小寺弘之
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父は佐賀県、母は茨城県の出身。父の仕事の都合で誕生して間もなく台湾(日本統治下)に移住し、再び東京に戻る。戦時中は母の故郷である茨城に疎開するが、終戦後に東京に戻り小学校に入学する。しかし、小学1年の1学期までで東京を去り、函館、熊本、広島、名古屋と転居を繰り返し5つの小学校の転校を経験する。中学校も名古屋から芦屋に移り、高校は兵庫県立芦屋高等学校に入学するが高校2年の2学期に東京へ転居し、東京都立新宿高等学校に入学した。
1963年3月、東京大学法学部を卒業し、自治省に入省した[1](大臣官房総務課)[2]。1965年、愛知県総務部行政調査課企画係長。1967年、自治省選挙局選挙課。1968年4月、群馬県衛生民生部医務課長。1970年、群馬県企画部企画課長。1972年12月、群馬県総務部財政課長。1976年、群馬県参事 兼 秘書課長。1978年9月、群馬県総務部長。1982年10月、群馬県副知事就任。
1991年7月28日、群馬県知事に就任し、以降4期務めた。2007年7月22日、5期目に挑戦するが、自由民主党公認の大澤正明に敗北した。
2008年1月、「緑と風の会」を発足させた。2009年12月、民主党選挙対策委員長の石井一から第22回参議院議員通常選挙への立候補を要請され、出馬の意思を固める。2010年1月、第22回参議院議員通常選挙の比例区に民主党公認で立候補する意向であることが明らかとなる。2010年7月11日、第22回参議院議員通常選挙の比例区(民主党公認)で落選する。
2010年12月21日、病気により、東京都内の病院で死去した[3]。70歳没。没後、群馬県知事4期の実績等を評価され、日本政府より正四位・旭日重光章の追叙を受けた[4]。