道慈
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702年(大宝2年)第八次遣唐使船で唐へ渡り[1]、西明寺に住して三論に通じて、仁王般若経を講ずる高僧100人のうちの一人に選ばれた。718年(養老2年)15年に渡った留学生活に幕を閉じ、第九次遣唐使の帰りの船で帰国した[1]。日本三論宗の第3伝とされる。翌719年(養老3年)その有徳を賞されて食封50戸を賜った。729年(天平元年)律師に任じられ、大安寺を平城京へ移設することに尽力している。735年(天平8年)扶翼童子6人を付与された。翌736年(天平9年)大安寺大般若経転読会を始め、739年(天平12年)には大極殿最勝王経講説の講師をつとめた。
帰国後に『愚志』という書物を著して、唐と異なり教典に従っていないことが多い日本の仏教界を批判し、僧尼の質を向上させるために戒師を唐から招請することを提案した。戒師の招請は天平勝宝6年(754年)の遣唐使が帰還する際に、これに同行した鑑真の来日によって実現することになる[2]。