扇一平
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兵庫県西宮市で生まれた。3歳の時に両親らとともに神奈川県藤沢市へ移住した。以来、湘南の海を見ながら育った。
藤沢市立鵠洋小学校、藤沢市立湘洋中学校、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業した。1978年、文化放送にアナウンサーとして入社した。
アナウンス部、報道部デスク・警視庁キャップを経て、2007年にスポーツアナウンサーの集団であるスポーツ部へ復帰した。その後2011年12月に人事異動で編成局制作部所属アナウンサー兼プロデューサーとして活動した。定年退職後の2015年7月、株式会社トミッシュジャパンを設立し代表に就任した。ボウリングを通して「子どもたちの笑顔支援」「視覚障害者ボウリング支援」という社会貢献活動CSSを行なっている。
2019年より親友である全国化粧品日用品卸連合会(全卸連)会長の森友徳兵衛と共にプロボウラーへの試合支援、アマチュアシニアボウラーの元気を応援、ボウリング界を盛り上げようと、全卸連プレゼンツJPBA☆SSSカップを立ち上げ話題となる。2020年もコロナ禍の中、第2回を成功させた。同時に扇はこのトーナメントのスカイAパーフェクトボウリングスペシャルの実況も行っている。
人物
声優としても、ハリウッド映画『ドリヴン』(シルベスタ・スタローンのレース映画)の頻繁に登場するレースアナウンサー役や、『プロジェクトA子』などのアニメ作品にも数多く出演している。
多芸としても知られる。
- モータースポーツはA級ライセンスを所持する。かつて文化放送が特別番組としてル・マン24時間レースを実況した。
- ボウリングはプロ級で湘南で桑田佳祐と共にレーンに立っており、担当の『辻よしなり ラジオグラフィティ』ではボウリング復興計画を推進した。全日本ボウリング協会から特別功労賞を受けた。また、ボウリング世界選手権にも出場したことがある。
- 天体観測も、学生の時に天体観測技術者の認定を学会から受けており、文化放送番組内で生中継したハレー彗星やしし座流星群の実況は高く評価された。
- ゴルフはシングルの腕前で、文化放送のゴルフ番組は扇が作り上げたとされる。テレビ・ラジオのアナウンサーたちが一堂に会してのゴルフ大会での優勝も数多い。
- バイクも大好きで中国シルクロード2000キロをバイクで走破し、スペシャル番組まで作り上げ、バイク雑誌『ミスターバイク』の表紙を飾り特集までされた。
- 『OZ magazine』に恋愛小説の連載や、超能力アナウンサーが活躍する単行本『グーダラ・グダラ』を出版している。
エピソード
- かつてクラブ歌手をしていたことがある。
- かつて後楽園球場で日本ハム対阪急戦の実況をしていた際、実況ブースでウェイン・ケージ(阪急ブレーブス)の打ったファウルボールの直撃を受けたことがある。
- 最初のアナウンス部時代にはスポーツ実況も担当していた(当時は現在とは異なり、スポーツアナウンサーもアナウンス部に所属していた)が、2007年から2011年のスポーツ部所属時はデスク業務やスタジオ担当が主で実況は担当しなかった。2008年北京オリンピック中継ジャパンコンソーシアムにもデスク担当で派遣されアナウンスはほとんど担当しなかった。
- 『文化放送ライオンズナイター』ではスタジオ担当が多いが、2010年度にスタジオ担当だった時のライオンズは13勝12敗と高い勝率である(本人談)。
- 『ハッとミラクル!!アイドルナイター』放送当時には一部の熱狂的なファンによるファンクラブが存在し、本人も公認していた。
- リスナーを大事にすることでも有名で、深夜放送『ヤングタウンAM』担当時には、はがきを投稿した1万人以上に直筆の返信をした。
- 当時のラジオ雑誌『ラジオマガジン』でのDJ人気投票では、同じく文化放送アナウンサーだった吉田照美を抜いて全国ベストテン入りしたという。
- サザンオールスターズの桑田佳祐とは幼馴染であった。
- 近藤真彦から兄のように慕われており、近藤の結婚パーティーの司会をしたり、よく2人でバイクツーリングやドライブ、ゴルフをしていた。また、イベントなどで握手会をしない近藤を、番組の公開録音では扇のひとことで握手会をさせてしまうほどだった。
- 桑田や近藤のほかには、工藤夕貴、渡辺真知子、土屋圭市、ブラザー・コーン、神谷明、山口良一らと親交が深い。
- 本名の姓と名の切れ目がわかりづらく、銀行などで「せんいつ へい様」と呼ばれることがあったという(本人談)。
- 母校である慶應義塾創立150周年の催しでは、総合司会を務めた。