長尾一大心
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自身が生まれる前に他界した曾祖母が全日本プロレスのファンで、その影響でプロレスラーを志す[2]。また中学2年生の頃に全日本プロレスの釧路興行を観戦し、試合後には売店で宮原健斗と写真を撮っている[2]。小学生から中学生までの9年間はアイスホッケーを経験[3]。中学校は「日本一練習が厳しいアイスホッケー部」である強豪校だった。高校時代はプロレスラーを本格的に目指すべく、柔道を経験[3]。高校卒業後、一度就職するもトレーニングを続け、2023年12月1日に新木場1stRINGで開催された全日本プロレス公開入門テストを受験し合格する[4]。
半年間の練習生期間を経て、全日本プロレス旗揚げ記念日の2024年10月22日後楽園ホール大会で、先輩の井上凌相手にデビュー戦を行う[5]。デビューからわずか2戦目、期間にして5日後には故郷の北海道・札幌大会で凱旋試合となる「長尾一大心試練の3番勝負」第1戦が行われ、師匠である青柳優馬とのシングルマッチが組まれるも玉砕した[6]。
2025年5月18日、大田区総合体育館大会第0試合にて、OSW所属の小藤将太とシングルで対決し、逆エビ固めで自身初勝利を挙げる[7]。結果的にこれが生前最後の試合となった。
同年6月7日、5月31日にバスとの接触事故により受傷した怪我を理由に、当面の間欠場することが全日本プロレスにより発表された。その後同月21日、全日本プロレスにより改めて詳細な状況が報告され、長尾が接触したバスは団体の巡業バスであったことが明らかにされ、腹部が圧迫されたことによる外傷性ショックにより集中治療を受けている事が公表された[8]。しかし復帰はかなわず、事故から約3か月後となる同年9月7日早朝、入院先の神奈川県内の病院で敗血症で死去した[9][10]。21歳没[11]。
没後最初の全日本プロレス興行となった9月15日後楽園ホール大会にて、試合開始前に追悼式が執り行われ、遺骨と共に10カウントゴングが捧げられた[12][13]。同日出場の選手は、長尾のコスチュームカラーである緑色をテーピングなどで身につけ試合に臨んだ[12]。また同日は献花台およびメッセージノートの記帳所が設けられ、団体は年内の全興行に献花台を設置する意向を示した[12]。
10月29日、長尾の故郷である北海道釧路市のウインドヒルくしろスーパーアリーナ大会は長尾の追悼大会となり、長尾が目標としていた世界ジュニアヘビー級王座の選手権試合(青柳亮生vs佐藤光留)が行われたほか、全試合終了後には10カウントゴングが捧げられた[14]。