羽田空港 (大田区)

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羽田空港
町丁
北緯35度32分58秒 東経139度46分47秒 / 北緯35.549436度 東経139.779839度 / 35.549436; 139.779839
日本の旗 日本
都道府県 東京都の旗 東京都
特別区 大田区
地域 蒲田地域
人口情報2023年(令和5年)1月1日現在[1]
 人口 0 人
 世帯数 0 世帯
面積[2]
  14.445971254 km²
人口密度 0 人/km²
標高[3] −7.5 - 14.6 m
郵便番号 144-0041[4]
市外局番 03(東京MA[5]
ナンバープレート 品川
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プロジェクト 日本の町・字
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羽田空港(はねだくうこう)は、東京都大田区町名。現行行政地名は羽田空港一丁目から羽田空港三丁目。郵便番号は144-0041[4]

現在は東京国際空港(通称:羽田空港)及び関連施設の敷地が多くを占めるが、かつては穴守稲荷神社や羽田穴守海水浴場、羽田競馬場などを中心とした首都近郊の一大観光地として知られた。

河川

大田区の沿岸部に所在し、多摩川を挟んで神奈川県川崎市川崎区浮島町殿町海老取川を挟んで羽田羽田旭町東糀谷大森南京浜運河東京湾を挟んで昭和島京浜島城南島令和島などと接する。

歴史

今の羽田空港一丁目・二丁目付近にあたる地域は「羽田浦」などと呼ばれ、元禄天明の頃にはが一面に密生した干潟であった[6]

武蔵国荏原郡羽田猟師町で代々名主をしていた鈴木彌五右衛門という人物がいた。この彌五右衛門は羽田浦の東方にある干潟に目をつけ、その数町歩にわたる干潟を埋め立てて、新しい田畑を開発することにした[7]。そこで彌五右衛門はこの干潟を羽田村の名主石井四郎右衛門より譲り受けて、この干潟に堤防を作って開墾を始めた。この際、彌五右衛門は猟師町の名主職を嗣子に譲り、 自ら移り住んで開拓に取り組んだという[8]。この開墾事業は無事に成功したが、東京湾多摩川に面する埋立地という環境のため、常に高潮洪水などの水害の危険を孕んでいた土地であった。そのため彌五右衛門は、作物を植えるところは高く土を盛り、また堤防を強くするために数千本のの木を植えることにした。この松の防潮林は、その後成長すると、沖から眺めると非常に美しい景観となった。それでこの地は、その地形から「扇ヶ浦」とか、元々一つの小さな島があったことから「要島」と人々から呼ばれるようになる。

1829年文政12年)、この開墾地は羽田猟師町から分かれて「鈴木新田」と名付けられた。その後、羽田村・羽田猟師町・鈴木新田の三集落を合わせて「羽田三ヶ村」といわれるようになった[7]

1889年5月1日、町村制の施行により、荏原郡麹谷村・萩中村・羽田猟師町・羽田村と合併し、東京府荏原郡羽田村大字鈴木新田となる。

1907年10月8日、羽田村が町制施行して、東京府荏原郡羽田町大字鈴木新田となる[注 1]

1932年10月1日、荏原郡羽田町が東京市へ編入され、新設された蒲田区の一部となる[10][注 2]。あわせて、鈴木新田も「羽田穴守町・羽田鈴木町・羽田江戸見町・羽田御台場・鈴木御台場」に改称・分割される。

  • 旧羽田穴守町:現羽田空港一丁目及び二丁目の一部、町域は現B滑走路の南端付近[11]。穴守稲荷神社をはじめ、鉱泉宿や料亭、土産物屋など多種多様な商店が並ぶ門前町の中核であった[12]
  • 旧羽田鈴木町:現羽田空港一丁目及び二丁目の一部、町域は現荏原製作所の対岸付近から現羽田空港ワークステーション付近に亘ってL字型に広がっていた[13]。商店が集まっていた穴守町とは対象的に、数多くの人家が集まっており、玉川弁財天や鈴納稲荷神社も鈴木町内に鎮座していた。また、東西に穴守線が通り、終点の穴守駅も鈴木町内にあった[14]
  • 旧羽田江戸見町:現羽田空港一丁目及び二丁目の一部、町域は現羽田空港一丁目の北半分にあたり、東京モノレールの整備場駅のほか各航空会社の関連ビルや整備工場・格納庫など多くの建物が並んでいる[15]羽田運動場や鴨場、のちには東京国際空港の前身である国営の民間飛行場・東京飛行場が所在し、穴守町・鈴木町と比較して住民はほとんどいなかった[16]
  • 旧羽田御台場・鈴木御台場・猟師町御台場:現羽田空港二丁目の一部、町域は第3ターミナル付近。羽田競馬場が所在した。

1943年(昭和18年)7月1日、東京都制により東京府と統合されて東京市は廃止[17]東京都蒲田区羽田穴守町・羽田江戸見町・羽田鈴木町・羽田御台場・鈴木御台場となる。

1947年(昭和22年)3月15日、蒲田区が大森区と合併し、東京都大田区羽田穴守町・羽田江戸見町・羽田鈴木町・羽田御台場・鈴木御台場となる。

1967年(昭和42年)5月1日、住居表示が実施され、東京都大田区羽田穴守町・羽田江戸見町・羽田鈴木町・鈴木御台場・羽田御台場及び猟師町御台場が、現行の地名である東京都大田区羽田空港一丁目および二丁目になる。

1993年(平成5年)7月1日には住居表示を実施され、羽田空港三丁目が設置される。

沿革

町名の変遷

東京市編入時の町名の変遷[21]
実施後 実施年月日 実施前(いずれも羽田町
羽田鈴木町 1932年10月1日 大字鈴木新田字宮ノ下・字鈴納耕地・字巽ノ方・字明神崎・字辰巳之方・字堤外東南
羽田穴守町 大字鈴木新田字東崎・字堤外東北・字堤外乾続
羽田江戶見町 大字鈴木新田字江戶見崎・字江戶見崎北ノ方
羽田御臺場 大字羽田字御臺場
鈴木御臺場 大字鈴木新田字辰巳島・字御臺場・字御臺場耕地続中堤防ノ内・字御臺場耕地続中堤防外北ノ方・字御臺場耕地
獵師町御臺場 大字羽田獵師町字御臺場
住居表示実施前後の町名の変遷[42][36]
実施後 実施年月日 実施前
羽田空港一丁目 1967年5月1日 羽田江戸見町の一部、羽田鈴木町の一部、羽田穴守町の一部
羽田空港二丁目 羽田御台場、猟師町御台場、鈴木御台場、羽田江戸見町の一部、羽田鈴木町の一部、羽田穴守町の一部
羽田空港三丁目 1993年7月1日 羽田空港三丁目、京浜八区B区、京浜九区A区、京浜九区B区第一工区、京浜九区B区第二工区、羽田沖埋立地第一工区、羽田沖埋立地第二工区A区、羽田沖埋立地第二工区B区、羽田沖埋立地第三工区A区イ区、羽田沖埋立地第三工区A区ロ区、羽田沖埋立地第三工区B区イ区、羽田沖埋立地第三工区B区ロ区、羽田沖埋立地第三工区C区、羽田沖埋立地第三工区D区イ区、羽田沖埋立地第三工区E区、羽田沖埋立地第四工区A区イ区、羽田沖埋立地第四工区A区ロ区、羽田沖埋立地第四工区B区イ区、羽田沖埋立地第四工区B区ロ区、羽田沖埋立地第四工区B区ハ区、羽田沖埋立地第四工区B区ニ区、羽田空港二丁目南東側地先公有水面、羽田空港二丁目地先国有水没地、羽田空港三丁目地先公有水面羽田沖埋立地第四工区B区ホ区、羽田沖その三埋立地第一工区、羽田空港二丁目東側地先公有水面羽田沖その三埋立地第二工区

人口

戦前は1200世帯3000人の住民がいたが、戦後の連合国軍による強制接収以降は、0人となった。その後、羽田空港一丁目に全寮制の航空保安大学校が創設され、寮生160人前後の住民がいた。しかし、2008年(平成20年)3月に同校が大阪府泉佐野市に移転したため、人口は再び0人となった。それから現在に至るまで、羽田空港の人口は常に0人である[43]

学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年3月時点)[44][45]。ただし、住民不在のため、実際には通学する児童・生徒はいない。

丁目番地小学校中学校
羽田空港一丁目全域大田区立羽田小学校大田区立羽田中学校
羽田空港二丁目全域
羽田空港三丁目全域

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[46]

丁目事業所数従業員数
羽田空港一丁目 118事業所 4,536人
羽田空港二丁目 159事業所 4,728人
羽田空港三丁目 403事業所 44,306人
680事業所 53,570人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[47]
603
2021年(令和3年)[46]
680

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[47]
53,723
2021年(令和3年)[46]
53,570

交通

施設

その他

日本郵便

脚注

関連項目

外部リンク

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