多昌博志

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生年月日 (1963-04-01) 1963年4月1日
没年月日 (2026-04-07) 2026年4月7日(63歳没)
最終学歴 中央大学法学部卒業
たしょう ひろし
多昌 博志
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 神奈川県川崎市
生年月日 (1963-04-01) 1963年4月1日
没年月日 (2026-04-07) 2026年4月7日(63歳没)
最終学歴 中央大学法学部卒業
勤務局 日本テレビ放送網
部署 ティップネス(出向)
職歴 日本テレビアナウンサー→日本テレビ営業局営業戦略センター営業企画部長→コンテンツ事業局次長兼事業推進部長→事業局次長兼コンテンツ事業部長。
活動期間 1985年 - 2026年
ジャンル 報道・スポーツ中継
出演番組・活動
出演経歴 劇空間プロ野球

多昌 博志(たしょう ひろし、1963年4月1日 - 2026年4月7日)は、日本のアナウンサー、実業家ティップネス取締役常務執行役員〈日本テレビ放送網社長室出向局次長現職出向〉)。日テレ学院第6代学院長。神奈川県川崎市[1]出身。

日本テレビ元アナウンサー桐蔭学園高校中央大学法学部卒業。

1985年に日本テレビ入社。同期には鷹西美佳・日高直人がいる。アナウンサー時代は主としてスポーツ中継(プロ野球サッカー箱根駅伝など)が中心だったが、その後はスポーツから退き報道・情報番組のレポーターやスタジオキャスターを担当していた。1998年には『 “今世紀最後”アメリカ横断ウルトラクイズ』で、決勝開催地なった西インド諸島に司会の福留功男が万が一未到着となった場合に備え、現地に先乗りしスタンバイしていたが、福留は無事到着し、オンエアに登場しなかった。

アナウンス部より営業局営業推進部に異動となり、2010年7月1日より営業局営業戦略センター営業企画部長。2012年6月1日よりコンテンツ事業局次長兼事業推進部長(2013年に事業局に改正)。2014年6月1日よりコンテンツ事業部長兼務。2016年6月1日より社長室出向局次長扱いとしてティップネスに出向。コンテンツ事業部長の後任は篠宮浩司

2023年に日テレイベンツ取締役[2]、2025年時点で常務取締役として6月より日テレ学院6代目学院長[3]を務め、後進の育成などに尽力した。

アナウンサー時代に担当したスポーツ中継では斎藤雅樹巨人・当時)の11試合連続完投勝利(1989年7月15日、対ヤクルト戦)、松井秀喜(巨人・当時)のプロ入り初ホームラン(1993年5月2日、対ヤクルト戦)、ON対決と言われた2000年の日本シリーズ第2戦[4]長嶋茂雄が巨人の監督を勇退した2001年の本拠地最終戦 (9月30日、対横浜戦)、オールスターゲームでは2002年の第2戦(松山坊っちゃんスタジアム)を実況。また、トヨタカップの実況を1996年(ユヴェントスCAリーベル・プレート)と2001年(バイエルン・ミュンヘンボカ・ジュニアーズ)の2回担当した。

コンテンツ事業局時代はアニメーション番組の企画・制作を中心に携わり、子会社のタツノコプロで取締役(非常勤)を務めた。

2026年4月7日、入院療養先の神奈川県内の病院において多発肝腫瘍のため死去[5][6]63歳没

エピソード

1970年代当時は太田裕美ファンで“最愛のアイドル”だったとのことだが、薬師丸ひろ子のデビュー後は薬師丸ファンにもなっている[7]

1987年6月28日に放送された「NNNニューススポット」のオープニングのBGMが、間違えて「笑点」のテーマソングが流れた時のニュースを担当していた[8]

1999年1月18日から1月22日まで放送されたNNNニュースプラス1のスポーツコーナーを、冬休み中の蛯原哲に代わり担当した。

担当番組

関連項目

脚注

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