輝く愛の世界
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1973年3月24日(#8, #10, #11)、4月9日(#1)、4月10日(#3, #4, #6)、8月13日(#2, #9)、9月7日(#5) ニューヨーク[1]
| 『輝く愛の世界』 | ||||
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| アレサ・フランクリン の スタジオ・アルバム | ||||
| リリース | ||||
| 録音 |
1971年2月16日 マイアミ クライテリア・スタジオ(#7)[1] 1973年3月24日(#8, #10, #11)、4月9日(#1)、4月10日(#3, #4, #6)、8月13日(#2, #9)、9月7日(#5) ニューヨーク[1] | |||
| ジャンル | R&B、ソウル | |||
| 時間 | ||||
| レーベル | アトランティック・レコード | |||
| プロデュース |
ジェリー・ウェクスラー、アリフ・マーディン、アレサ・フランクリン(all songs) トム・ダウド(on #7, #8, #10, #11) | |||
| 専門評論家によるレビュー | ||||
| チャート最高順位 | ||||
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| アレサ・フランクリン アルバム 年表 | ||||
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『輝く愛の世界』(原題:Let Me in Your Life)は、アメリカ合衆国の歌手アレサ・フランクリンが1974年に発表したスタジオ・アルバム。
前スタジオ・アルバム『Hey Now Hey (The Other Side of the Sky)』(1973年)ではクインシー・ジョーンズがプロデューサーに起用されたが、本作ではジェリー・ウェクスラー、アリフ・マーディン、トム・ダウドといったアトランティック・レコードのスタッフを迎えた体制に戻った[3]。収録曲のうち「ウィズ・ペン・イン・ハンド」のみ、アルバム『ヤング・ギフティッド・アンド・ブラック』(1972年発売)と同時期のセッションで録音された[3]。また、本作のために行われた1973年のレコーディング・セッションのうち、アウトテイクとなった「The Happy Blues」、「At Last」、「Love Letters」および「アイム・イン・ラヴ」のオルタネイト・ボーカル・バージョンは、2007年発売のコンピレーション・アルバム『レア&アンリリースド・レコーディングス』に収録された[4]。
「アンティル・ユー・カムバック・トゥ・ミー」は、元々はスティーヴィー・ワンダーが1967年に録音した曲だが、ワンダーのオリジナル・バージョンは1976年発売のコンピレーション・アルバム『Anthology』に収録されるまで未発表だった[5]。
当時リターン・トゥ・フォーエヴァーのメンバーだったスタンリー・クラークが一部の曲でベースを弾いており、クラークは本作の録音と並行して、本作でも共演したダニー・ハサウェイのアルバム『愛と自由を求めて』(1973年)にも参加している[6]。
反響・評価
アメリカでは総合アルバム・チャートのBillboard 200で14位に達し、『ビルボード』のR&Bアルバム・チャートでは1位を獲得した[2]。本作からの先行シングル「アンティル・ユー・カムバック・トゥ・ミー」は総合シングル・チャートのBillboard Hot 100で3位、『ビルボード』のR&Bシングル・チャートで1位を記録し[2]、フランクリンはこの曲で、Hot 100において最高1位から10位までを網羅した史上初のアーティストとなった[5]。その後「アイム・イン・ラヴ」(Hot 100で19位、R&Bチャートで1位)、「エイント・ナッシング・ライク・ザ・リアル・シング」(Hot 100で47位、R&Bチャートで6位)がシングル・ヒットした[2]。
イギリスでは、本作は全英アルバムチャート入りを逃したが[7]、「アンティル・ユー・カムバック・トゥ・ミー」は全英シングルチャートで26位に達し、フランクリンにとって9作目の全英トップ40シングルとなった[8]。
ロン・ウィンはオールミュージックにおいて5点満点中3点を付け「彼女の"Until You Come Back to Me (That's What I'm Gonna Do)"は、スティーヴィー・ワンダーの偉大なオリジナルを超えた唯一の例」と評している[9]。また、ロバート・クリストガウは本作にBプラスを付け「トム(・ダウド)とジェリー(・ウェクスラー)の復帰は歓迎すべきであり、アレサの偉大な作品とまでは言えないが、バラードに至るまで安定している」と評している[10]。