野田恭平

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愛称 キョウヘイ、バンビ
カタカナ ノダ キョウヘイ
ラテン文字 NODA Kyohei
国籍 日本の旗 日本
野田 恭平
名前
愛称 キョウヘイ、バンビ
カタカナ ノダ キョウヘイ
ラテン文字 NODA Kyohei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-10-06) 1981年10月6日(43歳)
出身地 神奈川県相模原市
身長 191cm
体重 85kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1997-1999 日本の旗 日本大学高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2001 日本の旗 東京ヴェルディ1969 0 (0)
2002 日本の旗 沖縄かりゆしFC
2003-2008 日本の旗 FC琉球
2009-2012 日本の旗 FC岐阜 105 (0)
通算 105 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

野田 恭平(のだ きょうへい、1981年10月6日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー

日本大学高校在学中の1999年強化指定選手として、ヴェルディ川崎に登録。高校時代、一時期ヴェルディユースにも在籍した。

翌年の2000年ヴェルディ川崎へ入団。元日本代表本並健治菊池新吉の後塵を拝し、2001年には高木義成も入団したため公式戦出場ゼロに終わり同年限りで退団。

2002年沖縄かりゆしFCへ移籍。

2003年に同年結成されたFC琉球へ加入。2006年2007年JFL公式戦全試合フル出場を果たし、2007年は主将も務めた。しかし、2008年は後に南アフリカW杯アルジェリア代表にも選ばれたライス・エンボリに定位置を譲った。

2009年J2FC岐阜へ移籍[1]。前年まで正GKだった日野優徳島ヴォルティスへ移籍したこともあってすぐさまレギュラーを獲得。リーグ戦50試合に出場した。2010年も33試合に出場。

2011年5月15日横浜FC戦で接触プレーの際に左眼窩内側壁骨折の大怪我を負い[2]、シーズン中の復帰が難しくなったために6月17日付で一度は選手登録が抹消されたが、7月15日付で再登録され、7月17日FC東京戦において先発復帰を果たした。しかし、10月1日ギラヴァンツ北九州戦でまたしても負傷離脱。11月6日ファジアーノ岡山戦でベンチ入りしたが、復帰後は離脱中に加入した川浪吾郎の控えとなり出場機会はなかった。

2012年は開幕スタメンこそ確保したが、第3節ザスパ草津戦以降は多田大介にポジションを奪われ控えに降格。中盤戦以降は時久省吾が正GKに抜擢され、第3GKまで落ちた。この年は移籍後最低となるリーグ戦3試合の出場に留まり、11月21日に契約満了により退団となった[3]

引退後は会社員を経て、愛知県内で「サッカー選手の育て方談話室」の室長を務めている[4]。また、ぎふチャン(テレビラジオ)で行われるFC岐阜の実況中継で解説を務めている。

人物

  • 鋭い反応でピンチを防ぐ守護神。1対1でのシュートストップに絶対的な自信を持っている[5]
  • サッカーを始めたきっかけは、幼稚園のときに兄がサッカーをやっていた影響。小学校低学年のときには、サッカーの試合がない日は野球の試合に出ていた[5]
  • 長く沖縄のクラブに所属していたことや、その濃い顔立ちの風貌からか、沖縄出身だと間違われることがしばしばある[6]

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000V川崎26J100000000
2001東京V3100000000
2002沖縄20九州-10
2003琉球21沖縄県3部--
20041沖縄県1部-00
2005九州-30
2006JFL340-20360
2007340--340
2008120--120
2009岐阜J2500-40540
2010330-10340
2011190-00190
201230-1040
通算日本J1 00000000
日本J2 1050-601110
日本JFL 800-20820
日本 ||||colspan="2"|-||4||0||||
総通算 1850001201930

タイトル

沖縄かりゆしFC
FC琉球

代表歴

  • U-18日本代表候補

脚注

関連項目

外部リンク

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