが一大工業地帯を形成しており、この一帯そのものが本来の町名ではなく、企業ともども「イヅナ」と通称される[21][20]。
- 工業地帯の居住区域には、環太平洋地域や南米から出稼ぎにやってきたような様々な国籍の人間が居住している[20]。
- かつては軍部と密接な関係を持っており、太平洋戦争中には陸軍の協力のもと巨大な地下実験施設を夜刀浦町あたりに建造したと言われる。市の東岸にいくつか見られる洞穴のいくつかがこうした施設に繋がっていると、住民らの間で面白半分にささやかれている[16]。
- 飯綱大学
- 正式名称は『私立飯綱医科大学』。
- 飯綱明成が1916年(大正5年)に創立した大学で、医学と薬学に特化した学術・研究機関である[22][23]。ただし、『弧の増殖 夜刀浦鬼譚』には卒業医師の評価はさほど高くない様子が垣間見られる[24]。
- 飯綱製薬のプラントに隣接する土地にキャンパスを構え、学生は在学中から飯綱製薬の研究プログラムに参加することが多く、卒業生の半分近くがそのまま飯綱製薬に就職する[23]。
- 国内で最も早く海外の最新設備が導入されるなど、研究者にとっては恵まれた環境が整っているが、同時に、国内外の軍部、大企業、新宗教との関係や、人体実験にまつわる暗い噂が取り沙汰されてきた[22][23]。
- 一方で、大学にまつわる暗い風評は、宇神藩主一族が代々蒐集してきた「飯綱コレクション」、正式には飯綱家初代・重昭の号にちなんだ「尾裂堂文庫」と呼ばれる数万冊の珍書奇籍を揃えた、ゴシック様式の図書館(旧図書館)によるものだという説もある[25]。
- 建物・蔵書共に戦災を免れてきたが、1994年以降、入館、閲覧には、飯綱大学の学長または教授、厳重な身体検査が必要となり、手荷物とくに筆記用具の持ち込みが禁止され、かつ警備員が常駐するなど、セキュリティが異様に厳しくなった[26][27][14]。当時のスポーツ紙の記事によれば1994年4月30日、10月31日に「賊」が忍び込み、閉架図書の図書を盗み出そうしたための措置とされている[26]。
- 代わりに1995年に竣工した新図書館は、入館は自由で閲覧も簡単だが、貴重書は一冊もなく、また『海底郡史』『夜刀浦市史』『宇神藩史』『飯綱製薬史』といった夜刀浦の昔の情報もすべて、旧図書館に保存されている[27][28]。
- 「尾裂堂文庫」の内容には、『くららさま[注 2]事件』、『ウナイテコナ[注 3]についての考察』、『ニグ・ジュギベ・グァ[注 4]観察』[29]、およびR.P.クレスペ『妖物解剖図説』、フランツ・フォン・シーボルト『日本妖怪誌[注 5]』、『惨之七秘聖典[注 6]』、『死法経[注 7]』[30][23]などが含まれる。
- また、とある報道によれば、1994年の侵入事件の犯人が狙った経典は『妙法青蓮華秘密刹鬼経[注 8]』であるとしている。
- 伊衛門島
- 夜刀浦市の黒須町の沖合に浮かぶ島。『夜刀浦綺譚』の地図によると、夜刀浦市域を五芒星と見立てればその頂点の一つとなり、祠が存在している[15]。
- かつての名称は鬼門島であり、さぶろう様(朝比奈義秀)がこの島に渡って小鬼を退治したという昔話が戦前までは語り伝えられていた[16]。昭和中期に活躍した写真家、藤宮伊衛門がこの島を昭和初期に買い取り、木造のスタジオを建てたことから「伊衛門島」と呼ばれるようになった[16]。
- 亜熱帯性のジャングルを思わせる林、深い洞窟、現在は休憩所となっている藤宮伊衛門のスタジオ、随所に立つ石碑めいた石柱といった見所があり、また、UFO、怪魚、小人、立って歩く蛙、といった怪異譚が昔からいくつも発生していて、ミステリースポットとしても知られる[16][20]。
- 缶詰工場跡
- 城下町のはずれ、『夜刀浦綺譚』の地図においては市域沿岸南部に位置する[16]赤茶けた高台で、長らく資材置き場として使われていた。工場は津波で押し流されたともいう[31][32]。
- 宇神藩の家老職で、海底郡の名家であった倶爾家[33](『夜刀浦綺譚』では「倶璽家」[16])が経営していた缶詰工場および倶爾家の城館の跡地である。
- この入り江には、海溝の深淵を流れる海流の影響で、日本中あるいは世界中の水屍体が流れ着くと言われている[16][5][34]。
- 明治維新後、倶璽家は地元漁業民を束ねて倶璽缶詰株式会社を開始、遠洋漁業・捕鯨、缶詰生産で成長し[16]、戦時中にも兵士むけの鯨缶詰の生産で栄えた[35][16]。
- 初代社長、倶璽兵部の時代に“海魔”と呼ばれる存在の肉が持ち帰られ、それを食することで魔力を得ようとした倶璽一族は変質し、人ならざる因縁にとらわれた一族と化した[36][37][16]。
- さぶろう沼
- 市域の中心、四つの町が接するあたりにある大きな沼。
- 名称は、前出のさぶろう様に由来するとも、大正のころまで鎧武者の幽霊が目撃されたという地元の怪談話から「さむらい=さぶろう」沼と呼ばれるようになったとも言われる。
- かつては飲料水となるほどきれいな水が湛えられていたが、現在は産業排水などですっかり汚染されている。近所の小中学生からは「泥沼」と嫌われ、散歩者も少なくなっているが、場所によっては気持ち悪いぐらいに大きい鯉やナマズが釣れるということで、板橋や遊歩道がいまも維持されている。
- 大小さまざまな蛙の群棲地で、夏の盛りには蛙の声が一帯を埋め尽くす。江戸時代には河童の目撃談もあり、川が流れこむあたりには「河童大明神」を祀る比較的新しい祠が設置されている[20]。
- 地下鉄
- 『秘神』収録作品である立原透耶の『はざかい』と『夜刀浦綺譚』とで、設定が異なる。
- 『はざかい』では普通に利用される交通機関であり、大通り公園のすぐ前をはじめとして市内にいくつかの駅がある[38]。ただし、一日に一回だけ、特別列車が走る区間があることが、作中で明かされる[39]。
- 『夜刀浦綺譚』においてはその存在は秘匿されて都市伝説に語られるのみで、戦時中の地下実験施設の物資移送のために建設されたものであるとしている[16]。
- どちらにおいても、飯綱製薬の暗部とかかわりを持つ、地下に棲むものどもの巣窟となっていることは共通している。
- 宇神堂
- 『「夜刀浦領」異聞』の描写によれば、増田湾に面した高さ何千丈もの切り立った崖の頂にあり、人ひとりやっと通れるほどの険しい小道だけが通じている[40]。
- 塀はなく、傾いた薬医門とねじれた寒椿の列によって前を飾られている[41]。
- 足利義満か足利義詮の時代をおもわせる二階建ての瀟洒な山荘風の建物だが、不気味に荒れ果てている[42]。その時代に、夜刀浦へ逃れ来た僧らによって建てられたものと思しく[43]、結界によって侵入者は阻まれる。建物すべてに妖術が及んでおり、内部の構造すら変化する[44]。
- 隠された地下への狭い石段を下りれば[45]、初夏のような暖気と甘い香りに満ちた、巨大なドーム状の洞窟があり、中央には円形の泉がある[46]。
- 波旬峡
- 夜刀浦庄のどこかにあると言われ[47]、あるいはその奥にあると言われる[42]謎の地。その名は第六天魔王をさす梵語「波旬」に由来すると考えられる。
- 夜刀浦庄の領主となった飯綱家初代・重昭は、命を救われた代償として、波旬峡を代々守護することを肯った[47]。
- ぶりん屋敷
- 武家屋敷町にある、江戸時代からの広大な屋敷。江戸時代末、宇神藩に仕えた国学者、#流基監物が住んでいた屋敷で、その通称は彼の号「葡鱗」に由来する。
- 監物は四十五のとき、天地の主なる「神」が尾崎巨石のあった場所に封印され、その神の分霊をむかえたと称する社を自邸の庭に設けるなどし、蟄居閉門を命じられるも、社の内部にこもりそこから忽然と姿を消した[48]。
- その後、屋敷は廃屋となったが、噂を面白がって移住する者が昭和まで四度にわたってあらわれた。しかし奇怪な物音や気配に悩まされ、転居、精神疾患、没落、一家心中といった末路をたどった[49]。
- 現在でも「ひどい猫背の人間の幽霊が出る」「その両手はカニのハサミになっている」「集まったカニ男は見遥ヶ丘の頂へ飛んでいく」などの奇怪な話が付きまとっている[50]。
- 見遥ヶ丘
- 夜刀浦の中心から眺めて、陽ののぼる方にある小高い丘[51]。『夜刀浦綺譚』掲載の地図において、夜刀浦市街地あるいは市域中心から東には、丘がある描写は見られず[15]、『秘神』における西が海に面している設定を踏襲している可能性がある。
- 市街から「尾崎巨石」と呼ばれる、平面部を天に向けた半球形の巨石がのぞめるが、建設された時代も理由も不明で、都市伝説じみた説すら多い[51]。
- 巨石から三十メートルと離れていない場所には鉄塔と基幹施設があり、DANM社が通信専門会社だったころに建てたもので、現在は基幹施設のみがメガ・サーバーとして使用されている[52]。
- 八斗浦地区
- 『秘神』収録作品である図子慧の『ウツボ』の舞台となる地域。
- 『夜刀浦綺譚』においては夜刀浦市内の一画として地図に示されている[15]が、東雅夫は『クトゥルー神話辞典』における同作の紹介にあたり「<夜刀浦>を<八斗浦>に改変使用という細部のリアリティへのこだわり」と評しており[53]、『ウツボ』においては夜刀浦市域そのものを「八斗浦地区」と呼んでいる可能性がある。
- 川沿いを河口へむかって進み、左手にまがり、国道を隣の市にむかって進むと[54]、港へのバイパス道路との分岐のすこし南に、蔦に覆われた古い農業倉庫の姿が見える[55]。
- 脇には以前はふるい社があったというが、現在はプレハブの事務所になっている[56]。
- 倉庫は立ち入り禁止となっており、危険な廃棄物が置かれているという噂もあって、近寄るものは無く、内部については知る者は少ない[54][55]。
- 目だつ建物ながら内部は吹き抜けになっており、その巨大な空間のまんなかには床から三十センチほどの高さの巨大な井戸のような穴がある。赤く塗られた鉄板で蓋がされ、取っ手のついたスライド式の開口部がある[57][58]。
- 1990年代末、八斗浦地区の住宅開発の際に除草のためダイオキシンを密かに散布し、汚染土をこの穴へ遺棄していたことが発覚した[59]。誰も近寄らない穴は犯罪の舞台となっており、行方不明の少女三名の遺体が中から発見された[60]。
その他
- 飯綱神社
- 夜刀浦につたわる噂に登場する神社だが詳細・位置ともに不明。
- この神社の闇送りの儀式を怠ると、氏子の家に鱗のある赤ん坊が生まれると言われる[61]。
- 「闇送り」の内容も不明だが、北海道亀田半島の肝盗村に同名の儀式が伝わる[62][63]。
- 星宮神社
- 夜刀浦の古伝をつたえる縁起書をもつ四つの神社のひとつ[15]。地図で星宮町の北端に位置する神社と思われる。[独自研究?]
- 星宮青少年自然センター
- 『夜刀浦綺譚』の地図にのみ記される、星宮町中部の施設。詳細は不明[15]。
- 増田湾ディープライン
- 房総半島と三浦半島の先端を結ぶ有料トンネル道路。90年代中ごろに開通し、当時の市長を中心とする観光推進派のもと夜刀浦市もさまざまに協力していた。1999年に起きた大事故によりトンネルが崩落、廃棄された[13]。
- 八斗浦神社
- 夜刀神を祀った神社[64]。場所は不明。
- 矢筈神社
- 軍神タケミカヅチノミコトを祀った鹿島神宮の分社[64]。場所は不明。
歴史
その地名は常陸国風土記に記されている箭括麻多智によって打ち殺された夜刀神に由来する。この夜刀神の死骸が海に流れ、流れ着いた果てが下総の海底が浜、すなわち夜刀浦の海浜だとする[65]。
『「夜刀浦領」異聞』では、閼伽水(赤牟)から東南東へ向かった地点には、苔や藤壺、海藻に覆われた五尺ばかりの石積みの塀が東西に延びており、元明天皇のころに付近住民の祈りに応えて夜刀神が一夜で完成させたものと伝えられているが、同時に、祟り神に善神としての性格を付与した物語だと喝破されている[9]。ここに仕掛けられた結界を破ると、夜刀浦の存在する世界へと立ち入れるというのが作中の設定である[8]。
これは『夜刀浦綺譚』にも引き継がれているが、石塀が築かれたのは夜刀浦の海岸一帯であり、これによってこの地を「夜刀浦」と呼びならわすことになったとする。星宮町の星宮神社をはじめとした市域をかこむ四つの神社の縁起書によるとされている[13]。
千葉氏や三浦氏など桓武平氏につらなる豪族にまつわる文献中に「夜刀浦庄」の地名があり、平安時代にはこの名で呼ばれていたことが判明している[13]。
鎌倉時代は、海底郡一帯は千葉氏の支配下にはいり、『吾妻鏡』にも海底郡についての記載が見つかるという。千葉氏宗家の家伝とされる文献によれば、鎌倉幕府三代将軍源実朝の時代には、この地に「人止めの呪い」が施され、領主の千葉氏と一部の豪族、呪術にたけた修験者や法力僧をのぞいて踏み入ることのできない結界に閉ざされたという。
この時期、一帯は比企能員の変や和田合戦などで幕府の追討を受けた者らが逃げ込む一種の隠れ里となっており、江戸時代以前からのふるい氏族には比企姓、和田姓の家がある[13]。
康正元年(1455年)に千葉宗家が、原胤房、馬加康胤の謀反に滅ぼされるも、室町幕府将軍足利義政はこれを治めるべく東常縁を派遣。馬加康胤は討ち取られるも、娘・頼姫は千葉宗家につたわる秘法への手掛かりをたずさえて夜刀浦へ逃れる[66]。千葉宗家再興のために秘宝を入手すべく常縁がこれを追わせたのが家臣・小崎重昭だったが、「偶忌荒祝部毒命」なる神の導きによって重昭と頼姫は結ばれ[67]、夜刀浦庄の領主・飯綱氏を興すのだった[15]。
飯綱氏は呪術を用いて「蟆雷悪幣兇鳥」なる天狗らを使役し、陀金様と呼ばれて漁師らから信仰されていた深きものどもとも交わり、夜刀浦という土地を作り変えていった[15]。
関ヶ原の戦いでは徳川方につき、夜刀浦庄ふくむ領地を安堵され、宇神藩一万石の譜代大名となった[15]。飯綱氏が代々蒐集した隠秘学の書物は海外のものも含まれ、田沼意次の時代には「蘭癖」と呼ばれた大名に名を連ねた。田沼時代が終わっても、譜代大名であったことと慶長に徳川家康に差し出した何らかの貢物の功によって、飯綱氏は一万石の小国ににあわぬ格別の扱いをうけ、蘭書蒐集にも目をつぶられていたようである[23]。
最期の藩主となった飯綱勝元は幕府方についたため、居城である夜刀浦城は官軍に焼かれた[15]。
明治以降は夜刀浦は漁港として栄え、日本有数の捕鯨基地を擁していた。戦後には漁業は廃れるが、代わりに中心的な産業として、藩主一族の直系・飯綱明成によって興された飯綱製薬とその工場群が躍進した[15]。
現代においても、夜刀浦市を事実上支配下においている飯綱製薬、市の要職を通し、飯綱氏の支配は今なお続いている[15]。
1996年ごろ発生した、五名の幼児が無惨に殺害された「夜刀浦連続幼児殺害事件(斎彌皇事件)」の容疑者が、飯綱家出身の国会議員で地元の権力者だった#飯綱為和の息子・昭信であったことは夜刀浦に衝撃をもたらした[68]。
その15年後に、市の東部の見遥ヶ丘にあった通信会社DANM社のメガ・サーバー施設が暴走し、膨大な電磁波が市街に放射されて多くの電子機器を通じて大量の死傷者をだす惨事が報じられる[69]など、この地を覆う恐怖はいまだ収まる気配を見せない。
主な歴史上の人物
- 飯綱重昭
- 千葉氏宗家が原胤房と馬加康胤の謀反に滅ぼされたにあたり室町幕府より遣わされた東常縁の家臣で、もとの姓を小崎といった。
- 主命により、千葉宗家につたわる秘法の手掛かりをたずさえ逃れたという馬加康胤の娘・頼姫を追うことにより、結界を踏み越えて夜刀浦へと足を踏みいれ、人智を超えた運命によりこの地の支配者となる。
飯綱家の初代となり、また旧姓をもじり
- 詳細は『「夜刀浦領」異聞』の記事を参照。
- 飯綱明成
- 飯綱製薬および飯縄大学の創立者。宇神藩主一族直系に産まれ、京都帝国大学医学部を首席卒業し、フランクフルト大学で教鞭をとっていた時期もある優秀な医学者。専攻は遺伝病[15]。
- カイザー・ヴィルヘルム人類学研究所のオトマール・フォン・フェアシュアー博士とは親友だったと言われている。
- 論文などの研究資料はまったく残っておらず、関東軍防疫給水部との指導層と関係が深かったため、ポツダム宣言受諾直前に研究資料が大量に焼き捨てられた、と噂されている[15]。
飯綱昭信 ()- 衆議院議員・飯綱為和の息子。
- 「夜刀浦連続幼児殺害事件(斎彌皇事件)」の当時は飯綱大学博士課程一年生だったが、「斎彌皇」を名乗る同事件の犯人の疑いがあるとして拘束。精神鑑定のために精神障害者リハビリセンターに移送されるも、厳重に閉ざされた施設から姿を消す[68]。翌朝、さぶろう沼に溺死体が浮かんでいるのがDANMの営業所員に発見され、飯綱大学病理学研究室によるDNA鑑定の結果、昭信の死体であると発表された[70]。
飯綱為和 ()- 飯綱家本家筋にあたる夜刀浦の有力者で衆議院議員。
- 見遥ヶ丘に通信会社DANM社の施設が建設された際、電磁波ハザードを懸念する近隣住民との摩擦に際して根回しを行った[52]。
「斎彌皇事件」に際して息子が容疑者となった責任を取り議員を辞職、政界を引退した[68]。
- 倶璽兵部
- 宇神藩に仕えた家老の家柄の出で[21]、明治時代には地元の漁民らを束ねて倶璽缶詰株式会社の基礎を築いた[16]。
- 一方で、その捕鯨船は深淵に棲む「海魔」と呼ばれる存在の肉を持ち帰ったともいう。飯綱家中にあって魔術に長けていた倶璽家の者らはその肉を食することで「碧の
血 ()」と呼ばれる常人ならぬ力を得たが、それは「海魔」の呪いを受けた不完全なもので、一族は普通の食餌を受け付けなくなり、死者の肉を喰らわねばならなくなった[37]。 - 以後、彼らは時いたれば缶詰工場の機械に自らを挟んで人間としての生を終え、巨大な異形となって、世界中から夜刀浦海域へと集まる水屍体を喰らうようになったという[71][16]。
- 三遊亭圓朝
- 実在する落語家。実際には湯島の出身だが、『秘神』の収録作品である飯野文彦の『襲名』では夜刀浦の出生で里子に出されたという話が囁かれる[72]。
- 彼によって落語が繁栄したこと、『牡丹灯籠』『真景累ヶ淵』『怪談乳房榎』などの怪談噺を好んだことに、その出生が関連していることが仄めかされる[72][73]。
- 藤宮伊衛門
- 昭和時代中期に活躍した、赤牟(おそらくは赤牟市内の蔭洲升)出身の写真家[74][23]。
- 夜刀浦にては、沖合の小島である鬼門島を買い取ってことで知られ、そのため島は#伊衛門島と呼ばれるようになった。彼は『昭和の残光』など昭和初期の漁村の風景を映した写真集を何冊か刊行した後、忽然と行方を眩ませている[23]。
流基監物 ()- 江戸時代末、宇神藩に仕えた国学者。「
葡鱗 ()」と号した。 - 幕末、過激な攘夷・神国思想の佐藤深淵(佐藤信淵をモチーフにしたものか)の学派に属し、藩主からも将来を嘱望された。しかし四十五のとき、星辰界より夜刀浦に降り立った天地の主なる「神」が高天原の神々により尾崎巨石のあった場所に封印され、その「神」の分霊を自邸の庭に設けた社に迎えた、などと唱え始め、蟄居閉門の処分が下された。しかしひと月もしないうちに、流基監物は庭の社にこもり、そこから姿を消してしまったという[75]。