鍛冶町 (横手市)
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| 鍛冶町 | |
|---|---|
| 町丁 | |
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鍛冶町通り(2024年8月) | |
北緯39度18分42秒 東経140度34分07秒 / 北緯39.311781度 東経140.568633度座標: 北緯39度18分42秒 東経140度34分07秒 / 北緯39.311781度 東経140.568633度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 地域 | 横手地域 |
| 人口情報(2020年10月1日現在[1]) | |
| 人口 | 165 人 |
| 世帯数 | 76 世帯 |
| 設置日 | 1966年4月1日[2]。 |
| 郵便番号 | 013-0031[3] |
| 市外局番 | 182 |
| ナンバープレート | 秋田 |
鍛冶町(かじまち)は、秋田県横手市の町丁。郵便番号は013-0031[3]。人口は165人、世帯数は76世帯(2020年10月1日現在)[1]。丁目の設定のない単独町名で、全域で住居表示を実施している[4]。旧横手市栄通町の一部、鍛冶町に相当する[2]。
歴史
横手川右岸の朝倉山(通称・お城山)に位置した横手城[9]の城下町として栄えた地域で、現在も横手市の中心市街地の一角を成している[10]。現在の鍛冶町は横手川の左岸、商人や職人が住む「外町」に当たる地域で[11]、江戸時代頃から城下町として形成されていった[12]。当時の横手城下の外町において最南端に位置する町で[11][13]、横手鍛冶町や五日町とも呼ばれた[11][13]。
羽州街道が南方の横手前郷村から田町を経由して[14]この町を縦貫し、北の二日町に至る[13]。二日町は、鍛冶町と大町・四日町に挟まれた場所にあり、1881年(明治14年)の「郡区町村一覧」においては栄通町(さかえとおりまち)[13]、現代の住居表示においては横手市鍛冶町・四日町の一部となっている[6]。羽州街道は二日町に入った後、大町と四日町の二筋に分かれる[6]。現在田中町にある蛭子神社は、天正2年(1574年)にこの二日町の地で建立されたもので、天正19年に類焼により西の田中町へと移転し、再建されたと伝えられている[6]。
鍛冶町と田町の境界(現在の金比羅神社境内[11])には阿弥陀堂があり、そこに羽州街道の一里塚が置かれた[14]。これは幕府からの指示で秋田藩が整備したもので、久保田城の大手門の柱が基点になっている[14]。
町名の変遷
住居表示に関する法律が施行された1962年5月10日以降、旧横手市内においても住居表示が進み、1965年より第一次から第五次にかけて実施された[15]。本地域は第二次地区として1966年4月1日に実施され、現行の鍛冶町はここで誕生した[16]。
| 実施後 | 実施年月日 | 実施前 |
|---|---|---|
| 鍛冶町 | 昭和41年4月1日 | 栄通町(一部) |
| 鍛冶町 |
世帯数と人口
2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 丁目 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 鍛冶町 | 76世帯 | 165人 |
人口・世帯数の推移
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[17] | 312 |
| 2000年(平成12年)[18] | 253 |
| 2005年(平成17年)[19] | 247 |
| 2010年(平成22年)[20] | 225 |
| 2015年(平成27年)[21] | 194 |
| 2020年(令和2年)[1] | 165 |
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[17] | 117 |
| 2000年(平成12年)[18] | 103 |
| 2005年(平成17年)[19] | 94 |
| 2010年(平成22年)[20] | 96 |
| 2015年(平成27年)[21] | 90 |
| 2020年(令和2年)[1] | 76 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[22]。
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | 横手市立横手南小学校 | 横手市立横手南中学校 |
