手塚 (上田市)
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歴史

町名の由来
伝承によると奈良時代、塩焼王が反乱を起こした罪で信濃国へと流刑に処せられた。しかし、当地においてもなお悪政を敷き人々を苦しめたため、最期は坂上田村麻呂によって討たれた。塩焼王の怨霊を恐れた人々は遺体を切断し、両手を塚に埋葬した。これが現在の王子塚(手塚から分村した新町の王子神社境内にある)であり、当町の地名の起こりとなったという[7][8]。
沿革
- 小県郡手塚村を前身とする。古くは科野国造の金刺氏が当地に移住し、手塚姓を名乗ったとも。源義仲(木曾義仲)の家臣・手塚光盛は当地の生まれといい、光盛ゆかりの場所が残る。江戸時代は上田藩領で、寛永2年のとき新町を分村している。 明治維新後、上田県を経て長野県の所属となる[7]。
- 1875年(明治8年) - 新町を合併[7]。
- 1880年(明治13年) - 新町を分離[7]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、山田村・野倉村・手塚村・十人村・新町・前山村の区域をもって西塩田村が発足。旧村域は西塩田村大字手塚となる。町内に西塩田村役場が設置される[7]。
- 1956年(昭和31年)5月1日 - 西塩田村が別所村・東塩田村・中塩田村と合併して塩田町が発足。塩田町大字手塚となる[7]。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 塩田町が上田市に編入。上田市大字手塚となる[7]。
- 2006年(平成18年)3月6日 - (旧)上田市・真田町・武石村と合併し、(新)上田市が発足。上田市手塚となる[9]。
世帯数と人口
経済・産業
交通
施設・名所


- 塩田の里交流館「とっこ館」(手塚792番地) - 塩田平の歴史や文化を発信する施設。野外教育・交流を通じて地域活性化を図る。2009年(平成21年)10月1日に開館し、2010年(平成22年)度農業農村整備優良地区コンクールで「農村振興局長賞」を受賞した。建物は木構造の平屋建てで、敷地面積3565.41平方メートル、延床面積は499.54平方メートル。駐車場は829.7平方メートルの広さがあり、普通車33台、大型車2台が駐車できる[14]。
- 上田市塩田公民館手塚分館[15]
- さくら国際高等学校(手塚1065番地)[16] - 単位制・通信制高等学校。1995年(平成7年)に閉校した旧・上田市立西塩田小学校の校地・校舎を利用し[17]、2005年(平成17年)10月に開校した[18]。
- 上田市西塩田保育園(手塚1086番地3) - 上田市公立保育園。定員80名で、0歳児から入園可能[19]。
- 無量寺(手塚422-2)[20] - 浄土宗の寺院。山号は光栄山[7]。弘治元年(1555年)の創建。仙石忠政の家臣であった奥田政勝が土地を寄進したという。境内の願王宝殿には「元木の地蔵」が安置されている。空海(弘法大師)が柳の木の根元から削り出したものと伝わる[21]。
- 八幡社(手塚字飯沼297) - 木製鬼板が市の文化財(彫刻)に指定されている[22]。
- 遺跡[23]
- 塚田遺跡(手塚字塚田弥生) - 平安時代の遺跡。
- 東長畑遺跡(手塚字東長畑) - 縄文時代から平安時代にかけての遺跡。
- 縄手遺跡(手塚字縄手) - 平安時代の遺跡。
- 堰口ノ二遺跡(手塚字堰口ノ二) - 弥生時代から平安時代にかけての遺跡。
- 五反田遺跡(手塚字五反田) - 縄文時代から弥生時代にかけての遺跡。
- 堰口ノ一遺跡(手塚字堰口ノ一) - 縄文時代から平安時代にかけての遺跡。
- 東紺屋村遺跡(手塚字東紺屋村) - 縄文時代から平安時代にかけての遺跡。
- 樋の口遺跡(手塚字樋の口) - 縄文時代から平安時代にかけての遺跡。
- 西紺屋村遺跡(手塚字西紺屋村) - 縄文時代から平安時代にかけての遺跡。
- 金井遺跡(手塚字金井) - 弥生時代の遺跡。
- 滝沢遺跡(手塚字滝沢) - 平安時代の遺跡。
- 東紺屋村経塚(手塚字東紺屋村) - 近世の遺跡。
- 手塚居館址(手塚字堰ノ口) - 中世の遺跡。
- 古墳[23]
防災
- 上田市消防団第16分団の管轄。手塚自治会は野倉自治会とともに、その第一班を担当する[25]。
- 南部の山際は土砂災害警戒区域に指定されている[26]。
- 沢山池が決壊した場合、産川沿線に浸水被害が生じると想定されている。川のすぐ近くでは浸水高さが5メートルを超える場所もある[27]。
- 舌喰池が決壊した場合、一部の水は産川に向かうが、大半は北へ流れ、追開沢川および湯川を流下する。町内のほか新町の農地に広く浸水被害が生じると想定されている。また、不動池が決壊した場合、池の北東方面に浸水被害が生じると想定されている。避難所の塩田の里交流館「とっこ館」は、いずれの場合においても浸水被害が生じると想定されている[27]。
その他
- 郵便番号は「386-1433」[2]。7桁化前は「386-14」[5]。管轄郵便局は上田郵便局、集配郵便局は別所郵便局(甲信・東海地方の郵便番号を参照)。
- 上田市立塩田西小学校、上田市立塩田中学校の学区[28]。当地の近代教育は1874年(明治7年)、東紺屋にあった廃堂跡に開校した「日就学校」に始まる[7](塩田西小学校の前身、詳細は上田市立塩田西小学校を参照)。
- 手塚自治会におけるごみ収集曜日は、燃やせるごみが火曜日・金曜日、プラマーク付プラスチックおよび燃やせないごみが木曜日[29]。
- 舌喰池には人柱(人身御供)伝説が伝わる。人柱に選ばれた娘が自ら舌を食いちぎり、その身を捧げたという[30](塩田平の民話#舌喰池の民話を参照)。
- 産川には人間の女性に化けた大蛇が寺僧と交わり、子を産んだという伝説がある[8](小泉小太郎伝説を参照)。