島崎文治
From Wikipedia, the free encyclopedia
経歴
エピソード
島崎が監督に就任した頃、法大ラグビー部は低迷期に入っていたが、その理由として、「合宿所の玄関は、常時靴が散乱の状態」「挨拶がまともにできていない」が挙げられると考え、当時コーチだった武村秀夫とともに、学生に徹底的な改善を促した。
最初のうちは学生との軋轢を生んだが、繰り返し訴えることにより改善していった結果、成績のほうも上向くようになり、1991年に行われた、同年度の全国大学ラグビーフットボール選手権大会(以下、大学選手権)出場権をかけた早稲田大学との交流試合において、ノーサイド直前までリードし、11年ぶりの同大会出場目前までこぎつけた。その後、早稲田の増保輝則に逆転トライを許し敗れたものの、『法政復活の兆し』を強く印象付ける試合となった。
そして翌1992年度シーズン、武村に監督職を譲り、自らはコーチとなったが、上記の悔しい敗戦を糧にした法大フィフティーンは、当時関東大学ラグビーリーグ戦グループにおいて盟主的存在だった大東文化大学を下し、8年ぶりに同リーグを優勝。この勢いは大学選手権でも続き、準決勝で当時2連覇中の優勝候補、明治大学を42-18で圧倒。決勝で対戦した早稲田戦は、逆転また逆転という攻防の末制し、25年ぶりに大学日本一を掴んだ。
関連項目
| 1930年代 (19名) | |
|---|---|
| 1950年代 (27名) | |
| 1960年代 (11名) | |
| 1970年代 (25名) | |
| 1980年代 (28名) | |
| 1990年代 (30名) | |
| 2000年代 (56名) |
|
| 2010年代 (45名) | |
| 2020年代 (20名) | |
この項目は、日本のラグビーユニオン関連人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:ラグビー)。 |