第116師団 (日本軍)
From Wikipedia, the free encyclopedia
日中戦争勃発後の1938年(昭和13年)5月15日に京都で留守第16師団の担当で編成された特設師団である。同年5月16日に師団長の清水喜重の親補式が、次いで5月23日、宮城(皇居)においで師団隷下となる歩兵第109連隊、歩兵第120連隊、歩兵第133連隊、歩兵第138連隊の各連隊長が出席する軍旗親授式が行われ、勅語を賜る[1]。その後、直ちに中支那派遣軍戦闘序列に編入中国戦線に派遣され華中に進出、歩兵4個大隊を基幹に石原支隊が編成され武漢作戦に参戦した。武漢作戦後は華中での警備に当たり、中支那派遣軍廃止後第13軍戦闘序列に編入された。
太平洋戦争開戦後も第13軍隷下華中に在りこの方面のさまざまな作戦に参加した。1944年(昭和19年)10月には第20軍戦闘序列に編入され、大陸打通作戦第二段湘桂作戦の衡陽攻略に参加、約40日間にわたる攻防で多大な損害を被ったが中国軍の抵抗を排除し占領に成功した。その後飛行場破壊作戦などに参加、同地の警備をしているなかで終戦を迎えた。
師団は当初、歩兵第109連隊・歩兵第120連隊・歩兵第133連隊・歩兵第138連隊を隷下に持つ歩兵4個連隊制師団として編成されたが、1942年(昭和17年)12月には歩兵第138連隊を第31師団に転用、歩兵3個連隊制師団に改編された。
師団概要
歴代師団長
- 清水喜重 予備役中将:1938年(昭和13年)5月15日 - 1939年(昭和14年)5月19日
- 篠原誠一郎 中将:1939年(昭和14年)5月19日 - 1941年(昭和16年)10月15日
- 武内俊二郎 中将:1941年(昭和16年)10月15日 - 1943年(昭和18年)6月10日
- 岩永汪 中将:1943年(昭和18年)6月10日 - 1945年(昭和20年)3月9日
- 菱田元四郎 中将:1945年(昭和20年)3月9日 - 終戦
参謀長
- 三島義一郎 砲兵大佐:1938年(昭和13年)5月15日 - 1939年3月9日[2]
- 山田卓爾 歩兵大佐:1939年(昭和14年)3月9日[3] - 1940年8月1日
- 大須賀応 砲兵大佐:1940年(昭和15年)8月1日[4] - 1941年8月5日
- 山田卓爾 大佐:1941年(昭和16年)8月5日[5] - 1943年12月3日[6]
- 立薗栄造 大佐:1943年(昭和18年)12月3日 - 終戦[7]