静岡鉄道袋井営業所
From Wikipedia, the free encyclopedia
概説
静岡電気鉄道と中遠鉄道の乗合自動車事業を母体に、それらの戦時統合により誕生した静岡鉄道の袋井営業所として開設された。
静岡電気鉄道が戦前に構想し、静岡鉄道が戦後第一号の中距離路線として開設した「国道本線」と、同線の区間分離によって誕生した「西部国道本線」のほか、1960年代以降は静岡鉄道秋葉線(遠州森町 - 袋井間) 、静岡鉄道駿遠線(袋井 - 新三俣間)の廃止代替路線を基幹路線として担う営業所であった。
また、遠州鉄道の路線網と交錯する地域を管轄していたため、一部の路線は相互乗入れや共同運行が行われていた。管轄エリアには秋葉山本宮秋葉神社や小国神社をはじめ、遠州三山に数えられる可睡斎、油山寺、法多山尊永寺といった古社名刹が多く、それらの参拝輸送を担う系統が古くから存在した。小国神社、可睡斎にはのちの静岡鉄道が、油山寺には遠州鉄道が、秋葉山と法多山には静岡鉄道、遠州鉄道の双方が乗り入れていた。[1]
1950年代から1960年代にかけては、磐田市から静岡市(1950年代末期以降は金谷町)までの東海道筋に加えて、天竜市(二俣)、春野町(気多)、森町、福田町、浅羽町(同笠)、大須賀町(新横須賀→横須賀車庫)、大東町(南大坂・新三俣)、浜岡町、御前崎町など、中遠地域から北遠、東遠、南遠の各地域に広範囲に路線網を有していた。
1960年代は道路整備が進み、静岡鉄道秋葉線、静岡鉄道駿遠線の廃止に伴う代行バスに加え、相互乗り入れや車両の増強によって路線が拡充され需要はピークを迎えるが、一方でそれを上回るペースで交通量が増加し、中・長距離路線の定時性確保が困難になって行った。
1970年以降は利用者は年々減少を続け、中・長距離路線の区間整理や廃止により管轄する路線網を縮小し、徐々に都市間輸送から通学、通院を中心としたローカル輸送と袋井駅へのフィーダー輸送へと転換していった。
1980年代は山間路線の一部が沿線自治体による貸切代替バスの運行に切り替えられた。また、掛川市北部の山間路線を貸切代替バスとして担うため掛川バスサービス株式会社が設立された際には、代替バス以外の路線と車両が掛川営業所から袋井営業所と浜岡営業所に移管され、掛川に袋井営業所の所属車両が配置された。
1990年代に森町営業所の担当路線および施設を秋葉バスサービス株式会社として分社し、残る路線を浜岡営業所に移管して袋井営業所は廃止された。[2]
袋井営業所の廃止から2000年代にかけては、浜岡営業所から秋葉バスサービスに段階的に路線を移管し、現在はかつての袋井営業所の管轄していたエリアを秋葉バスサービスが承継している。
静岡鉄道時代は袋井営業所、森町営業所以外に、川上車庫(杉・川上線)、田河内車庫(熊切線)、気多車庫(秋葉線)、山梨車庫(秋葉線・磐田線)、福田車庫(福田線)、横須賀車庫(中遠線・南遠線)の6ヶ所と、掛川バスサービス発足以降は掛川にも夜間滞泊があったが、現在は減便や路線網縮小により秋葉バスサービス本社と気多車庫、袋井車庫、横須賀車庫、大東車庫の5ヶ所となっている。[注釈 1][3]
沿革
- 1912年(明治45年)8月28日 - 中遠鉄道株式会社が設立された。
- 1919年(大正8年)12月 - 駿遠電気(のちの静岡電気鉄道)の役員によって秋葉鉄道株式会社が設立された。
- 1922年(大正11年)
- 1923年(大正12年)
- 1924年(大正13年)
- 1925年(大正14年)7月11日 - 静岡電気鉄道が秋葉線として袋井 - 山梨間で電化運輸を開始した。しかし乗合自動車の攻勢により、秋葉線防衛のために乗合路線の開拓や競合路線の買収を進めていくこととなった。[12][13]
- 1926年(大正15年・昭和元年)
- 1927年(昭和2年)11月 - 静岡電気鉄道が袋井 - 可睡間の乗合自動車の季節運行を開始した。[15]
- 1931年(昭和6年)8月25日 - 二俣 - 犬居間に路線を有する北遠秋葉自動車と二俣 - 山梨、二俣 - 笠井に路線を持つ遠州自動車商会が合併し、遠州秋葉自動車となった。同社はのちの戦時統合によって遠州鉄道となるが、当時は世界恐慌を乗り切るため無用な競争を避け、秋葉自動車運輸商会と合同で発着場を設置し、秋葉山本宮参詣客を始めとした一般乗合客の利便性向上に努めた。[16]
- 1935年(昭和10年)1月1日 - 静岡電気鉄道が秋葉自動車運輸商会から競合路線を買収し、天宮 - 袋井間、天宮 - 見付間、天宮 - 掛川 - 大坂間などの営業権を承継した。これに伴い秋葉自動車運輸商会の天宮車庫と気多車庫は静岡電気鉄道自動車部の森町営業所および気多車庫となった。[17][18]
- 1937年(昭和12年)4月30日 - 静岡電気鉄道が、将来の袋井 - 静岡間の直通運転(のちの国道本線)を構想して袋井 - 掛川間に路線を持つ掛井自動車商会(現・袋井市)を買収した。[19]
- 1943年(昭和18年)5月15日 - 静岡電気鉄道、静岡乗合自動車、藤相鉄道、中遠鉄道、静岡交通自動車の5社の戦時統合によって静岡鉄道が設立されるが、鉄道輸送の優先と資源物資の統制などにより乗合自動車事業は徐々に中断されていった。[20]
- 1945年(昭和20年)1月31日 - 前年12月7日に発生した昭和東南海地震により、静岡鉄道秋葉線の支線である可睡線(可睡口 - 可睡間)の運行が休止され、その後運行が再開される事なく廃止となった。[17]
- 1948年(昭和23年)- 静岡鉄道が増資を行い市外の路線の復興のために組織を整備し、袋井、森町、掛川、菊川地区は自動車部袋井現業課が管轄した。[21]
- 1951年(昭和26年)
- 1954年(昭和29年)- 町村合併により菊川町が誕生し、堀之内営業区が菊川営業区となった。[27][注釈 2]
- 1958年(昭和33年)
- 1961年(昭和36年)10月 - 営業所の移転工事が着工された。 [31]
- 1962年(昭和37年)
- 1967年(昭和42年)8月28日 - 旧中遠鉄道の全区間にあたる静岡鉄道駿遠線の社袋井 - 新三俣間の営業廃止に伴い、代行バスの運行を開始した。[35][36]新横須賀駅と南大坂駅(大坂)は最終列車発車直後より線路が撤去され、反転地とバス留置場(車庫)となり、駅舎はそのまま売札所と待合室として利用された。また、新岡崎、新横須賀、南大坂では廃線後も引き続き国鉄連絡切符の発券を行っていた。(廃止時期不詳)[37][38][39]
- 1978年(昭和53年) - 新横須賀バスターミナルが廃止され、新横須賀停留所は新横須賀駅跡地から現在の県道69号線沿いに移転した。一方で大須賀町役場 - 野中西間に横須賀車庫が新たに開設され、売札所(横須賀案内所)と乗務員休憩所、停留所が設置された。なお、車庫の県道69号線を挟んだ向いには遠州鉄道の横須賀車庫が存在し、横須賀から浜松駅、磐田駅方面への路線を運行していたため、施設名および停留所名は静鉄横須賀車庫とした。[40][41][42]
- 1979年(昭和54年)6月 - 過疎地域路線維持の取り組みとして「秋葉線」「杉・川上線」「吉川線」でフリー乗降方式を導入した。[43]
- 1981年(昭和56年)- 1982年(昭和57年)頃 - 静岡鉄道秋葉線の廃線跡の新道(現在の県道58号)拡幅工事に伴い山梨車庫および山梨停留所が約50m程北側の代替地に移転した。これに伴い山梨車庫の売札所および待合室が解体された。
- 1985年(昭和60年)3月5日 - 「杉・川上線」「熊切線」が春野町の貸切代替バスに転換された。[44]
- 1987年(昭和62年)11月16日 - 静岡鉄道の100%出資によって掛川バスサービス株式会社が設立され、翌1988年(昭和63年)3月に大井川鉄道の「東山線」と「粟本線」の一部を、さらに1990年(平成2年)6月には掛川営業所の所管していた「桜木線」「倉真線」「居尻線」を貸切代替バスとして引き継ぎ、残る路線が袋井営業所と浜岡営業所に移管され、袋井営業所の車両数台が掛川に配置された。[44]
- 1996年(平成8年)4月1日 - 静岡鉄道の100%出資により秋葉バスサービス株式会社が設立され、森町営業所が管轄していた路線および車両、施設を静岡鉄道から同社に引き継ぎ、10月より貸切代替バスの営業運行を開始した。残る所管路線は浜岡営業所に移管され、袋井営業所は廃止された。[2]
所管していた路線
袋井営業所の廃止直前には次の路線を所管していた。
秋葉線
- 運行系統および主要停留所
- 概説
- 1960年代前半に静岡鉄道秋葉線の廃止に伴い「代行バス秋葉線」として開設され、1960年代半ばの地元の要望による支線系統の開設と共に、併行していた「春野線」を統合して「秋葉線」となった。
- 1970年代初頭には、気多 - 袋井駅間の基幹系統が急行運転となり、さらに1970年代後半には山間部の一部区間でフリー乗降方式を導入するなど過疎地域路線の維持に努めると共に、袋井市民病院の新築移転に伴い「可睡線」を経由する系統も開設した。
- 1980年代には支線系統を廃止し、貸切代替バスの「熊切線」として存続した。
- 1990年代に入ると「可睡線」と「南遠線」を統合し、袋井駅の南北をつないで袋井高校や袋井市民病院のアクセス向上を図る系統が山梨 - 横須賀車庫間に誕生し、山梨 - 袋井駅間は「秋葉線」と「中遠線」が併行するようになった。さらに袋井営業所を廃止し秋葉バスサービスが設立された際には、森町以北を「秋葉線」として秋葉バスサービスに、森町以南の区間を「秋葉中遠線」として浜岡営業所に移管した。
- 沿線には高等学校、中学校、幼稚園が多数あり通園通学に不可欠であることや、天竜区春野から森町、袋井市に至る唯一の系統でもあることから、現在は気多 - 袋井駅系統が地域公共交通確保維持改善事業における地域間幹線系統に位置付けられており、沿線の市町(浜松市、森町、袋井市)が国・県と併せて欠損補助を実施しながら系統を維持している。[45][46]
- 沿革
- 1962年(昭和37年)9月20日 - 静岡鉄道秋葉線(新袋井 - 遠州森町駅間)の営業廃止に伴い「代行バス秋葉線」の運行を開始した。森町支所が遠州森町駅跡地に移転し森町営業所が開設され、山梨駅跡地には山梨車庫が開設された。
- 袋井駅 - 可睡口 - 山梨 - 飯田 - 戸綿 - 下宿 - 遠州森町
- 1964年(昭和39年)10月16日 - 「春野線」が統合され「秋葉線」となった。熊切・加々沢系統が田河内まで延伸する一方、田河内系統は袋井 - 気多系統と河内で接続・連絡するようになった。
- 1966年(昭和41年)3月25日 - 同日改正の時刻表では次の系統が運行されていた。
- 1969年(昭和44年)4月26日 - 気多 - 川上間に「杉・川上線」の運行を開始した。
- 1975年(昭和50年)11月の時刻表では次の系統が存在した。気多 - 袋井駅系統は急行となっている。[47]
- 1979年(昭和54年)
- 1981年(昭和56年)- 1982年(昭和57年)頃(時期不詳) - 静岡鉄道秋葉線の廃線跡の道路(現在の県道58号袋井春野線)の拡幅に伴い山梨車庫および停留所が約50m程北側の代替地に移転した。
- 1984年(昭和59年)4月 - 同月現在の路線図では次の経路を運行していた。[48]
- 1985年(昭和60年)4月5日 - 春野町役場・春野高校 - 熊切間および春野町役場 - 田河内間が春野町の貸切代替バスに転換され「熊切線」として運行を開始した。
- 1993年(平成5年)の時刻表では次の系統が存在した。
- 横手橋経由:
- 森高校経由
- 袋井市民病院経由:
- 区間便:
- (横町→・遠州森町←)- 三倉 - 春野町役場前 - 気多中学校前 - 気多
- 袋井駅前 - 中央町 - パイオニア入口
- 1995年(平成7年)4月1日 - 袋井駅前 - 気多間の直通運行が廃止され、遠州森町で連絡となった。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 遠州森町 - 気多間が「秋葉線」として秋葉バスサービスに移管され、遠州森町 - 浜岡営業所間が「秋葉中遠線」として浜岡営業所に移管された。
- 1962年(昭和37年)9月20日 - 静岡鉄道秋葉線(新袋井 - 遠州森町駅間)の営業廃止に伴い「代行バス秋葉線」の運行を開始した。森町支所が遠州森町駅跡地に移転し森町営業所が開設され、山梨駅跡地には山梨車庫が開設された。
中遠線
- 運行系統および主要停留所
- 概説
- 沿革
- 1967年(昭和42年)8月27日の運行を以って静岡鉄道駿遠線の袋井 - 新三俣間が廃止され、翌28日より「代行バス中遠線」が開設された。開設当初は1日24往復が運行され、「南遠線」「同笠線」「福田線」の重複区間では、定期券や回数券、普通乗車券の相互利用は不可であった。また、これらの路線が北口の袋井駅前停留所を発着するのに対して「代行バス」は袋井駅南側の社袋井(現在の袋井駅南口バス停)発であった。代行バスの停車停留所(カッコ内旧駅名)は下記のとおり。[37][38]
- 1975年(昭和50年)の時刻表では「南遠線」への集約が進み、社袋井 - 新三俣間の運行は朝晩のみの運行で袋井行5本、新三俣行6本となっており、日中は社袋井 - 新横須賀間を毎時1本の運行であった。
- 1978年(昭和53年) - 新横須賀バスターミナルが廃止され、横須賀車庫が開設された。[40] また大東町役場にもバスターミナルが整備された。[49]
- 1984年(昭和59年) - 浅羽町役場竣工に伴い浅名および浅名南停留所を廃止し、浅羽町役場停留所を新設した。なお同年4月現在の路線図では「中遠線」の記載が残るが「南遠線」への集約が進み朝晩のみの運行となっていた。[48]
- 1990年(平成2年)8月の路線図では、袋井駅南部から袋井市民病院や袋井商業高校への乗り換え無しでの南北アクセス向上のため「可睡線」「南遠線」が整理統合され「中遠線」となった。運行系統および主要停留所は以下の通り。[50]
- 1993年(平成4年)の時刻表では「中遠線・秋葉線」として気多 - 浜岡営業所間がひとつの時刻表に纏められているが、「大坂線」の浜岡営業所延伸に伴い大東町役場前 - 浜岡営業所間は「横須賀線」の流れを汲む平日のみ朝晩運行の新横須賀 - 浜岡営業所の区間系統のみとなっている。[51]
- 1996年(平成8年)4月 - 秋葉バスサービス株式会社の設立と袋井営業所の廃止に伴い、気多 - 遠州森町間を「秋葉線」として秋葉バスサービスに、遠州森町 - 大東町役場 - (浜岡営業所)間を「秋葉中遠線」として浜岡営業所に移管した。
磐田線
- 運行系統および主要停留所
- 概説
- 周智郡森町天宮に本社を置く秋葉自動車運輸商会が昭和初期に開設した天宮 - 中泉駅 - 浜松駅間の路線が源流であり、このうち秋葉線と競合する天宮 - 磐田駅間の営業権を静岡電気鉄道が買収し、静岡鉄道に継承された。残る磐田駅 - 浜松駅間は、中ノ町線が競合する浜松電気鉄道が秋葉自動車運輸商会と共に設立した遠州乗合自動車に承継され、同社を含む6社の戦時統合により遠州鉄道の路線となった。
- 戦後は静岡鉄道が天宮 - 磐田駅間を「磐田線」として再開し、遠州鉄道も浜松駅 - 中ノ町 - 磐田駅 - 見付 - 袋井駅間に「袋井・浜松線」として路線を再開した。1960年代に入ると静岡鉄道と遠州鉄道、大井川鉄道の3社相互乗入れで遠鉄浜松 - 新静岡間に「急行静岡浜松線」、静岡鉄道と遠州鉄道の2社共同運行で「掛川浜松線(準急)」、遠州鉄道単独で西鷲津(湖西市) - 袋井間に「遠鉄国道本線(急行)」が相次いで開設され、東海道筋の路線バスは黄金期を迎えた。
- 1960年代末期から1970年代に入ると急行や準急の中距離路線は交通量の増加により定時性確保が困難となり、静岡鉄道と遠州鉄道の相互乗り入れの「東名静岡浜松線」に基幹路線の座を譲り廃止となったが、磐田駅や浜松駅へのフィーダー輸送を主とする「磐田線」や「袋井・浜松線」は1970年代以降も車両の冷房化やハイグレード化を進めながら系統を維持していた。
- 1990年代の袋井営業所廃止当初は浜岡営業所に移管され、1年の準備期間を経て秋葉バスサービスに移管された。
- 不採算路線となって以降は、磐田市及び森町の高校に通う生徒の通学や通勤・通院に利用されているため、沿線市町により欠損補助が行われた。
- 現在は秋葉バスサービスが受託する磐田市の自主運行バス(磐田市バス)に路線が承継されている。
- 沿革
- 1930年(昭和5年)
- 1935年(昭和10年)1月1日 - 静岡電気鉄道が秋葉自動車運輸商会の天宮 - 中泉駅間の路線を買収した。
- 1936年(昭和11年)10月23日 - 秋葉自動車運輸商会と浜松電気鉄道株式会社が、遠州乗合自動車株式会社を設立し、見付 - 浜松駅間の営業権を継承した。11月1日から営業運行を開始し、翌1937年(昭和12年)2月に浜松電気鉄道中ノ町線が廃止された。[7]
- 1953年(昭和28年)9月現在の静岡鉄道の時刻表では、次の区間を1日6往復の運行であった。[52]
- 磐田 - 深見 - 山梨 - 円田 - 天ノ宮
- 1959年(昭和34年)の時刻表では、天の宮 - 磐田駅前間が1日7往復、天の宮 - 深見間が夕方1往復運行されていた。また、磐田駅 - 深見西間は「磐田線」と併行し袋井駅に向かう「今井磐田線」と、円田 - 深見西間が「磐田線」深見西 - 袋井駅間が「今井磐田線」とそれぞれ併行する「今井敷地線」も存在した。運行系統及び主要停留所は次の通り。[30]
- 1962年(昭和37年)9月20日 - 静岡鉄道秋葉線の新袋井 - 遠州森町間が廃止され、森町支所が天宮から遠州森町駅跡に移転した。これに伴い起終点が天宮から遠州森町となった。
- 1972年(昭和47年)11月現在の路線図では、遠州森町 - 森町役場入口間に、従来の本町・下宿経由に加えて太田川沿いに河原町・森川橋を経由するルートが存在している。[53]
- 1975年(昭和50年)の時刻表では次の区間を平日15往復、日祝日12往復していた。[54]
- 遠州森町 - 草ヶ谷 - 谷中 - 山梨 - 笠梅 - 磐田原 - 茨木 - 見付 - 磐田駅前
- 1977年(昭和52年)の路線図では次の経路を運行していた。[41]
- 1993年(平成5年)の路線図および時刻表では次の3系統が存在した。平日のみ運行で朝晩に森高校経由が1.5往復、山梨 - 天神下区間便は朝のみ1本の運行で休校日と第2土曜日が運休であった。[51]
- 1996年(平成8年)4月 - 浜岡営業所に移管された。
- 1997年(平成9年)
- 3月24日 - 森町病院が新築移転し、森町病院を経由する系統が開設された。
- 9月1日 - 秋葉バスサービスに移管された。
- 2010年(平成22年)4月 - 磐田市バスとなり、秋葉バスサービスが運行を受託した。
今井線
- 主要停留所
- 袋井駅前 - 中央町 - 河原町 - ボウリング場前 - 家畜市場前 - 土橋 - 延久 - 徳光 - 太田 - 深見東
- 概説
- 沿革
- 1966年(昭和41年)3月25日 - 同日改正の時刻表では山梨を起点に深見を経由して袋井を結ぶ「今井線」が開設されている。
- 1969年(昭和44年)10月1日 - 同日改正の時刻表では次の3系統が存在し、山梨系統が1日2往復、水洗系統が6往復、深見系統が3往復の運行であった。
- 1972年(昭和47年)の路線図では次の経路を運行していた。[53]
- 袋井駅 - 徳光 - 太田 - 深見東 - 深見西 - 水洗 - 牛飼 - 上町 - 山梨
- 1975年(昭和50年)の時刻表では袋井駅 - 深見東間に路線を縮小しており、平日11往復、日祝日上り10本、下り11本が運行されていた。[55]
- 1977年(昭和52年)の路線図では次の経路を運行していた。[41]
- 袋井駅前 - 中央町 - 河原町 - ボーリング場前 - 家畜市場前 - 土橋 - 延久 - 徳光 - 太田 - 深見東
- 1984年(昭和59年)の路線図でも停車停留所に特に変化は無い。[48]
- 1993年(平成5年)の時刻表では平日、日祝日共に1日2往復の運行となっている。[56]
- 1996年(平成8年)袋井営業所廃止に伴い浜岡営業所に移管された。
- 2007年(平成19年)4月、しずてつジャストライン浜岡営業所から秋葉バスサービスに移管された。
吉川線
- 主要停留所
- 概説
- 1950年代後半に開設された路線であり、開設当初は既存路線とつなげ「敷地・吉川線」としていた。
- 1960年代に入ると敷地から一の宮に区間短縮の上、一の宮駅と小国神社への系統がまとめられ「吉川小国神社線」となったが、静岡鉄道秋葉線の廃止に伴い遠州森町で系統分離され「吉川線」となった。
- 1970年代後半以降は過疎地域路線維持の取り組みとしてフリー乗降方式を導入するなど、沿線自治体と協議をしながら路線を維持し、1990年代には秋葉バスサービスに移管され森町病院への乗り入れを開始したが採算は厳しく、森町の自主運行バスに転換された。
- 主に天方小学校児童の通学と森町病院の通院を担っていたため、2000年代には森町町営バスに移管され系統が維持された。
- 沿革
- 1958年(昭和33年)1月 - 天宮 - 落合間に「吉川線」を開設し、天宮 - 敷地間の既存路線と併せて「敷地・吉川線」とした。[57]
- 1962年(昭和37年)9月20日 - 静岡鉄道秋葉線の廃止と森町営業所の開設に伴い路線の再編が行われ、遠州森町を起終点に「吉川線」と「天龍線」に分離された。
- 1966年(昭和41年)の時刻表では1日6往復の運行であった。
- 1975年(昭和50年)の時刻表では次の経路を平日6往復、日祝日5往復していた。
- 遠州森町 - 元開橋 - 下田 - 落合
- 1977年(昭和52年)2月現在の路線図では次の経路を運行していた。[41]
- 遠州森町 - 慶長橋 - 天の宮 - 元開橋 - 天方小学校前 - 下田 - 落合
- 1979年(昭和54年)6月 - 過疎地域路線維持の取り組みとしてフリー乗降方式を導入した。[43]
- 1993年(平成5年)の時刻表では平日6往復、日祝日4往復が維持されていた。
- 1996年(平成8年)4月 - 秋葉バスサービスに移管された。
- 1997年(平成9年)3月24日 - 森町病院が新築移転し、遠州森町から森町病院に路線を延伸した。
- 1999年(平成11年)森町自主運行バスとして運行を開始した。
- 2008年(平成20年)森町町営バスに移管され廃止となった。
杉・川上線
- 概説
- 沿革
- 1969年(昭和44年)
- 4月26日 - 気多 - 川上間の運行を開始した。
- 気多 - 平城 - 門島 - 北中前 - 大村 - 川上小前 - 川上
- 10月1日 - 同日改正の時刻表では1日4往復が運行されていた。
- 4月26日 - 気多 - 川上間の運行を開始した。
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 春野町立北中学校が気多中学校に統合された。
- 1974年(昭和49年)4月1日 - 沿線の川上小学校が杉小学校に統合され杉・川上小学校となった。これに伴い川上小前停留所が中村上となった。
- 1975年(昭和50年)
- 2月 - 杉・川上小学校が春野北小学校に校名を変更した。
- 11月1日 - 同日現在の時刻表では、引き続き1日4往復が運行されていた。[58]
- 気多 - 平城 - 門島 - 春野北小学校前 - 大村 - 中村上 - 川上
- 1978年(昭和53年)6月30日 - 川竹まで路線を延伸した。
- 1979年(昭和54年)6月1日 - 過疎地域路線維持の取り組みとしてフリー乗降方式を導入した。[43]
- 1985年(昭和60年)4月5日 - 春野町の貸切代替バスに転換され「やまびこ号」として運行を開始した。
- 1993年(平成5年)4月1日 - 同日改正の時刻表では次の系統が存在した。また、春野北小学校の通学路線であったため、夏季休業ダイヤが別に設けられていた。[59]
- 気多 - 春野北小 - 川上
- 気多 - 春野北小 - 川上 - 川竹
- 春野町役場 - 気多 - 春野北小 - 川上 - 川竹
- 春野町役場 - 気多 - 春野北小 - 川上
- 1996年(平成8年)秋葉バスサービスに移管された。
- 2013年(平成25年)3月 - 春野ふれあいバスに移管された。
- 1969年(昭和44年)
熊切線
- 運行系統および主要停留所
- 春野高校 - 栗島 - 熊切局前 - 賀々沢 - 田河内
- 春野町役場 - 栗島 - 熊切局前 - 賀々沢 - 田河内
- 春野町役場 - 河内 - 熊切局前 - 熊切診療所
- 春野町役場 → 河内 → 熊切局前 → 熊切
- 春野高校 ← 河内 ← 熊切局前 ← 熊切
- 概説
- 沿革
上野平線、大河内線
- 概説
- 秋葉自動車運輸商会が運行していた三倉 - 上野平間の路線を静岡電気鉄道が買収した路線である。
- 戦後の開設は遅く、1960年代に「上野平線」として遠州森町 - 上野平間で運行を開始し、道路整備と共に下島まで延伸した。
- 小中学生の通学路線であることから、秋葉バスサービス移管後も自主運行バスとして系統が維持された。
- 沿革
- 1931年(昭和6年)8月21日 - 秋葉自動車運輸商会が天宮 - 犬居線の支線として三倉 - 上野平間の営業免許を取得し、天宮 - 上野平間の運行を開始した。[6]
- 1935年(昭和10年)1月1日 - 静岡電気鉄道が路線を買収した。
- 1963年(昭和38年)10月 - 「上野平線」として、遠州森町から上の平までの路線が開設された。[57]
- 遠州森町 - 三倉 - 上の平
- 1966年(昭和41年)の時刻表では大河内まで延伸している。
- 遠州森町 - 三倉 - 上の平 - 開郷 - 大河内
- 1967年(昭和42年)3月 - 大河内地区住民の強い要望によって下島まで延伸した。[60]
- 遠州森町 - 三倉 - 上の平 - 開郷 - 大河内 - 下島
- 1975年(昭和50年)の時刻表では「大河内線」として平日5往復半、日祝休校日5往復が運行されていた。
- 遠州森町 - 元開橋 - 西俣 - 森林組合前 - 三倉 - 上の平 - 開郷 - 大河内 - 下島
- 1977年(昭和52年)の路線図では次の区間を運行していた。[41]
- 森林組合前 - 三倉 - 中村下 - 中村公会堂前 - 中村上 - 上の平下 - 上の平 - 鳥居下 - 甚沢 - 間藤 - 開郷 - 大河内 - 中の在家 - 下島
- 森林組合前 - 三倉 - 中村下 - 中村公会堂前 - 中村上 - 上の平下 - 上の平 - 鳥居下 - 甚沢 - 間藤 - 開郷 - 大河内 - 中の在家 - 下島
- 1993年(平成5年)の時刻表では平日5往復、日祝日4往復が運行されていた。[61]
- 遠州森町 - 元開橋 - 西俣 - 三倉 - 上の平 - 下島
- 1996年(平成8年)秋葉バスサービスに移管された。