豊岡武士
From Wikipedia, the free encyclopedia
静岡県三島市出身。三島市立東小学校、三島市立北中学校、静岡県立韮山高等学校卒業。1966年(昭和41年)3月、日本獣医畜産大学(現・日本獣医生命科学大学)卒業。同年4月、静岡県庁に入庁。初代緊急防災支援室長を務めた。
1998年(平成10年)4月から11月まで三島市役所に派遣され、企画調整部長を務めた[2]。同年12月の三島市長選挙に落選後、翌1999年(平成11年)の静岡県議会議員選挙に出馬し初当選した。2003年(平成15年)に再選。県議時代は自由民主党に所属[3]。
2006年(平成18年)の三島市長選挙に落選後、2007年(平成19年)の県議選に無所属で出馬し3回目の当選を果たす[4]。
2010年(平成22年)11月の三島市長選挙で初当選。12月20日、市長就任[5]。これまでの選挙の結果は以下のとおり。
所属団体・関連団体
- 明治の日を作る首長会(監事)[6]
人物
- 小学生の頃から野球を始め、ポジションは捕手[7]。
- 母校の韮山高校野球部の監督も務め、著名な教え子には、東京六大学野球連盟の慶應義塾大学監督の堀井哲也と同じく六大学の立教大学監督の木村泰雄が居る[8]。堀井と木村は韮山高校の同級生で豊岡は二人が1年生から2年生の時に監督として指導に当たった。後に同時期に六大学のそれぞれの母校で監督を務め、恩師でもある豊岡を共に表敬訪問を行なったり、豊岡が慶應義塾大学と立教大学の試合を明治神宮野球場で観戦をする機会もあった[8][9]。また、この2人は社会人野球の指導者としても活躍し、堀井がJR東日本、木村が日本製紙石巻の監督を務めた際にも都市対抗野球大会で対戦をしており、豊岡が「忘れられない思い出」として語っている[7]。