1892年の映画
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1892年の映画(1892ねんのえいが)では、1892年(明治25年)の映画分野の動向を展望し、発表されたおもな映画作品や、映画関係者の誕生についてまとめる。
→「1892年 § できごと」も参照

- 3月2日 - フランスのジョルジュ・ドゥメニーが開発した動画装置フォノスコープの特許が取得された[1]。
- 夏頃 - トーマス・エジソンの研究所が開発したキネトグラフの最終的な修正が施された。コマ送りは垂直方向となり、フィルムの幅は実質的に35ミリで、パーフォレーションは1コマにつき4個つけられたが、このフィルムの規格は1909年に国際標準に採用され、今日までほとんど変化していない[2][3]。
- 8月20日 - ドイツのマックス・スクラダノフスキーが、自身の組み立てたカメラを使って、ベルリンのシェーンハウザー大通りで動画のテスト撮影を行った。しかし、映写装置はなかったため、1895年にビオスコープを開発した[4][5]。
- 10月18日 – パリのグレヴァン博物館で、シャルル・エミール・レイノーが開発した動画装置テアトル・オプティークの一般興行が開始された[6]。
- 12月はじめ - ウィリアム・K・L・ディクソンの設計に基づき、エジソン研究所の映画スタジオであるブラック・マリアの建設が始まった(完成は1893年5月)[2][7]。
作品
- 『道化師と犬 (Le Clown et ses chiens)』- 失われたアニメーション映画、シャルル・エミール・レイノー監督[6]。
- 『哀れなピエロ (Pauvre Pierrot)』- アニメーション映画、シャルル・エミール・レイノー監督[6]。
- 『一杯のビール (Un bon bock)』- 失われたアニメーション映画、シャルル・エミール・レイノー監督[6]。
- 『Fencing』ウィリアム・K・L・ディクソン監督[8]。
- 『A Hand Shake』ウィリアム・ハイセ、ウィリアム・K・L・ディクソン監督[9]。
- 『Man on Parallel Bars』ウィリアム・K・L・ディクソン監督[10]。
- 『Wrestling』ウィリアム・K・L・ディクソン監督[8]。
- 『Boxing』ウィリアム・K・L・ディクソン監督[8]。