1891年の映画
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 1891年 こちらもご覧下さい |
|---|
| 社会 |
| 政治 経済 法 労働 教育 交通 |
| 文化と芸術 |
|
文学 芸術 音楽 映画 日本公開映画 出版 日本のテレビ ラジオ |
| スポーツ |
| スポーツ 野球 サッカー 相撲 バレー バスケ 自転車競技 日本競馬 |
| 科学と技術 |
| 科学 気象・地象・天象 台風 鉄道 航空 |
| 地域 |
| 日本 日本の女性史 |
| 各年の映画 |
| 1889 1890 1891 1892 1893 |
| 日本公開映画 |
| 1889 1890 1891 1892 1893 |
| ■ヘルプ |
1891年の映画(1891ねんのえいが)では、1891年(明治24年)の映画分野の動向を展望し、発表されたおもな映画作品や、映画関係者の誕生についてまとめる。
→「1891年 § できごと」も参照
- トーマス・エジソンの下で動く映像装置の技術開発に当たっていたウィリアム・K・L・ディクソンが、ストリップ式のキネトグラフを開発した。これはパーフォレーションが施された3/4インチのフィルムを用いたもので、今日までのフィルムと同じ縦送りではなく、水平方向にコマ送りするものだった[1][2]。1891年春までにディクソンはウィリアム・ハイセとともに、この装置を使用して複数のフィルムを撮影した[1]。
- 5月20日 - エジソンはアメリカのニュージャージー州ウェストオレンジにあるエジソン研究所で、訪問してきた女性クラブ連盟のメンバーたちに、横送り式のプロトタイプのキネトスコープを公開した。この時上映された作品は『ディクソンの挨拶』である[1][2]。
- 7月27日 - フランスのジョルジュ・ドゥメニーが開発した動画装置フォノスコープが科学アカデミーで発表された[3]。
- 8月24日 - エジソンはキネトスコープとキネトグラフに関する3件の特許を申請した。そのうちキネトスコープに関する特許である「運動する被写体の写真を見せる装置(Apparatus for Exhibiting Photographs of Moving Objects)」は1893年3月14日に交付され、キネトグラフに関する特許である「キネトグラフ・カメラ(Kinetographic Camera)」は1897年8月31日に交付された[4]。
作品
- 『ディクソンの挨拶 (Dickson Greeting』ウィリアム・K・L・ディクソン出演、監督。
- 『Duncan and Another, Blacksmith Shop』、ウィリアム・K・L・ディクソン、ウィリアム・ハイセ監督、ジェームズ・C・ダンカン (James C. Duncan) 出演。
- 『Duncan Smoking』、ウィリアム・K・L・ディクソン、ウィリアム・ハイセ監督、ジェームズ・C・ダンカン出演。
- 『Duncan or Devonald with Muslin Cloud』、ウィリアム・K・L・ディクソン、ウィリアム・ハイセ監督、フレッド・C・デヴォナルド (Fred C. Devonald) 、ジェームズ・C・ダンカン出演。
- 『Men Boxing』、ウィリアム・K・L・ディクソン、ウィリアム・ハイセ監督。
- 『Monkey and Another, Boxing』、ウィリアム・K・L・ディクソン、ウィリアム・ハイセ監督。
- 『ニューアーク・アスリート (Newark Athlete)』、ウィリアム・K・L・ディクソン監督。
- 『Je vous aime』、ジョルジュ・ドゥメニー出演、監督。
- 『La vague』、エティエンヌ=ジュール・マレー監督。
- 『Two Fencers』、エティエンヌ=ジュール・マレー監督。