第52師団 (日本軍)
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1940年(昭和15年)8月から常設師団のうちの8個師団が満州に永久駐屯することになり、代替の常設師団として同年7月10日に留守師団を基幹に編成された6個師団のひとつである(ほかに第51師団・第54師団・第55師団・第56師団・第57師団)。このほか、翌年の1941年(昭和16年)9月16日に第53師団が留守第16師団を基幹に編成されたが、第1師団分については代替師団が編成されなかった。
第52師団は、石川・富山・長野の三県を徴兵区とする常設師団として留守第9師団を基幹に金沢で編成された。なお、管轄区域は1941年(昭和16年)から金沢師管区に改称、1945年(昭和20年)には補充任務等の管轄区域の軍政を担当する留守師団司令部は独立し金沢師管区司令部となった。
沿革
師団は編成後、当初は金沢に在り東部軍に属していたが、1944年(昭和19年)1月にトラック島へ派遣され、翌月に新設の第31軍に編入された。その際、海洋師団編制に改編されている。
アメリカ軍はトラック島空襲の後、地上や海上からトラック島に進攻しなかったため、師団主力は以後現地で自給生活を送る。ニューギニアの戦いほどではないにせよ、多くの兵士を栄養失調に陥らせる犠牲を払いながらも、終戦まで師団を存続することに成功した。
1945年(昭和20年)9月2日、師団長・中将麦倉俊三郎が現地で降伏文書に調印。翌1946年(昭和21年)までに引き揚げて任務を完遂した。
→詳細は「トラック島空襲 § トラック島の防衛体制」、および「クェゼリンの戦い § 戦いの後」を参照