田中清隆
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| 田中清隆 | |
|---|---|
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2011年ローズS表彰式 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 | 千葉県銚子市 |
| 生年月日 | 1951年12月16日(74歳) |
| 騎手情報 | |
| 所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
| 所属厩舎 |
中山・野平省三(1971年 - 1974年) 中山→美浦・野平祐二(1975年 - 1990年) |
| 初免許年 | 1975年3月1日 |
| 免許区分 | 平地・障害 |
| 騎手引退日 | 1990年2月28日 |
| 重賞勝利 | 1勝 |
| 通算勝利 | 1618戦140勝 |
| 調教師情報 | |
| 初免許年 | 1990年(同年開業) |
| 調教師引退日 | 2022年 |
| 重賞勝利 | 22勝 |
| G1級勝利 | 4勝 |
| 経歴 | |
| 所属 | 美浦T.C.(1990年 - 2022年) |
田中 清隆(たなか きよたか、1951年12月16日 - )は、千葉県銚子市出身の元騎手・元調教師。
銚子商業卒業後は銚子信用金庫に入社したが、小柄かつ敏捷であったことから、競馬好きの上司に騎手になることを勧められた。数々の厩舎へ入門願いの電話を掛けた末、中山・野平省三厩舎に入門を認められ、1971年から1974年まで候補生として4年間を過ごす。
1975年に騎手免許を取得し、師匠の野平省が前年に死去していたため、跡を継いでいた野平祐二厩舎からデビュー。
1年目の1975年は3月1日の中山第2競走4歳以上未勝利・ホッカイチェリー(15頭中11着)で初騎乗を果たし、6月21日の中山第3競走4歳未勝利・フジドールで初勝利を挙げる[1]。
2年目の1976年には後にホッカイセレスの伯父[2]となるホッカイノーブルでステイヤーズステークスを13頭中11番人気ながら制して[3]初の2桁勝利となる11勝[4]をマークし、管理する野平祐と共に重賞初勝利[5] [6]となったが、田中にとっては自身唯一の重賞勝利[6]となった。
3年目の1977年にはホッカイノーブルでダイヤモンドステークスを9頭中8番人気ながら2着、日本経済賞ではレコードタイムで勝った[7]グリーングラスの4着に入った[3]。
1978年4月29日・30日の新潟で初の2日連続勝利[8]を挙げ、1979年8月12日の函館第2競走3歳新馬では、後にグラスワンダーの代表産駒スクリーンヒーローの曾祖母となる重賞2勝馬モデルスポートの弟ファイブダンサー[9]で勝利[10]。
1980年には4年ぶりの2桁となる11勝をマークし、1982年まで3年連続2桁勝利を記録[4]。
1980年12月14日の中山で初の1日2勝[11]を挙げ、1981年1月6日の中山第7競走4歳新馬では9番人気の牝馬ロンチャリングでミナガワマンナに5馬身差勝利し[12]、1981年の東京優駿では21番人気のコーラルシーでカツトップエース・サンエイソロンに次ぐ3着[13]と健闘。
1982年の福島記念ではロンチャリングで3着に入り[14]、1983年には後にホッカイルソーのブルードメアサイアー[15]となるホッカイダイヤ産駒ホッカイキング[16]、ホッカイノーブルの弟ホッカイペガサス[17] [18]で共に2勝を挙げた。
野平祐と親交の深かった大橋巨泉の所有馬では、後にダイナカーペンターの父となるフレーミングユースで2勝[19]、シンザン産駒サーシンザンで3勝[20]、「オーケー商事」名義で所有したローレンダッドレイで4勝[21]を挙げる。
1987年には5年ぶりの2桁となる10勝、1988年には自己最多の13勝[4]をマークし、1989年まで3年連続2桁勝利を記録[4]。
1988年には父ハードツービート・母父コダマのリワードフレンジーでラジオたんぱ賞4着[22]に入ったほか、七夕賞では12頭中12番人気のベストプリンセスで7着[23]、新潟で行われたセントライト記念では10頭中10番人気のマーキュリーエルで6着[24]と共に最下位人気で1桁着順を確保。
1989年にはハギノカムイオー産駒リュウカムイ[25]で最後のGI[26]となる東京優駿に騎乗し、24頭中24番人気で11着に終わったが、オースミシャダイと皐月賞馬ドクタースパートに先着した[27]。天皇賞(秋)が行われた10月29日の東京では準メイン第9競走紅葉特別をローレンダッドレイ[28]、有馬記念が行われた12月24日の中山では第1競走3歳未勝利をグレートナイトで勝利し[29]、同年に挙げた12勝が最後の2桁勝利[4]となった。
1990年は2月4日の東京新聞杯・ローレンダッドレイ(16頭中12着)が最後の重賞騎乗となり、最終騎乗日となった同17日は東京第4競走4歳新馬・リワードシェンブラで最後の勝利を挙げ、第10競走金蹄賞・マーキュリーエル(8頭中5着)を最後に現役を引退[30]。
引退後に開業し、同年7月に管理馬初出走を迎え、10月に初勝利を挙げた。年内はこの1勝のみに終わったが、翌年以降少しずつ勝ち星を増やし始め、1995年には33勝を挙げて関東の優秀調教師賞を受賞した。翌1996年には、前年クラシック戦線で善戦したホッカイルソーが日経賞に勝利し、田中とともに重賞初勝利を挙げた。同馬は騎手として唯一の重賞勝利を挙げたホッカイノーブルの甥にあたった。
翌1997年にはシンコウウインディでフェブラリーステークスに勝利し、GI競走を初制覇。翌年には同馬と同じく岡部幸雄騎乗で臨んだグルメフロンティアでフェブラリーステークスを連覇した。2001年にはレディパステルで優駿牝馬に勝利し、クラシック競走初勝利を挙げている。
2022年2月28日付けで定年のため、調教師を引退した[31]。
騎手成績
| 通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 平地 | 132 | 140 | 133 | 1556 | .085 | .175 |
| 日付 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 初騎乗 | 1975年3月1日 | - | ホッカイチェリー | - | - | 6着 |
| 初勝利 | 1975年6月21日 | - | フジドール | - | - | 1着 |
| 重賞初騎乗・初勝利 | 1976年12月25日 | ステイヤーズS | ホッカイノーブル | 13頭 | 11 | 1着 |
| GI初騎乗 | 1981年5月24日 | 優駿牝馬 | ロンチャリング | 24頭 | 16 | 22着 |
主な騎乗馬
- ホッカイノーブル(1976年ステイヤーズステークス、1977年ダイヤモンドステークス2着、日本経済賞4着)
- コーラルシー(1981年東京優駿3着)
- ロンチャリング(1982年福島記念3着)
- リワードフレンジー(1988年ラジオたんぱ賞4着)
調教師成績
| 日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 初出走 | 1990年7月28日 | 1回新潟5日1R | アラ系2歳未勝利 | モリノゴコー | 8頭 | 2 | 2着 |
| 初勝利 | 1990年10月6日 | 4回東京1日3R | 2歳新馬 | ハヤテマリリン | 10頭 | 1 | 1着 |
| 重賞初出走 | 1990年9月16日 | 3回中京4日11R | 朝日チャレンジC | タカラフラッシュ | 11頭 | 3 | 3着 |
| 重賞初勝利 | 1996年3月17日 | 1回中山8日11R | 日経賞 | ホッカイルソー | 11頭 | 3 | 1着 |
| GI初出走 | 1990年11月11日 | 4回京都4日10R | エリザベス女王杯 | タカラスマイル | 18頭 | 11 | 16着 |
| GI初勝利 | 1997年2月16日 | 1回東京8日11R | フェブラリーS | シンコウウインディ | 16頭 | 6 | 1着 |
主な管理馬
※括弧内は当該馬の優勝重賞競走。
GI級競走優勝馬
- シンコウウインディ(1997年フェブラリーステークスなど重賞3勝)
- グルメフロンティア(1998年フェブラリーステークスなど重賞2勝)
- レディパステル(2001年優駿牝馬など重賞3勝)
- ホエールキャプチャ(2012年ヴィクトリアマイルなど重賞5勝)
その他重賞競走優勝馬
受賞
- 優秀調教師賞・関東(1995年)