白米城
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水の供給を絶たれた城が馬を白米で洗う、白米を滝のように流すことでで城内に水が豊富に残されているように偽装するものの、内通者の密告や鳥が白米をついばむことで敵に看破されるという筋書きで山城の落城を語る伝承として残されていることが多い[1]。茨城県多賀郡の白米城伝説のように敵の目を欺くことに成功して包囲が解かれるという結末もある[2]。
また、徳島県三好郡の白米城伝説では密告者の家には祟りが残ったとも伝えられているほか、落城のきっかけとなった人物や村が水不足に陥ったという後日譚も含まれることがある[1][2]。
柳田國男が大正から昭和初期にかけて実施した調査によれば、共通の話型の伝承が北海道を除く日本各地に残されている[1][3]。
起源
日本各地で共通の話型で伝承されており、宗教者や旅人による語りものとして伝播していったのではないかと推測されている[1][3]。また、室町時代後期を時代設定とした伝承が多いことから、軍記物の隆盛との関連も指摘されている[1][2]。伝承の舞台となった城址から焼き米が出土することもあり、柳田國男は、農耕のための祭事・伝承が時代の経過とともに忘失した後に白米城伝説に置き換わったのでないかと推測している[1]。
日本各地に伝わる白米城伝説の原話・原型は明らかでないが、中国や朝鮮半島にも同様の伝承があり、呉の伍子胥が土を盛った上に薄く米で覆って米の山があるように見せかけたという「虚糧塚伝説」が伝播していったのではないかという説もある[3]。朝鮮半島では、「洗馬台伝説」(文禄の役で加藤清正に攻められた権慄が、山上で馬を白米で洗うことで敵を欺いたという伝説)が残っている[3]。