大森南
東京都大田区の町名
From Wikipedia, the free encyclopedia
地理
東京都大田区の南東部に位置する。地域北部は大森東に接する。地域東部は京浜運河に接し、昭和島になる。地域南東部は海老取川に接し、これを境に羽田空港と接する。地域南部は呑川に接し、これを境に東糀谷に接する。地域西部は国道131号(産業道路)に接し、これを境に北糀谷に接する(地名はいずれも大田区)。用途地域では、大部分が工業専用地域・工業地域・準工業地域となっている[5]。町域東端を首都高速1号羽田線と東京モノレール羽田空港線が通っているが、高速道路の出入口や鉄道駅は設けられていない。
災害想定
多摩川氾濫及び高潮では、広範囲で0.5メートル以上3メートル未満(高潮の場合は局地的に3メートル以上)の浸水が想定されている[6]。浸水継続時間は、多摩川氾濫の場合は24時間、高潮の場合は1週間以上が広範囲で想定されている[7]。
地価
住宅地の地価は、2024年(令和6年)7月1日の地価調査によれば、大森南1-19-11の地点で42万1000円/m2となっている[9]。
歴史
第二次世界大戦前までは当地に森ヶ崎鉱泉(1901年(明治34年)湧泉)と海水浴場があり、東京近郊の保養地として賑わっていた。現在、大森寺(だいしんじ)に森ヶ崎鉱泉源泉碑がある[10]。
1938年(昭和13年)8月24日に大森民間機空中衝突墜落事故が森ケ崎町上空にて発生。民間航空機同士による空中衝突による航空事故で、墜落した両航空機の乗員全員が即死したほか、機体に残っていた燃料の爆発に巻き込まれ多くの住民も犠牲になった[11]。最終的な犠牲者は85人とされている。 葬儀は同年8月29日に大森第四小学校の校庭で執り行われた[12]。
年表
町名の変遷
1932年(昭和7年)9月まで、大森南は荏原郡大森町・羽田町に属していた[15]。1932年10月1日、東京市大森区・蒲田区となり、東京都制を経て、1947年(昭和22年)3月15日、大田区となった[16]。1964年(昭和39年)9月1日、住居表示実施と同時に大森南が発足した[17]。
大森南一丁目自治会は、住居表示前北糀谷二丁目町会と大森九丁目町会であったが、現在の北糀谷二丁目とは異なる区域である[18]。
世帯数と人口
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年3月時点)[25][26]。
| 丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 大森南一丁目 | 4番の一部、5〜11番 12番の一部、17番の一部 18番の一部、22番の一部 | 大田区立大森第四小学校 | 大田区立大森第一中学校 |
| 1〜3番、4番の一部 12番の一部、13〜16番 17番の一部、18番の一部 19〜21番、22番の一部 23〜24番 | 大田区立東糀谷小学校 | 大田区立糀谷中学校 | |
| 大森南二丁目 | 17番の一部、18番 19番の一部 | ||
| 1〜16番、17番の一部 19番の一部、20〜25番 | 大田区立大森第四小学校 | 大田区立大森第一中学校 | |
| 大森南三丁目 | 全域 | ||
| 大森南四丁目 | 全域 | ||
| 大森南五丁目 | 全域 |
事業所
交通
施設
- 大田区立大森第一中学校
- 大田区立大森第四小学校
- 東京労災病院
- 新京浜病院
- 大田区立桜梅公園
- 大田区立森ケ崎公園[29]
- 大田区立旧呑川緑地(北端の大森東との境界部)
- 大森寺
- 東京都下水道局森ケ崎水再生センター
- 池上自動車教習所
- 前川試験機製作所
- 中條電機製作所
- 共和工業
- 花形電機
- 小松ばね工業
- 浅羽製作所
- シェイク映像撮影所
- 日新電気
公園
森ケ崎海岸公園(もりがさきかいがんこうえん)は、大森南四丁目・五丁目にある緑道公園で、北を旧呑川の東端、南は大田区立大森第一中学校付近までの京浜運河沿いに広がる散策路になっている。遊歩道沿いに樹木や草花なども見られる。緑道途中で森ヶ崎水再生センターに接している。都立海上公園の大森緑道公園が2013年4月1日付で大田区に移管された公園である[30]。
