河津町

From Wikipedia, the free encyclopedia

かわづちょう ウィキデータを編集
河津町
河津町旗 河津町章
河津町旗 河津町章
1968年3月20日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 静岡県
賀茂郡
市町村コード 22302-6
法人番号 1000020223026 ウィキデータを編集
面積 100.69km2
総人口 5,972[編集]
推計人口、2026年4月1日)
人口密度 59.3人/km2
隣接自治体 下田市伊豆市賀茂郡松崎町西伊豆町東伊豆町
町の木 河津桜
町の花 花菖蒲
河津町役場
町長 大川良樹
所在地 413-0595
静岡県賀茂郡河津町田中212-2
北緯34度45分25秒 東経138度59分15秒 / 北緯34.757度 東経138.98761度 / 34.757; 138.98761座標: 北緯34度45分25秒 東経138度59分15秒 / 北緯34.757度 東経138.98761度 / 34.757; 138.98761
町役場位置

外部リンク 公式ウェブサイト

河津町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

河津町(かわづちょう)は、伊豆半島南部に位置する静岡県都市静岡県賀茂郡に属し、伊豆東海岸都市圏に属する町。1958年(昭和33年)の町村制施行に伴い、 上河津村下河津村の合併により発足した[1]

サクラの一栽培品種であるカワヅザクラ(河津桜)の発祥地および観光地として全国的に知られており、見頃を迎える2月になると各種メディアで取り上げられる機会も多い。

古代

町域の81%は山林と原野で占められ、市街地は天城山南東の山稜を源流とする河津川下流の平地に広がる。東部は相模灘太平洋)に面する。

  • 山:登り尾、猿山、三筋山、鉢ノ山
  • 河川:河津川
  • 旧石器時代:見高地区の宮林遺跡において姶良Tn広域火山灰(AT)より下位の層位から石器ブロックと土坑群が検出されている[2][3]
  • 縄文時代:丘陵上あるいは河津川が形成する河岸段丘上を中心に分布 。
    • 早期:見高家ノ上遺跡、見高宮林遺跡、見高中ミヨ遺跡[2][3]などで集落が営まれる。
    • 前期:見高段間遺跡で集落が営まれる[4]
    • 中期:見高段間遺跡、峰春蔵遺跡[5]で集落が営まれる。特に、段間遺跡では500kgを超える神津島黒曜石が出土しており、中には19.5kgを測る巨大な個体も存在する。一遺跡における消費量を大きく上回る出土量や、蛍光X線分析により関東地方の集落において神津島産黒曜石が出土していることなどから、本遺跡が「神津島産黒曜石の陸揚げ地」として神津島産黒曜石流通の大規模中継拠点として発展した遺跡であると考えられている[4]
    • 晩期:笹原姫宮遺跡で集落が営まれる。

飛鳥時代から平安時代まで

鎌倉時代から室町時代まで

  • 1432年:那蘭陀寺、山崩れにより堂宇を大破、廃寺となる。
  • 1541年南禅和尚仏堂を建立し、地元住民らが那蘭陀寺跡地から掘り起した仏像群を納める。仏堂は南禅堂(南禅寺の前身)と呼ばれた。
  • 1594年:伊豆代官彦坂元正により伊豆の総検知が行われる。
  • 1606年大久保長安伊豆金山奉行に就任。
  • 1607年:大久保長安、縄地子安神社および山神社(縄地地区と思われるが所在地不明)に鰐口を寄進する。
  • 時期不明:河津城、蔭山氏館、峰金原城(金草城)が築かれる。

江戸時代

明治時代

大正時代

  • 1912年大正元年):上河津実業補習学校の設立。
  • 1914年:河津各区に区長を置く。9月、下田町に本社を置く河津川水力電気株式会社が梨本にて水力発電所の建設に着手。
  • 1915年:5月、河津川水力電気株式会社梨本発電所、運開。
  • 1917年:見高・田中・峰・逆川・縄地の各尋常小学校および下河津高等小学校を併合して下河津尋常高等小学校とする。本校は笹原に置き、見高・見高入谷・縄地・逆川に分校を置く。
  • 1920年:9月、河津川水力電気株式会社小鍋発電所、運開。
  • 1923年:下河津尋常高等小学校の分校のうち見高・見高入谷の2分校が独立して見高尋常小学校が開校。
  • 1925年:河津浜・稲取間で路線バスの開通。3月、湯ヶ野大火の発生/50戸余、山林35町歩を焼失した。12月上旬、川端康成が、雑誌『文藝時代』1926年1月号(第3巻第1号)にて小説『伊豆の踊子』を発表。
  • 1926年: 見高尋常小学校が、見高尋常高等小学校となる。下河津村立下河津実業補習学校の設立。11月22日もしくは11月26日(※資料によって異なる) - 下河津村峰の住人・稲葉時太郎が、奈良時代から温泉があったという伝承がありながら荒廃し切っていた故郷の復興を期して温泉の掘削を試みて4年目のこの日、大噴湯を得る[12]

昭和時代

太平洋戦争終戦まで

太平洋戦争終戦から合併・町制施行まで

  • 1947年: 帝室林野局河津出張所が「東京営林局河津営林署」へ改称。
  • 1948年:上河津農業協同組合と下河津農業協同組合の設立。上河津幼稚園の開園。2月、石原忍が谷津に私設図書館「河津文化の家」を開設。12月、稲取高等学校上河津分校定時制)の開校。
  • 1952年:下河津第一小学校が「下河津小学校」へ、下河津第二小学校が「見高小学校」へ改称。上・下河津両村に教育委員会が発足。
  • 1953年:梨本大畑のナチシダ自生北限地が国の天然記念物に指定される。
  • 1954年:下河津幼稚園と下河津見高分園の開園。12月1日、白浜村板戸から下河津村浜までの有料道路縄地道路が完成。現在の国道135号の一部。
  • 1955年:田中在住の飯田勝美が、河津川沿いの雑地に生えていた珍しいサクラの若木を発見、自宅へ持ち帰り庭先に植えて育て始める。この若木が現在の「河津桜原木」。当時は飯田の屋号にちなんで「小峰桜」の通称で呼ばれていた。
  • 1957年:11月28日、下田町武ケ浜から同町白浜を経て下河津村浜に至る道路が整備され、12月12日より前述の有料道路縄地道路を含め有料道路下田道路として開通。現在の国道135号の一部。

合併・町制施行から昭和末期まで

  • 1958年:9月1日、上河津村下河津村合体(新設合併)したうえで町制を施行し、河津町が発足[1]。人口10,464人、世帯数2,054戸[1]。9月27日、狩野川台風神奈川県に上陸し、河津町も被害甚大。
  • 1959年:沢田にわかば保育園の開園。
  • 1961年:12月10日、伊豆急行が全線開通し、当地域初の鉄道駅として河津駅が開業する。
  • 1962年:3月31日、稲取高等学校河津分校が廃止。5月10日、河津町商工会の設立[13]。7月7日、伊豆急行の臨時駅として今井浜海水浴場駅が開業。
  • 1963年:田中地区にて、役場新庁舎の完成。笹原地区にて、農林省林野庁河津営林署(天城山国有林の管理運用を担う機関)の開署[11]。1月8日 、同月3日に死去した河津町名誉町民・石原忍の河津町葬が町立南小学校で執り行われた。12月、国民宿舎「かわづ」、湯ヶ野に開業。
  • 1965年:9月、東伊豆町および河津町の5農協が合併し、伊豆東農協となる。11月12日、湯ヶ野にて、伊豆の踊り子文学碑の建立[14]。小説『伊豆の踊子』の舞台になったことを記念して川端康成ゆかりの「福田屋」の隣の空地に石碑が建立された[14]
  • 1966年:1月、通称「小峰桜」が初めて開花。4月、通称「小峰桜」の発見者・飯田勝美、死去。
  • 1967年:4月25日、前述の有料道路下田道路が東伊豆道路(河津町浜 - 東伊豆町片瀬 - 伊東市八幡野)の一部に編入される。現在の国道135号の一部。
  • 1968年:この頃から、通称「小峰桜」が町民有志の手で少しずつ町内各地に植栽されるようになる。
  • 1969年:3月1日、伊豆急行今井浜海水浴場駅が臨時駅から通年営業へ移行するとともに「今井浜海岸駅」に改称。5月、上佐ヶ野にて、河津浜病院の開院。
  • 1970年:有料道路新天城トンネルの開通。
  • 1972年:1月10日、東京電力 梨本・小鍋両発電所が廃止[15]。伊豆急行河津駅前広場の完成。
  • 1973年:1月21日、第1回下田・河津間駅伝競走大会開催。
  • 1974年:通称「小峰桜」が新種と判明し、「カワヅザクラ(河津桜)」と命名される。大堰浄水場の供用開始。5月9日、伊豆半島沖地震(M6.9)発生。南伊豆を中心に被害大。
  • 1975年:4月、河津町がカワヅザクラ(河津桜)を「町の木」に指定[1][16]。町民有志らによるカワヅザクラの植栽が河津川河口などから町内全域に広がる[17]
  • 1976年:7月11日、伊豆半島南部で集中豪雨。天城山で降水量509mmを記録した。8月18日、鉢の山を震源とする地震(M5.4)が発生する[18]
  • 1978年:1月14日、伊豆大島近海地震(M7.0)が発生。見高入谷地区では地すべりにより家屋が土砂に埋まり、生き埋めになった住民が死亡。また、梨本地内を走行中の路線バスが崖崩れに巻き込まれ、乗客に死傷者が出た[19]。交通網は寸断され、伊豆急行は復旧までに5ヶ月を、天城線バスは運行再開に半年を、それぞれ要した。
  • 1980年:河津西中学校と河津南中学校が統合し、河津中学校が開校する。
  • 1981年:3月29日、国道414号七滝高架橋(通称:河津七滝ループ橋)の供用開始。
  • 1982年:4月1日、下田市・南伊豆町との1市2町により下田地区消防組合を設立[20]。有料道路だった東伊豆道路が無料開放。現在の国道135号。6月中旬、七滝高架橋が、昭和56年度土木学会田中賞(作品部門)を受賞。7月12日、河津町と長野県北安曇郡白馬村とが、姉妹都市提携を締結[21]
  • 1983年:4月1日、峰地区にて、下田地区消防組合下田消防署河津分署が業務を開始[20]
  • 1984年:B&G河津海洋センター[22]が開設。

平成時代

  • 1989年平成元年:町営温泉集中管理事業の開始。
  • 1990年:10月1日、伊豆東農協、伊豆下田農協、南伊豆町農協、西伊豆農協が合併し、伊豆太陽農業協同組合が発足。
  • 1991年:2月、第1回河津桜まつり開催[23]。1か月にわたった開催期間中の観光入込客数は約3,000人と、当時はまだ小規模な催しであった[24]。9月10日、伊豆半島南部で集中豪雨。河津町内は各地で被害甚大。損害額は約42億円に上った。
  • 1992年:河津営林署は天城営林署に統合され、天城営林署河津森林経営センターとなる。
  • 1993年:小規模授産所「いずみ」の開所。7月15日、踊り子温泉会館が開館[25]。12月、サンシップ今井浜が開館[26]
  • 1994年:3月15日、国道414号新峰山トンネルの開通。
  • 1995年:国道135号の浜橋の改修工事の完了。
  • 1996年下田街道のうち梨本 - 小鍋の区間が「下田街道―天城越」の名称で文化庁の「歴史の道百選」に選定される。2月、第6回河津桜まつりの開催[23]東海自動車ボンネットバス「伊豆の踊子号」を利用してお花見バスを運行[23]。また、この年からは夜桜まつりも実施[24]。期間中の観光入込客数は10万人を数え[23][24]、経済波及効果も現れ始める[23]。9月2日、姉妹都市の長野県白馬村と災害時応援協定を締結[27]。のちに、2014年11月22日発生の長野県神城断層地震で白馬村に甚大な被害が生じた際、河津町から職員が派遣され、現地で支援にあたった[28][29][30]
  • 1997年:河津町保健福祉防災センターの開設。
  • 1998年平成9年に改正された河川法の施行により河川区域での植樹が禁止される。3月7日、NHK紀行番組小さな旅』の#80「早春の桜 思いをつなぐ ~静岡県河津町~」で河津桜が紹介され[31]、大きな反響を得る[23]。また、同時期に『じゃらん』『るるぶ』などの大手旅行雑誌が特集記事を組み[23]、国内の主な新聞も河津桜まつりをトピックスとして大きく取り上げるようになった[23]。5月3日、田中地区にて、日本一早い露地栽培の菖蒲園「かわづ花菖蒲園」の開園[32]
  • 1999年:2月、第9回河津桜まつり開催[23]。期間中の観光入込客数が初めて100万人を超える[23][24][16]
  • 2000年:2月、第10回河津桜まつり開催。期間中の観光入込客数が125万人に達する。3月18日、新天城トンネル無料開放。
  • 2001年:4月28日、河津バガテル公園開園[23][33]。6月15日、天城山隧道、道路トンネルとしては初めて国の重要文化財(建造物)に指定。
  • 2002年:2月、第12回河津桜まつり開催。前回まで河津町観光協会が単独で主催していたが、今回より、河津町、河津町商工会、農業・漁業・林業の各組合なども加えて組織した「河津桜まつり実行委員会」の主催へと移行[24]。また、露店の出店数が150軒ほどに膨れ上がる[24]
  • 2003年:新町庁舎落成。かわづカーネーション見本園(地域の主要生産花であるカーネーションの見本園)が田中に開園[23]。2月、4世紀由来の旧社地である河津町笹原字比咩宮にて、姫宮神社の再建。10月、下田市・河津町・南伊豆町の法定合併協議会を設置するも、12月に河津町が離脱を表明、翌年1月に合併協議会を解散。
  • 2004年: 河津桜まつりの観光客対策としての駐車場の充実のため、河津駅周辺地区の空き地を町が借り上げ、県事業を活用し、全面舗装した駐車場を整備[23]。12月17日、「河津町河津桜まつり露店等営業管理条例」を制定[23]。河津桜まつり開催時に地域外から出店する露店が年々増加するとともに、販売品に対する苦情も増え、問題視されるようになってきたことを受けて、これらの出店に対して条例による規制(届け出制)をかけることとなった[23]
  • 2005年:2月、第17回河津桜まつり開催[23]。観光用トイレの新設と仮設トイレの増設によるトイレ環境の充実が完了[23]。2月2日、田中の「河津桜原木」、町の天然記念物に指定[16]。2月23日、観光庁の「観光のカリスマ百選」に、当時の町長・櫻井泰次が選出される[24][34]
  • 2008年:6月5日、下田市・河津町・南伊豆町・松崎町による「南伊豆地区1市3町合併協議会」発足[35]
  • 2009年:2月1日、峰温泉大噴湯公園開園[36]。6月、南伊豆地区1市3町合併協議に関し、南伊豆・松崎の両町議会において合併関連議案が否決されたことにより、賀茂地区の合併は事実上破綻。
  • 2010年:2月1日、河津桜観光交流館の開館[37]
  • 2012年:9月30日、サンシップ今井浜が閉館[26]
  • 2013年:2月20日、 谷津地区の南禅寺境内に「伊豆ならんだの里河津平安仏像展示館」開館[38][39]
  • 2014年:3月、町が「河津桜保護育成計画[40]」を策定[24]。10月2日、サンシップ今井浜跡地に「舟戸の番屋[41]」がオープン[42]
  • 2015年:3月20日、国民宿舎「かわづ」閉館[43][44]。3月31日、下田地区消防組合管区全域で、消防救急デジタル無線の運用開始[20]。6月15日、かわづ花菖蒲園が閉園[45]
  • 2017年:かねてより計画が進められていた複合公共施設の建設事業をめぐり、異議を唱える住民グループから提出された当時の町長・相馬宏行に対するリコール請求を受けて、同年10月8日に施行された住民投票の結果、解職賛成票が反対票を上回り、相馬は同日付で町長を失職。直後に施行の出直し町長選挙には、相馬の他に、新人で副町長などをつとめた元町職員の岸重宏が立候補。11月26日の投開票の結果、岸が初当選を果たした。

令和時代

人口

総人口:6,228人 男:3,004人 女:3,224人 (2025年11月1日現在)[46]

河津町と全国の年齢別人口分布(2005年) 河津町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 河津町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
河津町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 9,624人
1975年(昭和50年) 9,772人
1980年(昭和55年) 9,509人
1985年(昭和60年) 9,307人
1990年(平成2年) 9,118人
1995年(平成7年) 9,036人
2000年(平成12年) 8,705人
2005年(平成17年) 8,303人
2010年(平成22年) 7,998人
2015年(平成27年) 7,303人
2020年(令和2年) 6,870人
総務省統計局 国勢調査より

行政

現職町長・副町長

  • 大川良樹(おおかわ よしき):県立下田北高卒。東海自動車にて営業職をつとめたのち、2011年に家業の飲食店を継ぐ。2018年より河津町議、在任中は副議長もつとめた。2025年8月に次期町長選への出馬を表明、翌9月に町議を辞職。同年11月11日告示の河津町長選に立候補し、無投票で初当選。河津町長選における新人候補の無投票当選は初。11月26日、町長に就任。
  • 副町長 - 木村 吉弘:2022年(令和4年)4月1日就任[1][47]

歴代町長

  • 飯田利平:1958年(昭和33年)10月~
  • 鈴木勉:1962年(昭和37年)10月~
  • 高崎元吉:1966年(昭和41年)10月~
  • 正木力:1970年(昭和45年)10月~
  • 岡運平:1972年(昭和47年)10月~
  • 正木源七郎:1974年(昭和49年)4月~
  • 板垣賢一郎:1978年(昭和53年)4月~
  • 櫻井泰次(さくらい たいじ)
  • 相馬 宏行(そうま ひろゆき)
    • 1960年(昭和35年)生まれ、県立下田北高卒[50]。河津町議、同議長を経て、2010年(平成22年)4月の町長選に立候補。7期目を目指して立候補した当時の現職・櫻井泰次を破って初当選を果たし、4月26日に町長に就任[50]。2014年(平成26年)4月、無投票により再選(2期目)[51]。2017年(平成29年)、複合公共施設の建設計画に異議を唱える住民グループからのリコール請求を受けて同年10月8日に施行された住民投票の結果、解職賛成票が反対票を上回り、同日付で失職[52]。直後に施行の出直し町長選挙に立候補したものの、新人で副町長などをつとめた元町職員の岸重宏に敗れた[53]
  • 岸 重宏(きし しげひろ)
    • 中央大学経済学部卒[54]。河津町職員として産業観光課長、総務課長、助役、副町長などをつとめたのち[54]、2017年(平成29年)11月26日の町長選(上述を参照のこと)にて初当選[53]。2021年(令和3年)11月、無投票により再選(2期目)[55]。2025年6月、次期町長選に出馬せず、任期満了をもって退任する意向を表明。11月25日の退任まで2期8年をつとめた。

町議会

  • 議員定数 - 10名[56]

省庁・国の機関

警察・消防

  • 静岡県警察下田警察署 - 伊豆半島南部の1市5町(下田市、東伊豆町、河津町、南伊豆町、松崎町、西伊豆町)を管轄。河津町には河津町交番[58]ならびに下佐ヶ野駐在所[59]を、それぞれ置いている。
  • 下田地区消防組合下田消防本部 - 伊豆半島南部の1市4町(下田市、河津町、南伊豆町、松崎町、西伊豆町)を管轄[20]。河津町には河津分署[60]を置いている。
  • 河津町消防団 - 河津町防災課所管。町内に全9分団(消防団本部、第1~第8分団)[61][62]

主な公共施設

  • 河津町立図書館「文化の家」[63]
    • 「文化の家」という名称は、医学者・眼科医で名誉町民の石原忍が1949年(昭和24年)2月に開設した私設図書館「河津文化の家」に由来する(後述の「ゆかりのある著名人」を参照のこと)。生前、石原が教鞭を執っていた東京帝国大学医学部眼科教室で彼の薫陶を受けた門下生による同窓会組織を起源とする公益財団法人「一新会」が、2006年度から書籍の寄贈や図書費の助成を続けている[64]
  • 河津桜観光交流館[65]

地区

  • 上河津(かみかわづ) - 旧上河津村エリア。
    • 梨本(なしもと) - 旧梨本村
    • 大鍋(おおなべ) - 旧大鍋村
    • 小鍋(こなべ) - 旧小鍋村
    • 湯ヶ野(ゆがの) - 旧湯ヶ野村
    • 下佐ヶ野(しもさがの) - 旧下佐ヶ野村
    • 川津筏場(かわづいかだば) - 旧川津筏場村(旧矢野村・旧筏場村)
  • 下河津(しもかわづ) - 旧下河津村エリア。
    • 沢田(さわだ) - 旧沢田村
    • 田中(たなか) - 旧田中村
    • 峰(みね) - 旧峰村
    • 逆川(さかさがわ) - 旧逆川村
    • 笹原(ささはら) - 旧笹原村
    • 見高(みだか) - 旧見高村
    • 長野(ながの)
    • 入谷(いりや)
    • 谷津(やつ) - 旧谷津村
    • 浜(はま) - 旧浜村
    • 縄地(なわじ) - 旧縄地村

行政区域の変遷

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、河津下郷の見高村、浜村、笹原村、田中村、沢田村、峰村、谷津村、縄地村、逆川村の区域を以て下河津村が、河津上郷の梨本村、大鍋村、小鍋村、湯ヶ野村、下佐ヶ野村、川津筏場村の区域を以て上河津村が発足。
  • 1958年(昭和33年)9月1日 - 上河津村、下河津村が合併し、現在の河津町が発足。

姉妹都市等

日本 長野県北安曇郡白馬村 - 1982年(昭和57年)7月12日に姉妹都市提携の締結[21]
日本 東京都渋谷区- 2004年(平成16年)11月に「災害時における相互応援に関する協定」(防災協定)の締結。

その他民間施設

主な医療機関

  • 河津浜病院[66]
  • 伊豆今井浜病院[67]
  • ほか

郵便事業

  • 河津郵便局[68]
  • 上河津郵便局[69]

金融機関

経済

産業

平成17年度の国勢調査では次のような結果が出ている。

区分人数
第一次産業 計 629
農業 574
林業 14
漁業 41
第二次産業 計 600
鋼業 0
建設業 470
製造業 130
第三次産業 計 3043
電気・ガス・熱供給・水道業 19
情報通信業 12
運輸業 167
卸売・小売業 765
金融・保険業 44
不動産業 36
飲食店・宿泊業 787
医療・福祉 369
教育・学習支援業 149
複合サービス業 100
サービス業 465
公務 130

教育機関

中学校

  • 河津町立河津中学校[73]

小学校

  • 河津町立河津小学校[73]
    • 2023年(令和5年)4月、河津町立西小学校・東小学校・南小学校を統合して開校[74]。旧・南小学校の校舎を使用している。

幼稚園

  • 河津町立さくら幼稚園[73]

保育所

2017年(平成29年)4月1日時点で、河津町内の認可保育所数は5、認可保育所待機児童数は0名。

マスメディア

地域新聞

  • 伊豆新聞 - 河津町を含む伊豆半島東南部の地域紙。

放送局

交通

文化財

国指定文化財

有形文化財

天然記念物

登録有形文化財

  • 旧木村家住宅主家

県指定文化財

有形文化財

  • 善光庵木造十一面観音立像
  • 鰐口 - 慶長12年に伊豆金山奉行として縄地金山の開発に従事していた大久保長安が縄地山神社に寄進したもの。
  • 鰐口 - 慶長12年に伊豆金山奉行として縄地金山の開発に従事していた大久保長安が縄地子安神社に寄進したもの。
  • 普門院の笈

無形民俗文化財

  • 大鍋子守神社の神楽

町指定文化財

有形文化財

  • 沢田涅槃堂涅槃像群
  • 薬師如来坐像(湯ヶ野区)
  • 関戸吉信の墓

無形民俗文化財

  • 河津八幡三番叟
  • 見高神社三番叟
  • 見高浜の精霊送り行事

史跡

  • 煉瓦の洞遺跡

天然記念物

  • 河津桜の原木

名所・旧跡・イベント等

河津七滝の大滝
河津七滝ループ橋 (再掲)
小湊一号隧道(小湊第1隧道)
※外部リンク 観光施設”. 伊豆・河津温泉郷. 河津桜観光協会. 2018年3月1日閲覧。リンク先に河津町の観光地図あり。個別の解説もクリックすることで開く。

名物・名所・旧跡

  • カワヅザクラ(河津桜) - 早咲きの桜。河津川沿いに並木が形成されている。
  • 河津七滝(ななだる) - 伊豆山中の七つの滝。
  • 河津七滝ループ橋(七滝高架橋)
  • 小湊一号隧道、小湊二号隧道 - 扁額には「小湊一号隧道」「小湊二号隧道」とあるが、道路標識には「小湊第1隧道」「小湊第2隧道」とある。

温泉

足湯処(無料の足湯)
  • 豊泉足湯処
  • さくらの足湯処
  • 河津三郎の足湯処

日帰り温泉

河津七滝・湯ヶ野温泉
  • 嵐の湯 本館(河津七滝オートキャンプ場)
  • 峠の湯 大家荘
  • 七滝温泉ホテル
  • 大滝温泉 天城荘
  • モダン宿坊 禅の湯
  • 伊豆の踊子宿 福田家
峰温泉
河津浜・今井浜温泉
  • 舟戸の番屋[41]:日帰り温泉や食堂を備え、バーベキューも楽しめる他、干物づくり・塩づくりなどの体験カリキュラムも用意している。
  • 今井浜温泉 今井荘
  • 嵐の湯 湯治の館

公園・庭園・動物園

キャンプ場

  • 河津七滝オートキャンプ場
  • 佐ヶ野オートキャンプ場
  • オートキャンピング村アドベンチャーファミリー
  • 河津オートキャンプ場
  • 伊豆キャンパーズヴィレッジ
  • 大池キャンプ場
  • 伊豆今井浜オートキャンプ場

海水浴場・スキューバ

神社

寺院

イベント

  • 下田・河津間駅伝競走大会 - 1月
  • 河津桜まつり - 2月。開花が遅れ気味な場合は3月上旬まで延長することもある。
  • 春バラまつり - 5月-6月。

ゆかりのある著名人

名誉町民

  • 石原忍 - 医学者眼科医軍医)、東京帝国大学名誉教授。1879年(明治12年)9月25日、東京府東京市麹町区生まれ。1946年(昭和21年)4月に当時の下河津村谷津に移住、同所に眼科医を開業するとともに、私費で取得した旧下河津村役場建物を改築して1949年(昭和24年)2月に私設図書館「河津文化の家」を開館、地域の文化向上に寄与した。1957年(昭和32年)、名誉町民の称号を贈られる。1963年(昭和38年)1月3日、83歳没。町葬が営まれた。

出身著名人

その他ゆかりのある人物

観光大使

河津町を舞台にした作品

文学・記録・漫画

テレビドラマ

  • テレビ東京孤独のグルメ Season3』 - 2013年(平成25年)7月24日放映の第3話「静岡県賀茂郡河津町の生ワサビ付きわさび丼」で七滝地区の名物「わさび丼」が取り上げられた[24]。視聴者の反響は大きく、これを受けて町では商工会や伊豆急行を中心に「河津わさびで泣かせ隊」が結成され、わさびを用いた新商品の開発に取り組んだ[24]。2015年(平成27年)には「河津わさびで泣かせ隊」の有志により「株式会社泣かせ隊」が設立された[24]

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI