野花南駅
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年表

- 1913年(大正2年)11月10日:鉄道院釧路本線の駅として開業[1]。一般駅[1]。
- 1921年(大正10年)8月5日:所属路線が根室本線と改称。
- 1937年(昭和12年)10月:滝沢木工所(後に滝沢ベニヤ)設立。専用線敷設(時期不明)。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1976年(昭和51年)4月1日:貨物取扱い廃止[1]。
- 1982年(昭和57年)5月30日:荷物取扱い廃止[3]。同時に無人化[4]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 1991年(平成3年)10月22日:当駅 - 島ノ下駅(現:島ノ下信号場)間が滝里ダムの建設に伴う線路付替で滝里トンネルと島ノ下トンネル(計8.4 km)を通る新ルートに変更。滝里駅廃止。
駅名の由来
アイヌ語に由来する。山田秀三は「ノカナン」やそれに類した地名(糠南駅のヌカナン等)について「殆どが意味が分からなくなっていて[5]」としているが、この「野花南」については「ノカンナイ(nokan-nay)」(小さい・川)が由来ではないかと推察している[5][6]。
なお永田方正が『北海道蝦夷語地名解』で「ノカナン。機弓の糸を置く処[5]」としているが、これについて山田は「ノッカアン(notka-an)」(動物を捕る仕掛け弓やワナにつける「さわり糸」・ある)と永田は解釈したのではないかとしているが[5][6]、「あまり見ない地名の形で、まあ(注:永田の)試案とでもみるべきであろう[5][6]」としている。
なお、地名における「野花南」は1939年(昭和14年)4月1日に芦別村(当時)で行われた字名改正で、当駅周辺の字名が「丸山」(当地の山に由来)および「金剛」(当地の沢名に由来)と変更になり一度消滅しているが[7][8]、郵便局や小学校なども改名されないまま定着せず[8]、駅名も下芦別(現:芦別)・上芦別・奔茂尻(のちの滝里)であったような改名陳情も行われず[7]、1955年(昭和30年)9月に字名を廃止した際に「野花南町」となって現在に至っている[8]。
駅構造
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
| 年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
| 1992年(平成4年) | (4.0) | [9] | 1日平均乗降客数8人 | ||
| 2015年(平成27年) | 「10名以下」 | [JR北 1] | |||
| 2016年(平成28年) | 2.4 | [JR北 2] | |||
| 2017年(平成29年) | 2.2 | [JR北 3] | |||
| 2018年(平成30年) | 1.6 | [JR北 4] | |||
| 2019年(令和元年) | 2.0 | [JR北 5] | |||
| 2020年(令和2年) | 2.6 | [JR北 6] | |||
| 2021年(令和3年) | 2.4 | [JR北 7] | |||
| 2022年(令和4年) | 3.2 | [JR北 8] | |||
| 2023年(令和5年) | 4.2 | [JR北 9] | |||
| 2024年(令和6年) | 4.4 | [JR北 10] | |||
