東京都 出身。早稲田大学高等学院 、早稲田大学政治経済学部 卒業後、1964年にNHKにアナウンサーとして入局。
音楽好きであることや高校・大学時代に合唱をしていた経験もあって、NHK入局時にもアナウンサーではなくミュージカルを担当する音楽ディレクターを志望していたが、米子支局(現在は鳥取放送局のエリア)在籍時代に、高校野球秋季中国大会での岡山東商 ・平松政次 と関西 ・森安敏明 の投手戦の実況を務めて感動し、スポーツアナウンサーを目指すことになった。
その後は一貫してスポーツ畑を歩み、水泳 、ゴルフ 、陸上競技 、などさまざまな競技の実況を担当。夏・冬あわせて8回務めたオリンピック では要となる実況アナウンサーで、岩崎恭子 、鈴木大地 、清水宏保 の金メダル実況でも知られる。金メダル決定の瞬間は絶叫だったため、一部の視聴者から批判されたこともある。1998年にNHKで放送された自己批評番組 『あなたの声にこたえます 』では1998年の長野冬季オリンピック中継の際に寄せられた苦情・抗議の投書の一部が紹介され、島村本人もVTR収録で出演し、この事について説明していた。
金メダル実況以外には1992年のバルセロナオリンピックでは男子フルマラソンで谷口浩美 が中間点過ぎの給水時に転倒し、さらにシューズが脱げて履き直すアクシデントが起きた実況も担当した。
プロ野球 中継では、近鉄バファローズ の重要な試合に関わることが多く、球団史上初めてリーグ戦を制覇した1975年のパシフィック・リーグ 後期優勝決定試合(阪急西宮球場 での対阪急 戦)や1979年の日本シリーズ 最終戦(大阪スタヂアム での対広島 戦。「江夏の21球 」で有名)などを担当した[ 1] 。
スポーツ中継以外には1995年頃 [ いつ? ] までは不定期で年数回ニュース(ラジオ中心)も担当していた。1995年11月30日には1度だけ『NHKニュースおはよう日本 』でスポーツコーナーを担当していたが、これはNHK労組のストライキによるキャスター代行のためであった。
2000年に定年退職し、フリーとなる。落合博満 は『週刊ベースボール 』のコラムに「野球が分かっているアナウンサーがまた一人いなくなる」と執筆している。以後は民放のBS・CS放送を中心にJ SPORTS でのプロ野球中継 やWOWOW でのテニス 、全米プロゴルフ選手権 の中継などを担当。フジテレビONE では『さらば、愛しきプロ野球…。 』のインタビュアーも務めている。フリーになってからはNHKの番組出演はないものの、2012年にNHKオンライン 内の特設サイト「全力応援!ニッポン Road to London」にあるオリンピックコラムの執筆者(過去にオリンピック中継に携わったアナウンサーや記者)の一人としてNHKから依頼を受けた仕事に携わっている。
また、スポーツジャーナリストとしても、2003年シーズン途中にオリックス・ブルーウェーブ の監督を解任された石毛宏典 に対し「石毛さんは自分を光らせることには秀でていた。しかし、他人を光らせることに関しては疑問符が付く」と語るなど活躍している。
同じくフリーアナウンサーとして活躍する節丸裕一 は弟子で、事務所に所属する唯一のアナウンサーだった。その後、独立している。