大橋武尊
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横浜DeNAベイスターズ時代 (2023年4月8日、ヤクルト戸田球場にて) | |
| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | 東京都港区[注 1] |
| 生年月日 | 2001年5月16日(24歳) |
| 身長 体重 |
178 cm 74 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | NPB / 2021年 育成選手ドラフト3位 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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大橋 武尊(おおはし たける、2001年5月16日 - )は、東京都港区出身[2][3][注 1]の元プロ野球選手[注 2](外野手)。左投左打。
プロ入り前
会社経営者の父とキャビンアテンダントの母を持ち[2][4]、当時東京都港区南麻布にあった愛育病院で生まれた。3歳まで六本木の高層マンションに暮らし、その後は高輪、中央区の勝どきで育った[4]。
中央区立豊海小学校1年生の時に月島ライオンズで野球を始める。中央区立銀座中学校では野球部に所属せず、個人トレーナーを付けて練習していた[2]。
その後、日本の高校ではなくアメリカ合衆国のIMGアカデミーに進学[2][3]。幼少期にアメリカ合衆国ロサンゼルスに行ってメジャーリーグベースボール(MLB)の試合を観戦したときに自分もアメリカでプレーしたいと思ったのがきっかけだった[2][3]。アカデミーのチームメイトにはバリー・ボンズや上原浩治の息子がいた[2]。
茨城時代
MLB入りの夢は果たせず、3年でアカデミーを卒業した後も1年間IMGで過ごした[5]後に帰国した。2021年2月にアレックス・ラミレスの紹介でルートインBCリーグの茨城アストロプラネッツのトライアウトを受験して合格し、入団[6]。シーズン開始直後は安打と盗塁を量産したものの、同年8月以降は15試合で25打数2安打と極端な打撃不振に陥り[7]、最終的には55試合に出場して打率.217、13打点、28盗塁を記録した[8]。その一方、投手としても1試合に登板し、打者1人を抑えている[7]。茨城時代のチームメイトには山中尭之と、のちに再び同僚となる渡辺明貴がいた。
DeNA時代
2021年10月11日に行われたNPBドラフト会議にて、横浜DeNAベイスターズから育成選手ドラフト3位指名を受けた[9]。12月1日に支度金300万円、年俸340万円で仮契約した[10]。背番号は105[11]。IMGアカデミー出身の選手としては初のドラフト指名選手となった[12]。
2022年のオープン戦は一軍帯同し、3月3日の対広島東洋カープ戦(横浜スタジアム)では代走で登場し、二盗と三盗を決めた上に、初打席でも安打を放つなど、2打数2安打2盗塁と躍動した[13]。シーズン中は二軍で過ごす。9月4日のスクリーニングPCR検査で新型コロナウイルスの陽性判定を受け、発熱と頭痛、喉痛、倦怠感の症状があり、一時隔離療養してたが[14]、12日に復帰した[15]。イースタン・リーグ公式戦58試合に出場し、14打点、12盗塁、打率.280の成績を残した[16]。
2023年は前年を上回るイースタン・リーグ公式戦81試合に出場し、打率.226、13打点、11盗塁と前年より成績を落としたものの[17]、7月頃から打撃で掴めたものがあったといい、翌年の支配下登録を志していた[13]。しかし、公式戦日程終了直後の10月3日、育成選手制度の3年の期間を待たずに翌年の契約を結ばないことが発表された[18]。大橋自身は翌年の志を上に見据えていたこともあり、まさかの出来事だったといい、寮の自室に戻ると号泣してしまった。親には泣きながら「こんなことでやめられない。もっと上にいって、もっと楽しく野球をするから、それまで待っていて」と伝えたという[13]。
メキシカンリーグ時代
2023年11月1日、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(メキシカンリーグ)のアグアスカリエンテス・レイルロードメンと契約合意したことが発表された[19]。前述のDeNAから戦力外通告を受けた10月3日の夜には気持ちを切り替えてエージェントに相談し、同月初旬にはメキシコ入りを決めていたという。NPBの12球団合同トライアウトへ参加する前に次の所属先を決めたのは「待ちながら、というのが嫌いなんです」という理由からで、海外へ行くことにも抵抗はなかったという。2024年は実戦感覚を取り戻すため、2月に1度渡米し、トラベリングチーム "アジアンブリーズ" への参加を経てから、メキシコに渡ってチームに合流する予定だった[20]。しかし、実際にレイルロードメンでプレーすることはなく、5月18日、同リーグのキンタナロー・タイガースと契約を結んだ[21]。39試合に出場し、打率.250、1本塁打、5打点、9盗塁の成績を挙げていたが、7月14日に退団となった。
メキシカンリーグ球団退団後
キンタナロー退団後は、アレックス・ラミレスが結成した特別編成チーム "ジャパンブリーズ" に加わり、2024年12月のベネズエラ遠征に参加した。同国冬季リーグ "リーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル"(LVBP)選抜とのオールスターゲームに1番・指名打者として先発出場したが、4打数無安打2三振に終わった[22]。2025年1〜2月にもジャパンブリーズに加わってメキシコ遠征に参加し、カリブ海沿岸諸国のウィンターリーグ王者が集う国際大会・第67回カリビアンシリーズに出場した。チームの全4試合に中堅手として先発出場し、うち3試合では1番打者を務めた。
その後は日本に戻り、現役を退かないまま、野球教室「TAKERU BASEBALL ACADEMY」(大橋武尊野球教室)を開設し、野球指導を行う[23]。