松島トモ子

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本名 松島まつしま 奉子ともこ
生年月日 (1945-07-10) 1945年7月10日(80歳)
国籍 日本の旗 日本
まつしま ともこ
松島 トモ子
松島 トモ子
浅草寺・浅草観音文化芸能人節分会にて(2016年(平成28年))
本名 松島まつしま 奉子ともこ
生年月日 (1945-07-10) 1945年7月10日(80歳)
出生地 満洲国の旗 満洲国奉天省
国籍 日本の旗 日本
職業 女優歌手タレント
活動期間 1949年(昭和24年) -
配偶者 独身
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松島 トモ子(まつしま ともこ、本名:松島 奉子[1](読みは同じ)、1945年昭和20年)7月10日 - )は、日本女優歌手タレント[2]。現在、毒蝮三太夫が所属する、まむしプロダクション[3]と業務提携をしている。

1955年(昭和30年)

満洲国奉天(現・瀋陽市)生まれ[4]東京都目黒区育ち。目黒区立東根小学校を経てザ・マスターズ・ハイスクール英語版卒業。現在も東京都在住。

三井物産に勤める父の仕事の関係で満洲国に母と移住した後、1945年に松島が生まれた[4]。本名の奉子は生誕地の奉天に帰する。生後まもなく満洲国からの引き揚げを体験。

乳児期に「くる病」にかかって右脚が曲がり、脚の矯正のため[4]3歳から石井漠舞踊研究所に入門し、バレエを始める。

映画館の劇場ニュースにて、石井門下の子どもたちが「小さな豆バレリーナ」としてとりあげられたところ、そこに映っていたトモ子を阪東妻三郎スカウト[4]

1949年(昭和24年)、阪東が出演する東横映画『獅子の罠』に出演し、わずか4歳で芸能界デビュー[4]。このほか、嵐寛寿郎主演の時代劇『鞍馬天狗』(杉作)、大友柳太郎との『丹下左膳』(ちょび安)、江利チエミとの『サザエさん』(磯野ワカメ)など多くの映画に出演、80本の映画で主演を務めた[2][5]

歌手としても米山正夫門下となり、1953年(昭和28年)、コロムビアより「村の駅長さん/風にゆれるレイの花」でデビュー。その後も、「三匹の子豚」(ディズニーの「狼なんか怖くない」のカバー)、「雨に唄えば」などを吹き込み、「杉作太鼓」、「悦ちゃん」、「ワカメちゃん」、「怪傑黒頭巾」、「赤いカンナの花咲けば」など映画主題歌挿入歌を吹き込んだ。

少女雑誌『少女』では、表紙を10年間一人で務め[2]、芸能雑誌『平凡』でも雑誌モデルを務めた。このように子役として活躍したが、当時松島母子の身近には子役活動に否定的な人がいたり、本人も食べていくために子役として活動していたなど複雑な思いもあったという[注釈 1]

映画『やがて青空』右端、松島(1955年)

大東学園高等学校在学中に渡米。ザ・マスターズ・ハイスクール英語版に2年間留学し、マーサ・グラハムのダンス・スクールから奨学金を貰い、研修し、帰国。

帰国後はミュージカルラジオパーソナリティ、CMでは江利チエミの後任として石垣食品ミネラル麦茶、『ひょっこりひょうたん島』の声優などで活躍を見せた。[6]

松島が70歳の時に母が認知症を発症し5年5カ月の介護生活を余儀なくされた[5]

エピソード

巣鴨プリズン慰問

1950年(昭和25年)11月19日、5歳の松島は舞踏の師匠石井漠らと共に、当時第二次世界大戦戦犯の収容施設であった巣鴨プリズンの鈴木英三郎所長から、収容所近くの米軍専用の劇場に招かれ慰問した。司会者が、三井物産タイハジャイ出張所所長であった松島の父・高橋健が奉天で召集をうけたのちシベリアに抑留され生死も不明で、松島は母と二人でかろうじて帰国したことを紹介すると、会場は静まり返った(後日、父はナホトカ郊外の収容所で1945年(昭和20年)10月29日に死亡していたことが判明)。続いて法被姿に鉢巻をしめ大きな目をした少女の松島が現れ、洋舞「かわいい魚屋さん」を踊った[4]。並んだ約1千名の戦犯らは涙を流して深く感動し、何度もアンコールし、彼女もそれに応えた。

2度の猛獣襲撃事故

1986年(昭和61年)の41歳の時に日本テレビTIME21』の撮影でケニアを訪れて、10日の間にライオンヒョウに立て続けに2度襲われ、帰国後にギプス姿で記者会見して話題になった[7]1月28日ジョイ・アダムソン(『野生のエルザ』の作者)の夫であるジョージ・アダムソンと共にナイロビコラ動物保護区英語版エルザの子孫でジョージによりラクダの肉で餌付けされ人に慣れた雌ばかり7頭らライオンの群れと接触し子ライオンと戯れていたところ、ジョージがキャンプとの無線で松島とライオン達から目を離した隙にその子ライオンの母親に襲われ、松島は宙に飛び10メートルほど引きずられサファリスーツはズタズタ、首や太腿に全治10日の怪我を負う[8](目を離していたジョージは耳が遠く助けに行くのが遅れた)。その際にジョージにより松島は助けられた。このとき周りには複数のライオンがいたが、攻撃を加えたのは一頭のみである。

10日の入院予定だったが3日で退院して仕事を再開[8]、再び別の動物保護区を訪れ、万全の態勢でロケに挑むが、10日後の2月7日に保護区のスタッフで責任者のトニー・フィッツジョン英語版と共にこの保護区で飼育されている雌ヒョウの「コムンユ」を見に、周りを高い柵で囲われた施設に行った。施設の外に出たところ、そのヒョウが夜陰に乗じて柵を跳び越えて待ち伏せており、迂闊にも目を合わせてしまった松島に体当たりで奇襲してきた。奇襲を受けて地に倒された松島はそのまま首を噛み付かれ、なおかつ持ち上げられた。このとき骨がガリガリと囓られる音が聞こえ[8]、「死んだ」と思ったという。これは、松島の隣にいたこのヒョウの飼い主のトニーが、松島と親しくしているように見えたためヒョウが嫉妬したと考えられている。また、松島の目が大きいのも襲われる理由だと後で言われた[8]

この後、松島は救助隊救急ヘリを要求したが、「夜間の飛行は危険」との理由で拒否されてしまう。結局、朝まで止血しながら耐える羽目になり、その後、朝になり救急ヘリが到着し、ようやく病院に運ばれ、第四頚椎粉砕骨折[注釈 2]という診断を受けたが、ヒョウの噛む位置があと1ミリずれていたら松島は間違いなく死んでいただろうとされる[8]。第四頚椎粉砕骨折は後遺症も無く生還するのが奇跡と言われており(高確率で死亡。良くても首から下が動かなくなる程の後遺症が残る)、松島の症例はニューヨークの学会で発表されたほどである[8][注釈 3]

ヒョウに襲われた後も撮影を続けて、2月17日に帰国、コルセットをつけて記者会見に臨み「それでも動物が好き」とコメントした[11]。このときに撮影された映像は3月31日に「それでも私はライオンが好き」と題して『TIME21』で放送された[12]

この事故が発生する前、1986年の元日に松島からアナウンサーの伊藤勉に送られてきた年賀状には、仕事でアフリカに行く予定である旨が書かれていると同時に、「ライオンに食べられないように祈って下さいませ。またお目にかかれますように」とも書かれていた。後年、この件について伊藤は「まさか本当にあんな事件が起こるとは思ってませんでしたから、笑って軽く読み流したんです。あの時は本当に私の祈りが足らなかったのではないかと悔やみました」と語った。一方、松島本人は、年賀状の効果はなかったのではないかと問われた際に「いいえ、ありましたよ。あれを書いていなかったら命があったかどうか。皆さんの祈りが通じて、噛まれただけですんだんだと思います」と返答している[8]

後年永六輔の番組にゲスト出演した際、永が「今日のスペシャルゲスト、ライオンの餌・松島トモ子!」と松島を紹介、その時は驚きのあまりステージの袖で立ちすくんだものの観客は大受けし、松島自身もその後この「ライオンの餌」が気に入ったフレーズになっており、自身の公式ブログのタイトルにも用いられている[13]

その他

私生活では幼い頃から母親と支え合うように暮らしてきたため、周りから「一卵性母子」と呼ばれるほど仲が良かった[4]。また、長年に渡って家事全般は全て家政婦にしてもらっており、2021年に母を亡くしたことで77歳にして生まれて初めて一人暮らしとなったが、現在もお手伝いさんに週5日来てもらい家事をしてもらっている[4]

ある年の浅草寺の豆まきに陸上競技指導者の瀬古利彦と共にゲストに招かれ、これが縁で交流するようになった。瀬古の方が年下だが「お兄ちゃん」と呼び慕い、時々食事に行くなどしている[4]。瀬古からは「上品で独特の雰囲気がある人なんだけど、ふわふわとして何を喋りだすかわからない。目がものすごく大きいし、ちょっと宇宙人みたいな所がある人(笑)」と評されている[4]

主な出演

映画

『鞍馬天狗 御用盗異変』(1956) 左は嵐寛寿郎

ラジオドラマ

テレビドラマ

ラジオ

バラエティー

その他のバラエティー

CM

ラジオ

テレビアニメ

吹き替え

人形劇

舞台

  • 絵本昔話狐嫁入(1988年、劇団すぎのこ) - おこん(声の出演)[23]

著書

  • 『ニューヨークひとりぼっち ミュージカル留学記』集英社 1965年(昭和40年). NCID BA3886773X 
  • 『母と娘の旅路』文芸春秋 1993年(平成5年)3月ISBN 978-4163472607
  • 『車椅子でシャル・ウイ・ダンス』海竜社 1999年(平成11年)7月ISBN 978-4759305951
  • 『ホームレスさんこんにちは』めるくまーる 2004年(平成16年)2月ISBN 978-4839701154
  • 『老老介護の幸せ 母と娘の最後の旅路』飛鳥新社 2019年(令和元年)12月ISBN 978-4864107372

ディスコグラフィ

シングル

#発売日曲順タイトル作詞作曲編曲規格品番
1 1953年A面村の駅長さん 米山正夫松尾健司 C-197
B面風にゆれるレイの花野村俊夫 米山正夫
2 1954年
3月
A面ママの思い出 米山正夫 川上義彦 A-1907
B面芝刈りローラーの歌
3 1954年
5月
A面雨に唄えば 門田ゆたかN.H.Brown馬渡誠一 JL-58
B面三匹の子豚F.Churchill冨田勲
4 1954年
6月
A面グッド・モーニング青い空 原六朗 松尾健司 C-256
B面レモンと卵
5 A面母恋人形 木下忠司 井桁三郎 A-2057
B面母の呼ぶ声[注釈 4]
6 1954年
12月
A面ニャンニャンワルツ 原六朗 C-297
B面陽気な水兵さん 原六朗松尾健司
7 1955年
2月
A面ビルマに眠るお父さま村越利一良 米山正夫 C-311
B面仔馬の誕生日 米山正夫
8 1956年
9月
A面トモ子の南極探検中地清 原六朗 C-406
B面私の日記帳 原六朗
9 B面
[注釈 5]
ワカメちゃん 原六朗松尾健司A-2612
10 1956年
12月
A面お誕生日の歌 丘灯至夫M.J.Hill
P.S.Hill
冨田勲 CP-21
B面私の誕生日 冨田勲
11 1957年
3月
A面悦ちゃん 原六朗 A-2718
B面ママ
12 B面
[注釈 6]
夕焼がらす石本美由起 上原げんとA-2726
13 1957年
5月
B面
[注釈 7]
潮来船関沢新一船村徹福田正A-2781
14 1957年
7月
A面とも子の十手さん 久保清志 冨田勲 C-452
B面とも子の子守歌
15 1957年
9月
B面
[注釈 8]
あんころ小坊主加藤省吾 堀江貞一C-466
16 1957年
10月
A面
[注釈 9]
ジングル・ベル丘灯至夫J.Pierpont堀江貞一C-473
17 1958年
1月
A面パパ・ママ・ソング獅子文六 原六朗 C-479
B面赤い風船松島トモ子
18 1958年
3月
A面靴が鳴る清水かつら弘田龍太郎 堀江貞一 CP-73
B面七つの子野口雨情本居長世
19 A面はとぽっぽ 文部省唱歌 佐々木すぐる CP-74
B面人形
20 A面お猿のかごや山上武夫 海沼實 CP-75
B面汽車ぽっぽ富原薫草川信海沼實
21 1958年
8月
A面
[注釈 10]
快傑黒頭巾丘灯至夫 船村徹A-3073
22 1958年
12月
A面こだまの山 高田三九三 不詳 冨田勲 SC-1
B面アルプスのふもと
23 1960年
4月
A面
[注釈 11]
赤い帽子白い帽子武内俊子河村光陽海沼實SC-28
24 1960年
9月
A面ピンク・シュー・レーセス[注釈 12]関沢新一M.Grant小林郁夫 SA-451
B面スイート・ピーの嘆き三浦康照 小林郁夫
25 1960年
12月
A面夢のナポレターナ[注釈 13] みナみカズみO.Gautschi
V.Panzuti
小林郁夫 SA-507
B面パイナップル・プリンセス[注釈 14]Sherman
26 1961年
3月
A面十五本のキャンドル関沢新一米山正夫狛林正一 SA-544
B面サンタルチャチャチャ みナみカズみ 小林郁夫
27 1961年
4月
B面
[注釈 15]
汽車ポッポのタンゴ[注釈 16]E.Lucchina 小林郁夫SA-601
28 1961年
11月
A面谷間の灯ともし頃 水島哲J.Lyons
S.Hart
SA-741
B面峠の我が家アメリカ民謡
29 1961年
12月
A面シンデレラ[注釈 17] 漣健児P.Anka 小杉仁三 SA-782
B面つめたい言葉[注釈 18]A.Schroeder
30 1962年
4月
A面
[注釈 19]
カッコーの森[注釈 20]C.Mario小林郁夫SA-853
31 1962年
5月
B面
[注釈 21]
若い風の歌沖永良一米山正夫小杉仁三SA-894
32 1962年
7月
A面
[注釈 22]
丘にのぼろう関沢新一 服部克久SA-913
33 1962年
11月
A面眠りの森の物語 保富康午 福井利雄 SA-999
B面七人のボーイフレンド
34 1962年
12月
A面
[注釈 23]
おもちゃのチャチャチャ吉岡治 越部信義BK-3001
35 1963年
1月
A面
[注釈 24]
シオジャケの歌保富康午 岩河三郎BK-3004
36 1963年
5月
A面ティーンエイジ・ウェディング[注釈 25]三浦康照K.Twomey 小杉仁三 SAS-39
B面夢のイタリア[注釈 26]ホセしばさきC.Bruhn
37 1963年
8月
B面
[注釈 27]
あしたの幸福秀樹淳一朗 山路進一SAS-92
38 1964年
5月
A面それだけがおねがいなのママ サトウハチロー 宇野誠一郎 BK-3039
B面ほんとかしら宇野誠一郎山屋清
39 1965年
8月
A面ニューヨークひとりぼっち三浦康照 山屋清 JPS-17
B面恋の太陽岩谷時子高原哲 山屋清
40 1965年
11月
A面チム・チム・チェリー 三浦康照 Sherman JPS-26
B面2ペンスを鳩に
41 1966年
2月
A面遥かなお父さま三枝伸 森岡賢一郎 JPS-33
B面真珠 三枝伸
42 1967年
12月
A面ひとりで恋して 古野哲哉鈴木征一 河村利夫 SAS-1004
B面別れられなくなっちゃった山本丈晴
43 1971年
2月
A面コーヒーと仔犬 藤公之介 都倉俊一 馬飼野俊一 AS-1041
B面独占ひとりじめ
44 1971年
9月
A面白い色が好きな娘 橋本淳 筒美京平 AS-1088
B面バラひと枝と友だち二人
45 1972年
3月
A面こどもの眼 阿久悠 森田公一 AS-1125
B面明日の午後ならいいわ
46 1976年
12月
A面ふるさとの四季 北原たけし 伊部晴美 DQ-1006
B面なんだべ坂の七ふしぎ
47 1980年
2月25日
A面ホアンホアンとカンカン 曽我部博士 岡本道夫 甲斐正人 RS-3001
B面パンダのマーチ

デュエット・シングル

発売日デュエット曲順タイトル作詞作曲編曲規格品番
1954年
8月
吉利公男A面たん子たん吉珍道中 宮崎博史 冨田勲 C-270
-B面たん子の馬子唄
(歌:松島トモ子)
米山正夫
1955年
5月
小畑やすしA面赤いカンナの花咲けば 西條八十 古関裕而 A-2289
-B面トモ子の花売娘
(歌:松島トモ子)
1956年
5月
青木光一A面
[注釈 28]
潮来の兄妹丘灯至夫 平川英夫A-2527
中島孝A面
[注釈 29]
杉作太鼓石本美由起万城目正松尾健司A-2568
1956年
11月
市村俊幸A面
[注釈 30]
子ぶたのクリスマス 丘灯至夫O.Haldeman冨田勲C-5007
1957年
3月
A面
[注釈 31]
親子花見おどり 岩河三郎CP-56
1958年
6月
デン助B面
[注釈 32]
トモ子とデン助大宮敏充 木下忠司CP-91
1960年
3月
高野政次A面
[注釈 33]
とうといお子さま
お生れになった
西條八十 佐々木すぐるC-561

企画シングル

発売日曲順タイトル作詞作曲規格品番
1957年B面
[注釈 34]
てっちゃんの歌宮崎博史冨田勲M2245
1957年B面
[注釈 35]
てっちゃんの歌宮崎博史冨田勲M2246

アルバム

発売日タイトルレーベル規格規格品番
1958年8月トモ子ちゃんの童謡集コロムビア LPKK-53
1976年10月家をでるときポリドールMR-3018
1987年5月1日 心に残る うたの贈りもの 東芝EMITP-80203
CDCA30-1420
2014年5月21日決定盤 松島トモ子大全集コロムビアCOCP-38509〜10

タイアップ曲

楽曲タイアップ
1954年ママの思い出映画『花祭底抜け千一夜』主題歌
母恋人形映画『母恋人形』主題歌
1955年赤いカンナの花咲けば映画『赤いカンナの花咲けば』主題歌
杉作太鼓映画『鞍馬天狗』主題歌
1956年ワカメちゃん映画『サザエさん』劇中歌
1957年夕焼けがらす映画『こけし子守唄』主題歌
潮来船映画『船頭姉妹』主題歌
てっちゃんの歌かねてつ蒲鉾(現:カネテツデリカフーズ)CMソング
1958年こだまの山 映画『アルプスの少女』主題歌
アルプスのふもと
快傑黒頭巾映画『快傑黒頭巾』主題歌
1965年チム・チム・チェリー 映画『メリー・ポピンズ』主題歌
2ペンスを鳩に
1976年ふるさとの四季東京12チャンネル系アニメ『まんがふるさと昔話』オープニングテーマ
なんだべ坂の七ふしぎ東京12チャンネル系アニメ『まんがふるさと昔話』エンディングテーマ

脚注

参考文献

外部リンク

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