智光

奈良時代の三論宗の僧 From Wikipedia, the free encyclopedia

智光(ちこう、和銅2年(709年)? - 宝亀11年(780年)?)は、奈良時代三論宗。俗性は鋤田連(すきたのむらじ)。河内国安宿郡の出身。

頼光とともに元興寺智蔵に師事して三論を学び、聖教を周覧して「般若心経述義」「浄名玄論略述」など多くの書物を著した。

日本霊異記」によると、行基大僧正に任じられたのを妬んで行基を誹謗したため、病を得て没して地獄に落ちたが、懺悔して蘇り行基に帰依したという。なお、歴史学者の若井敏明は、行基が大僧正に任じられたときにまだ30代であったと推測される智光が40歳近くも年上の行基を誹謗すること自体が常識的に考えづらいこと、『般若心経述義』の序文によれば、天平勝宝4年(752年)頃まで松林にて修行に明け暮れていたと記しており、事実とすれば行基との接点はほとんどなかったと考えられるため、この話の原話は玄昉などの一定の地位を築いていた僧侶の話だったのではないかと推測する[1]

また、学友の頼光が没した後、頼光が智光の夢に現れ阿弥陀浄土に往生を遂げているのを見て、画工に描かせたのが、現在奈良元興寺極楽坊の残る「智光曼荼羅」と呼ばれる浄土変相図である。以後智光は浄土信仰に徹している。

脚注

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