上境 (横手市)

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上境
大字
北緯39度20分41秒 東経140度32分06秒 / 北緯39.344747度 東経140.534903度 / 39.344747; 140.534903座標: 北緯39度20分41秒 東経140度32分06秒 / 北緯39.344747度 東経140.534903度 / 39.344747; 140.534903
日本の旗 日本
都道府県 秋田県の旗 秋田県
市町村 横手市
地域 横手地域
人口情報2020年10月1日現在[1]
 人口 679 人
 世帯数 178 世帯
設置日 1951年4月1日[2]
郵便番号 013-0821[3]
市外局番 182[4]
ナンバープレート 秋田
ポータルアイコン ポータル 日本の町・字
ポータルアイコン ポータル 秋田県
プロジェクト 日本の町・字
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上境(かみざかい)は、秋田県横手市大字郵便番号は013-0821[3]。人口は679人、世帯数は178世帯(2020年10月1日現在)[1]住居表示は全域で未実施[5]。旧平鹿郡境町村大字上境、旧平鹿郡上境村に相当する。

地名の由来

横手市の北部、横手地域の北端に位置しており、東で睦成、西で下境、南で上八丁杉目静町、北で安本仙北郡美郷町金沢西根と隣接する。北端では横手川が北西に流れる[2]。北西から南西にかけては県道71号大曲横手線が通っており、その沿線には住宅が集中している[2]。沿線には明田・館・大上境の集落があり、南西端には大倉小屋集落が位置する[2]。県道71号は館地区で県道267号金沢吉田柳田線と交差し、同線は西方へ向かって延びている[2]

全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている[6]都市計画法上の用途地域には指定されていない[7]

菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』によれば、「上境」という地名は、下境に対応するものであり、「境」は境界を意味するとされる[8]。これは、平鹿郡仙北郡との境界に位置していたことに由来する[8]

小字

2024年令和6年)10月5日時点での「横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ[9]デジタル庁公表の「アドレス・ベース・レジストリ」の「秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット[10]、横手市公表のオープンデータ[11]によれば、上境の小字は以下の通りである。

町・字 出典
大字 小字 登記[9] 町字マスター[10] 行政区一覧[11]
上境 字石田
字栄川原 ×
字栄川原西 ×
字下悪戸
字下間明田
字外阿摩部
字館
字空原
字耳取
字上悪戸
字上間明田
字上川原
字菅生 ×
字川原田
字大上境
字谷地中
字中悪戸
字中小屋
字登津羅町
字内阿摩部
字南大倉小屋
字白幡
字番匠田
字北大倉小屋
字毛曽

歴史

正保4年(1647年)の『出羽国知行高目録 下』では、境村として上境村と下境村が総称されている[12]享保年間までの村高を記録した郷帳をもとに町名を調べた『平鹿郡御黒印吟味覚書』においても、当初は境村として記載されており、その後、上境村から下境村が分離したように記載されている[12][13]。享保15年(1730年)の『六郡郡邑記』によれば、上境村は14の支郷の総称で、甘辺村(家数3軒)、間明田村(同10軒)、間ヶ沼村(同2軒)、大蔵小屋(同5軒)、菅生村(同2軒)、杉目境村(同1軒)、上村(同10軒)、河原田村(同3軒)、館村(同21軒)、大田ノ上村(同5軒)がある[14]菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』では、大田ノ上村は太田、菅生村は菅生田としてそれぞれ廃村となり[13]、田地の字名になっている[14]

北部の上境字館には、真壁館と称される中世の城館跡がある。室町時代に築城され、小野寺氏の家臣真壁対馬の居城と伝えられる[15]。本丸と二の丸からなり、本丸は東側の両隅に、二の丸は北側の両隅に櫓を置いた[16]。両丸は外堀と繋がる堀で分けられ[13]、二の丸の南の桐木屋敷・大学屋敷の屋敷との境も堀となっており、南端に大手門を開いていたとされる[16][13]。遺構としては、二の丸と伝えられる削平地(現在の八幡神社境内)と、その西側および北側の水田や用水路に残る水郷跡を確認できる程度である[16]

沿革

世帯数と人口

2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字小字世帯数人口
上境 字中小屋 6世帯 17人
字上間明田 32世帯 101人
字番匠田 32世帯 102人
字上悪戸 37世帯 124人
字館 1世帯 48人
字毛曽 37世帯 106人
字谷地中 9世帯 36人
字南大倉小屋 19世帯 58人
字谷地中 4世帯 27人
字谷地中 4世帯 15人
合計 178世帯 679人

人口・世帯数の推移

以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。

上境の人口推移
人口
1995年(平成7年)[29]
809
2000年(平成12年)[30]
762
2005年(平成17年)[31]
804
2010年(平成22年)[32]
728
2015年(平成27年)[33]
714
2020年(令和2年)[1]
679

以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数の推移。

上境の世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[29]
176
2000年(平成12年)[30]
174
2005年(平成17年)[31]
181
2010年(平成22年)[32]
176
2015年(平成27年)[33]
177
2020年(令和2年)[1]
178


小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[34]

小字小学校中学校
全域横手市立横手北小学校横手市立横手北中学校

交通

鉄道

町内に駅はない。最寄り駅は奥羽本線後三年駅

バス

町内にバス路線及びバス停はない。

2023年9月30日までは羽後交通の角間川線が通っていた[35][36]

道路

施設

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 5(秋田県)、角川書店、1980年3月。全国書誌番号:80016503 
  • 平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名大系 5(秋田県の地名)、平凡社、1980年6月。全国書誌番号:80028503 
  • 秋田県教育委員会 編『秋田県文化財調査報告書 第86集 (秋田県の中世城館)』秋田県教育委員会、1981年3月。doi:10.11501/12873283 
  • 横手市史編さん委員会『横手市史』 昭和編、横手市、1981年11月3日。doi:10.11501/9570576 
  • 伊沢慶治『横手ものしり事典』東洋書院、1984年10月。doi:10.11501/9571321 
  • 横手市 編『横手市史』 通史編 近世、横手市、2010年3月。全国書誌番号:21995094 

脚注

関連項目

外部リンク

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