中道 (政治)
左翼と右翼の中間の思想
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概要
政治における中道は、左翼・右翼の政治的スペクトルの視点で、右派(保守)や左派(革新)のいずれにも偏らない中立的・中間的な立場をいい、それに立脚した思想、運動、集団を指す。日本では立憲民主党と公明党の衆議院会派が2026年初頭に合同して設立した中道改革連合が中道を掲げたが、公明党は前身である公明政治連盟の時代から、綱領で掲げた『王仏冥合の大理念』[注釈 1]とともに、中道主義を基本的な政治理念としたことが知られる[5]。
中国語の「中道」は「途中、中途」が第一義的な意味であり[6]、政治用語としては「中間主義」が用いられる。また、韓国語では、「中道」と「中途」は発音が同じ「중도」だったが、金大中[注釈 2]らが1987年の民主化に際して「중도개혁주의(中道改革主義)」を掲げたことが契機となり、政治的文脈において「중도실용주의(中道実用主義)」などの表現が用いられている。「中立」の概念との比較では、中立はどちらにも味方しないことを指すが、「中道」は通常、急進主義または反動ではなく穏健で、イデオロギー中心ではなく現実主義的で、議会制民主主義や少数意見の尊重など公正な思想・姿勢を指す場合が多い。
ただし現実には中道や中道思想の明確な定義は無いため、その時代や場所に応じて「右派」や「左派」の思想や主張が変わるに応じて、中道の思想や主張も変化する場合が多い。しかし左右両派に失望が広がった場合などに勢力を拡張する場合や、二大政党制でも左右勢力が均衡している場合には第三極としてキャスティング・ボートを握る場合もある。
中道の例
マルクス主義運動
マルクス主義的な政治運動の文脈において中道主義とは、革命主義と社会改良主義との中間に位置するイデオロギーを帯びた立場を表す。例えば1893年にイギリスで結成された独立労働党 (ILP) は、社会改良を通じて社会主義政権を樹立するか、または革命の遂行を通じて政権を執るかで揺れ動いていたため「中道主義」と見なされる。
また、民主社会主義的な第二インターナショナルにも共産主義的な第三インターナショナル(コミンテルン)にも入れなかった、いわゆる第二半インターナショナルや第三半インターナショナルのメンバーも、この文脈においては「中道主義」と言える。
1920年代、ボリシェビキでは「中道主義」がネップや資本主義諸国との友好関係を支持する右派と、計画経済や世界革命を志向する左派との中間に位置する立場を指した。なお、1920年代末までには、この2つの対立する派閥がヨシフ・スターリンによって打倒された。
各国における中道
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国の政治は歴史的に民主党と共和党の二大政党制が確立しているが、両党のいずれにも属さない無党派層(スイング・ボーター)や中道派(穏健派、Moderate)の動向が大統領選挙などの結果を左右する。議会内においても、民主党内の中道右派・保守派の議員連盟であるブルードッグ連合や新民主党連合(ニューデモクラット)、共和党内の中道・穏健派のグループ(メインストリート・パートナーシップなど)が存在し、法案成立においてキャスティング・ボートを握ることも多い。また、二大政党のイデオロギーの極端化に対する有権者の反発から、第三党としての中道新党の結成模索や、中道的な無所属候補が一定の支持を集める動きも見られる。
フランス
フランスにおいては、フランス革命期の国民公会で議席の下段に座った中立・日和見派の議員たちが、平原派(プレーヌ派)あるいは蔑視の意味を込めて沼沢派(マレ派)などと呼ばれた歴史がある。現代のフランスにも古くから中道政党が存在するが、このうち最も著名なのが1978年に設立されたフランス民主連合である。なお、フランス民主連合は2007年に解散し、その後継政党としてはフランソワ・バイル率いる民主運動などがある。
ドイツ

ドイツにおいては、1870年に結成されたカトリック系の中央党がある。中央党は左右両派のカトリック教徒を糾合した、ドイツ初の「国民政党」(包括政党)とされるものの、宗教問題に関して中立的でなかったほか、教育政策については右派路線を打ち出していた(詳細は中央党を参照)。
中央党の後継政党としてはキリスト教民主同盟 (CDU) や自由民主党 (FDP) がある。CDUは一般的に中道右派の国民政党として位置づけられており、近年の政局(2025年発足のフリードリヒ・メルツ政権など)においても中道右派勢力の中核を担っているが、社会民主党など左派勢力からは「中道」と見なされないこともある。また、「中道左派」やリベラルな「現実主義者」から構成される同盟90/緑の党も「左派」と呼ぶには躊躇われ、議会では社会民主党とキリスト教民主(社会)同盟との中間を占め、自由民主党はキリスト教民主・キリスト教社会同盟の右側に座っている。
なおドイツ語では、中道主義を意味する "Zentrismus" が専門家の間でもあまり使われないほか、中央集権を指す "Zentralismus" と間違われやすいため、「中道政治」の訳語としては "politische Mitte" が当てられる。
ベルギー
ベルギーは言語圏(オランダ語圏のフランドルおよびフランス語圏など)ごとに政党システムが分かれている。
フランドル地域においては、伝統的にキリスト教民主フラームス (CD&V) が包括政党として中道から中道右派の立場を担ってきた。
一方、フランス語圏では、キリスト教民主主義を源流とするレザンガジェ(旧・民主人道主義中道派)が中道政党として位置づけられるほか、自由主義を掲げる改革運動 (MR) も中道から中道右派のスペクトルを占めている。
オランダ
民主66が中道または中道左派とされる[7]ものの、党自体はあくまで社会自由主義政党を名乗り、左右の色分けを避けている。また、プロテスタント系のキリスト教同盟も移民や環境、その他社会問題に関しては左寄りであるが、同性愛や薬物、安楽死といった文化的問題になると保守的な傾向が強いため、中道政党とされることがある。
北欧諸国
北欧のほとんどの国においては、中道政党があり、いずれも社会経済的な左右の枠組みに対する中道主義的な立場に加え、明確で他とは区別されるイデオロギーを共有する。その立場とは、地方分権を軸として中小企業対策や環境保護に関わることである。こうした中道政党は、自由主義インターナショナルや欧州自由民主改革党に参画している。デンマークの中道民主党や自由同盟など一部を除き、歴史的には農村生活の維持に取り組む農民党を前身としており、1960年代には非農村部における諸問題の解決を図るべく中央党へと改名している。
アイルランド共和国
アイルランドでは、フィアナ・フォイルとフィナ・ゲールという2大政党がともに中道主義的な包括政党の性質を持っている。ただし、フィナ・ゲールがヨーロッパでキリスト教民主主義グループに与する一方で、フィアナ・フォイルはリベラル保守政党と位置づけられている。両党とも中道左派や中道右派のメンバーから成っているため、「左派」あるいは「右派」というイデオロギー上のレッテル張りを好まない。
イギリス
イギリスの政界では通常、左右両派の中間に位置する中道的な立場と言えばリベラルないしは進歩主義と関連があり、政界再編を引き起こしつつも穏健な見解をリードしていた。1978年には、エドワード・ヒース元首相(保守党)が、自由党のシリル・スミス院内幹事と中道政党を立ち上げるべくトーリー党からの離反を画策するも、不成功に終わる。しかしながら1980年代から1990年代初頭にかけて、労働党が速やかに中道へと軸足を移した。ニューレイバー路線は中道政権として名声を博し、爾来労働党は、政界において中道的な立場を保持するとともに、これを左寄りに移行させる政党として知られるようになった。なお、自由民主党や保守党にも中道派は存在することに注意が必要である。
ニュージーランド
スペイン
スペインでは、かつて進歩民主連合 (UPyD) やシウダダノスといった政党が国政における中道勢力として台頭したが、両党ともその後に党勢を失い、UPyDは2020年に解散した。また、カタルーニャ州のかつての集中と統一や、バスク地方のバスク民族主義党といった地域の民族主義政党も、イデオロギー的には中道に位置づけられることがある[9]。
イタリア
イタリアにおける中道主義(Centrismo)は、第二次世界大戦後の共和制初期から重要な役割を果たしてきた。1948年から1994年まで政権の中枢を担い続けたキリスト教民主党 (DC) は、極右と極左を排除し、他の中道・穏健政党と連立を組むことで長期政権を維持した。1990年代の政界再編以降も、中道左派連合や中道右派連合の中に中道政党が組み込まれる構造が続いた。近年では左右のポピュリズム政党の台頭に対抗するため、マッテオ・レンツィのイタリア・ヴィヴァやカルロ・カレンダのアツィオーネなど、親EU・自由主義的な政策を掲げる中道政党が第三極の形成を模索している。
大韓民国
韓国の政治において中道は、進歩(左派)と保守(右派)の激しいイデオロギー対立から距離を置く実用主義的な立場や、その支持層を指す。特に大統領選挙においては、分厚い中道層の動向が勝敗を決することが多い。2010年代以降、両極化する巨大二大政党への不満から、安哲秀らが設立した国民の党等が第三極を掲げた。
日本
第二次世界大戦後の日本では1955年の保守合同と社会党再統一により保守と革新勢力が対立する55年体制が成立したが、1960年代には公明党や民社党、社会民主連合などが中道主義または中道左派を標榜して勢力を拡大した。
1970年代半ばには自由民主党と民社党の「中道新党構想」、新自由クラブ・民社党・社民連による中道政党構想などが存在した。また、1980年代前半には社民連と新自由クラブの国会内統一会派「新自由クラブ民主連合」、1980年代後半から1990年代前半にかけては進歩党との「進歩民主連合」、各種の自公民路線や社公民路線などが存在した。
1993年の55年体制崩壊により、自民党から分かれた改革中道・中道右派的政党が多数発生した。新進党への合流・解散を経て、民主中道を掲げる民主党へと受け継がれた。
小選挙区制の導入後の二大政党化で政策が接近し、自民党と民主党では大きな相違は減少した。このため、公明党が中道主義を標榜し続けたのに対し、2000年代以降の民主党は「中道」の語をほとんど使用していなかったが、2012年、保守色を強める自民党や日本維新の会などに対抗して再び「中道」を掲げる方向に舵を切った[10]。だが、当時民主党代表の野田佳彦は保守を自認し、方針転換に難色を示した[11]。
民主党の流れを汲む国民民主党は改革中道を掲げている[12]。同じく民主党の流れを汲む立憲民主党は結成当初から第49回衆議院議員総選挙までは「リベラル色」が強かったが、泉健太が党代表に就任してからは中道を標榜し、立憲民主党が共有する価値観を「リベラルな価値でありますが、同時に日本が古来から大切にしてきた『和』『調和』『包摂』の価値でもある」と説明している[13]。
2026年、第51回衆議院議員総選挙を前に、立憲民主党と公明党の衆議院議員を中心に中道改革連合が結成された[14]。初代共同代表には野田佳彦と斉藤鉄夫が就任し、野田は「右にも左にも傾かず、熟議を通して解を見いだしていくという基本的な姿勢」を中道と位置付けている[15]。
この他、地方政治では消費者運動を基盤とした東京・生活者ネットワークや、環境保護運動を基盤とした「虹と緑」、「市民オンブズマン」を基盤とした政党(行革110番など)などが結成され、議席を獲得している。みどりの未来・緑の党グリーンズジャパンなど、新左翼から一部保守本流的潮流を取り込み中道左派的路線に移行したグループもある。
一方、沖縄県では様相が異なる。保守・革新の政治勢力が未だに拮抗しているため、沖縄タイムスと琉球新報は民主党や国民新党(現存せず)、政党そうぞうなどを「中道」[16]または「中立」[17]と呼んで区別している。