豊川稲荷大阪別院
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| 豊川稲荷大阪別院 | |
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| 所在地 | 大阪市天王寺区堂ケ芝1-5-19 |
| 位置 | 北緯34度39分34.4秒 東経135度31分37.2秒 / 北緯34.659556度 東経135.527000度 |
| 山号 | 豊川山 |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 本尊 | 十一面観音 |
| 創建年 | 明治31年(1898年) |
| 開山 | 嘉硯黙童 |
| 正式名 | 豊川山 観音寺 |
| 文化財 | 堂ヶ芝廃寺 |
| 法人番号 | 8120005000769 |
豊川稲荷大阪別院(とよかわいなりおおさかべついん)は、大阪府大阪市天王寺区にある曹洞宗の寺院である。正式な寺号は観音寺。
勤行次第
明治31年(1898年)、付近の地主であった萩田利平が、この地を発展させようと、豊川稲荷から吒枳尼天を勧請し、稲荷堂を建立したのを始まりとする。
その後、明治38年(1905年)頃に、妙厳寺では末寺の観音寺を当地に移転し、妙厳寺住職の嘉硯黙童を開山として、正式な寺院として大阪別院を発足したといわれる[1]。2代目住職までは、妙厳寺から派遣された院代がその職務に当たっていた。
商売繁盛の神として、商業都市大阪の個人商店主から多くの信仰を集めているが、代替わりにより、その様相にも変化が見られるという。
豊川稲荷は信者のための「勤行次第」(お経本)を発行していないが、大阪別院では、明治41年(1908年)に勤行次第が一千部ほど施本された。内容は、妙厳寺を創建した東海義易が定めた吒枳尼天への勤行作法を、在家用に改めたものとなっている(下記リンク先参照)。