岩谷良平
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| 岩谷 良平 いわたに りょうへい | |
|---|---|
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2025年6月、小岩駅前にて | |
| 生年月日 | 1980年6月7日(45歳) |
| 出生地 |
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| 出身校 | 京都産業大学大学院法務研究科修了 |
| 前職 |
行政書士 カフェチェーン会社社長 |
| 所属政党 |
(大阪維新の会→) 日本維新の会/大阪維新の会 |
| 称号 | 法務博士(専門職) |
| 公式サイト | 岩谷良平オフィシャルサイト |
| 選挙区 | 大阪13区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 在任期間 | 2021年11月2日[1] - 現職 |
| 選挙区 | 大阪市東成区選挙区 |
| 当選回数 | 1回 |
| 在任期間 | 2011年 - 2015年 |
その他の職歴 | |
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代表:吉村洋文 共同代表:前原誠司 (2024年12月2日[2] - 2025年8月12日) | |
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代表:吉村洋文 共同代表:前原誠司 (2024年12月2日[2] - 2025年8月12日) | |
岩谷 良平(いわたに りょうへい、1980年6月7日 - )は、日本の政治家、実業家、行政書士。日本維新の会所属の衆議院議員(3期)。
大阪府守口市出身[4]。十人兄弟の五男として生まれる[5][6]。祖父は町工場、父は不動産会社を経営する個人事業主の家庭であった[6]。弟に神戸市議の岩田栄成がいる[7]。
金蘭千里高校から早稲田大学法学部に進学、関西に戻り京都産業大学大学院法務研究科修了[5]。弁護士を目指し司法試験を受けたが合格点に1点足らず不合格になったという[5][6]。その後、父の会社で半年勤め、上京し上野で行政書士事務所を立ち上げる[6]。
行政書士として2年働き、2011年4月の大阪府議会議員選挙で大阪市東成区選挙区から大阪維新の会公認で立候補し初当選[5]。
2015年の大阪府議会議員選挙には立候補せず、一旦は政界を引退し家業の不動産会社を引き継ぐ[6]。
2016年には不動産業の社長に就くも家業から飲食に興味が移り、同年12月にK&BROTHERS株式会社を起業。
起業後は米国を発祥とする喫茶店グリーンベリーズコーヒー、クロニックタコス、ピッツァクチノバといったブランドとフランチャイズ契約を結び、東京、大阪、兵庫など都市部を地盤とした飲食店経営に参画[6][8][9]。
岩谷はこの間の経歴について「米国カフェチェーン日本本部社長等」としている。
コロナ禍の2020年3月22日、起業した飲食店業の社長を降りて政界復帰を果たす。
2021年10月31日投開票の第49回衆議院議員総選挙では自由民主党前職の宗清皇一らを破り初当選[11]。
2024年10月27日投開票の第50回衆議院議員総選挙で、宗清ら3人を破り、再選した[12]。12月2日、前日の日本維新の会代表選挙で当選した大阪府知事吉村洋文による新執行部が発足し、岩谷は幹事長に就く[13]。
2025年8月5日、7月の第27回参議院議員通常選挙での維新の不振を受け、共同代表の前原誠司ら他の役員3人と共に辞意を表明[14][15]。
2026年2月8日投開票の第51回衆議院議員総選挙では、宗清らとの6人での争いを制し、3選された[16]。
人物
- 妻、子1人の3人家族[5]。
- 町工場を経営していた祖父は戦時中に出征を経験、九死に一生を得た戦争体験を岩谷に語り、戦争物の映画などを見に連れて行ってくれたりしたという[5]。
- ラグビースクールに通い、東大阪市の花園は何度も試合をした馴染みの場所という[5]。
- 岩谷によると100万円を借り行政書士として独立したことで金銭には苦労し、友人宅での居候生活を経て事務所を軌道に乗せたとしている[5]。
- 大阪維新の会が結成されると、その思想や理念に衝撃を受け、候補者公募に応募した[5]。金なし、コネなし、地盤なしと、いわゆる「三バン」がない中、地道な活動を続けた結果、大阪府議会議員に当選することができたとしている[5]。