郭泓志

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国籍 中華民国の旗 中華民国台湾
出身地 台南市
生年月日 (1981-07-23) 1981年7月23日(44歳)
身長
体重
188 cm
109 kg
郭 泓志
サンディエゴ・パドレス時代
(2017年)
基本情報
国籍 中華民国の旗 中華民国台湾
出身地 台南市
生年月日 (1981-07-23) 1981年7月23日(44歳)
身長
体重
188 cm
109 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1999年 アマチュアFA
初出場 MLB / 2005年9月2日
CPBL / 2014年3月22日
最終出場 MLB / 2011年9月24日
CPBL / 2018年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム チャイニーズタイペイの旗 チャイニーズタイペイ
WBC 2006年2013年
郭 泓志
各種表記
繁体字 郭 泓志
拼音 Guō Hóngzhì
注音符号 ㄍㄨㄛㄏㄨㄥˊㄓˋ
和名表記: かく おうし
発音転記: グォ・ホンジー
英語名 Kuo Hong-Chih
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獲得メダル
男子 野球
チャイニーズタイペイの旗 チャイニーズタイペイ
アジア競技大会
2006
2002

郭 泓志(グォ・ホンジー、1981年7月23日 - )は、台湾中華民国)の台南市出身の元プロ野球選手投手)。左投げ左打ち。

プロ入りとドジャース時代

1999年ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。

2002年オフの10月に開催された釜山アジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会では準優勝を果たした。

2005年9月の拡大ロースターにおいてはじめてメジャーの一員となった。この年は9試合に登板して1敗。

ドジャース時代(2010年7月27日)

2006年開幕前の3月に開催された2006 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のチャイニーズタイペイ代表に選出された[1]

シーズンでは、年間を通じて40人ロースターには登録されたまま、昇格と3Aへの降格を繰り返していたが、9月に昇格してからは本来の役割である先発に転向し、9月8日に先発デビューを果たす。首位ニューヨーク・メッツを6回無失点に抑えてメジャー初勝利を飾った。先発5試合で防御率3点強と先発向きの資質をアピールして見せた。また、ドジャースはポストシーズンに進み、郭はメッツとのディビジョンシリーズ第2戦で先発。5回途中、自責点2で降板し、敗戦投手となった。

オフの11月から12月にかけて開催されたドーハアジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会ではチャイニーズタイペイ代表史上初のアジア競技大会優勝に貢献した。

2007年は先発の一員として期待されていたが、背筋を痛めて開幕メジャーはならなかった。

2008年は一気に飛躍の年となった。2007年シーズン終了後のオフで手術した左腕を案じたトーリ監督は郭をセットアッパーとして起用したが、郭はこのポジションで頭角を現した。5月6日のメッツ戦では、黒田博樹のリリーフとして登板し、打者12人に対し8三振を奪い、3回2/3を無安打無得点に抑え、シーズン2勝目を挙げた。また8月14日のフィラデルフィア・フィリーズ戦では2回を無安打無得点に抑え自身初のセーブを挙げた。郭は2008年シーズン中42試合に登板し3試合に先発、39試合にリリーフとして出場、80回を投げ96三振を奪い、対戦チームの打率を.204に抑え、全ナショナルリーグのリリーフ投手の中でも1.69という顕著な防御率を残すに至った。上腕三頭筋のケガによりシーズン最後の15試合、およびディビジョンシリーズへの出場機会を失ったが、ナショナルリーグのチャンピオンシリーズでは3試合に出場し、3回を登板、3三振を挙げた。郭は同年の「MLB.com This Year in Baseball Awards」において、最優秀中継ぎ投手に選ばれた。

ドジャース時代(2011年3月22日)

2009年は4月後半に持病ともいえる左肘痛から15日の故障者リストに掲示され、さらに60日DLに移行するなど故障に苦しんだ。しかし、7月下旬に復帰すると2ヶ月強で28試合に登板した(ほぼ2試合に1試合のペースである)。終盤、コロラド・ロッキーズに追いつかれそうになったチームの地区優勝達成を支えた。

2010年は被打率1割台の速球とスライダーで打者を封じ、救援投手としてMLBトップの防御率1.20を記録し、台湾出身の選手で初めて、MLBオールスターゲームに出場した。現時点で台湾出身の選手でオールスターに出場したのは郭のみである。

カブス傘下時代

2012年3月9日

2012年2月6日にシアトル・マリナーズに1年契約で加入[2]。しかし、3月19日、オープン戦6試合で防御率17.55と不振で解雇された[3]

シーズンでは6月4日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結ぶ。7月6日に放出された。

2013年1月14日に第3回WBC本戦のチャイニーズタイペイ代表に選出され[4]、2大会ぶり2度目の選出を果たした。

統一セブンイレブン時代

統一セブンイレブン・ライオンズ時代
(2014年4月12日)

2013年6月22日に母国台湾の野球リーグである中華職業棒球大聯盟(CPBL)の統一セブンイレブン・ライオンズと契約を結んだ。

2014年にはストッパーとして27セーブを挙げた。

富邦時代

2017年サンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ[5]。4月1日に自分の能力不足を痛感し自ら球団に退団を申し込み[6]、後に富邦ガーディアンズ2軍の練習に加わった[7]

その後富邦と正式契約し、2018年まで中継ぎとしてプレーし、シーズン終了後に現役を引退した[8]

選手としての特徴・人物

第3回WBCにて
(2013年3月8日)

高校時代より速球派の左腕として頭角をあらわす。スリークォーターから最速99mph[9](約159km/h)のストレートとスライダーを中心に投球を組み立てる、主にリリーフとして活躍する[10]

王建民投手とは同じ中学(台南市建興国中)の出身で郭は1年後輩にあたる。また、元東北楽天ゴールデンイーグルス林恩宇投手の同級生でもある。

高校時代、第3回AAAアジア野球選手権大会決勝戦の日本戦に先発し、松坂大輔と投げ合っている。

台湾出身としては4人目のメジャーリーガーである。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2005 LAD 900000103.000265.1515101001446.751.88
2006 2850001502.16725859.25433351712030284.221.46
2007 860001400.20014030.13531401271026257.421.62
2008 42300053112.62532380.06042123961121192.141.01
2009 350000200141.00012430.02121322325010103.001.13
2010 560000321221.60022960.029118017331881.200.78
2011 4000001203.33312727.02442322362029279.001.74
2014 統一 50000006274.00021348.25111721674021142.591.40
2015 1000001203.333469.2110700930865.591.86
2017 富邦 2000000443.0009718.23111100271015136.272.25
2018 37000042011.66714634.02532001443017143.711.32
MLB:7年 2181400013171355.4331227292.12281812712103451431281213.731.21
CPBL:4年 11700005143121.263502111.01185552214711061473.811.56

背番号

  • 56 (2005年 - 2011年、2018年途中 - 同年終了)
  • 00 (2013年 - 2016年)
  • 40 (2017年 - 2018年途中)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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