戦時農園
From Wikipedia, the free encyclopedia
第一次世界大戦

第一次世界大戦期、とくにヨーロッパでは、農業従事者が兵役に取られて食糧生産は劇的に低下していた。
- アメリカ
- 1917年、第一次世界大戦期のアメリカで5本の指に入る富豪、3代目木材商Charles Lathrop Packによって「勝利の庭」が啓蒙された。このキャンペーンは、利用可能な私有地と公有地での栽培を促進し、米国に500万以上の農園を生み出した[1]。戦争の終結までに12億ドルを超える食料生産を行った[2]。
- これらの取り組みに、陸軍省による資金提供や、教育庁を通じて United States School Garden Army が発足され支援が行われた[3]。
- 大統領ウッドロウ・ウィルソンは、ホワイトハウスの庭に羊を放牧し、芝刈りの経費を削減し、羊毛をオークションにかけ手に入れた$52,823を赤十字に寄付した[4]。
- カナダ
- 農業省のキャンペーン「各家庭で野菜園(A Vegetable Garden for Every Home)」によって、1917年にカナダで一般的になった。トロント市では、女性団体が専門家の園芸家を学校に連れて来て、学校の子供や家族が園芸に興味を持つようにした。じゃがいも、キャベツ、ビーツ等の有用な野菜の栽培のほか、ニワトリの飼育も奨励された[5]。
第二次世界大戦

- アメリカ
- 日系人の強制収容によって農業人口の減少が起きてしまっていた。カリフォルニア農務局の統計では、カリフォルニアで生産される野菜の40%が日系人によって栽培されていた。これらの土地は没収・強制買い上げされ、ヨーロッパの戦争難民や巨大砂嵐ダストボウルなどの自然災害被災者へ渡った。しかし、カリフォルニアの気候も知らず、農業の経験もない人間では日系人が抜けた穴を補うのは難しかった。この結果、多くの農業資源が失われた[6]。
- 地元のコミュニティは、それぞれの人が自分の庭で育った農産物を紹介するための祭りやコンテストを開催し、それによって地域社会を結束させたが、一部の地域では人種差別的な開催で有色人種に贈られる賞もあった[9]。
- 愛国的な義務とされるが、アンケートの結果では愛国心からというのは20%で、国民の54%は経済的な理由からという結果となっている[10]。
- 戦争が終結すると食料供給がすぐに戻る期待から多くの戦時農園は閉鎖されていった。
- イギリス
- 「digging for victory」キャンペーンを打ち出し、アパートの屋上、鉄道の端などを活用、多くの公園、運動競技場、ゴルフ場を徴収して農園とした。バッキンガム宮殿やウィンザー城の庭も菜園となった[11]。これらの活動によって、1943年までに、菜園の数は1,400,000と倍増した[12]。
- オーストラリア
- 農業労働者の不足から、1942年にDig for Victory campaignを打ち出した。翌年には状況が緩和したが、終戦まで活動が続けられた[13]。
振興活動


国によっては、映像やポスターなどのあらゆる媒体で戦時農園を促進した。
- 映像作品
- World War II
- He Plants for Victory (1943)
- World War I
- Grow Vegetables For War Effort
- War Garden Parade
- World War II
- Dig For Victory! (1940, 1941, 1942)
- Children's Allotment Gardens (1942)
- Compost Heaps for Feeding (1942)
- Digging For Victory (1943)
- Winter Greens (1943)
- Blitz on Bugs (1944)
- Dig for Victory - Proceed According To Plan (1944)
- World War II
- Victory Gardens (1941, 1942, 1943)
- Barney Bear's Victory Garden (1942)
- As Ye Sow (1945)
- World War II
- 日本ニュース(社団法人日本映画社) 第210号・食糧増産に空閑地を利用(公開:1944年6月8日)[15]
- ラジオ
- World War II
- Science and Gardening
