1945年の映画

ウィキメディアの一覧記事 From Wikipedia, the free encyclopedia

1945年の映画(1945ねんのえいが)では、1945年(昭和20年)の映画分野の動向についてまとめる。

1944年の映画 - 1945年の映画 - 1946年の映画

出来事

世界

日本

  • 戦火で焼失する映画館、逐次増加[10]。1月・5館、2月・3館、3月・106館、4月・55館、5月・47館、6月・84館、7月・140館、8月・74館[10][注 1]
  • 前年4本のドイツ映画が公開されて以来、戦争激化のため、外国映画の新作はついに公開されず、終戦に至る[1]
  • USO(米軍慰問隊)のメンバーに加えられたタイロン・パワーダニー・ケイが極東に派遣されて来日[2]
  • 1月
  • 2月
    • 情報局国民映画賞、『加藤隼戦闘隊』(総裁賞)、『雷撃隊出動』、『野戦軍楽隊』[14]、『雛鷲ひなわしの母』[15]受賞[10]
    • 映配九州本部倉庫、失火により全焼。プリント(ポジフィルム[16])の被害甚大[10]
    • 2月1日 - フィルム事情悪化のため、映画館の4割に映画が配給されなくなる[17]。2月3日、同様にニュース映画が2週間ごとの更新になった[13][17]
    • 2月2日 - 「大東亜映画選定褒章制度」、映画協会で設定[12]
    • 2月5日 - 『海の虎』(春原政久監督)、情報局国民映画に選定[12]、8日封切[18]
    • 2月15日 - 大映直営浜松映画劇場、空襲のため焼失[12]
  • 3月
  • 4月
  • 5月
    • 5月1日 - 大日本映画製作(大映)の直営館3館(浅草電気館麻布大映劇場・京都京極映画劇場)、松竹へ譲渡[12]
    • 5月17日 - 『生ける椅子』(野淵昶監督)、情報局国民映画に選定[12]、同日封切[27]
    • 5月24日 - 東宝、東京世田谷・砧撮影所に多数の焼夷弾が落下したが被害は僅か[21]
    • 5月25日 - 大日本映画製作(大映)の本社4階[注 4]、空襲のため焼失[12]
  • 6月
  • 7月
  • 8月
    • 8月6日 - 俳優・丸山定夫、女優・園井恵子ら、広島原爆による戦災死[28]
    • 8月15日
      • 前年の1944年度には約2,100館であったものが、爆撃焼失、実演に転向、強制疎開、プリント不足による廃業などで[2]、日本全国で映画館は僅か850館しか残っていなかった[30][注 5]。戦災で焼失した映画館は日本全国で513館[5][28]。終戦後1週間は上映する映画も無かったので休館となった[30][5][注 6]
      • 決戦非常措置により閉鎖した高級劇場再開、劇映画の一部、文化映画、時事映画の配給全部停止[10]
      • 松竹、直営館数が前年(1944年)7月には110館であったが、戦災による焼失・破損のため35館に激減[32]
    • 8月30日 - 松竹、戦後封切り第1作『伊豆の娘たち』(五所平之助監督)公開[33][9][注 7]
  • 9月
  • 10月
    • 戦後映画第1作『そよかぜ』公開[40]。主題歌「リンゴの唄」(歌唱:並木道子ほか)ヒット[40]
    • 10月3日 - 社団法人日本映画社解散[23][12]
    • 10月11日 - 映画館の上映が午後7時まで許可される[2]。終戦直後は街の照明がほとんど潰滅していて上映は昼だけ行われていた[2]
    • 10月16日 - 映画企業に対する日本政府の統制の撤廃に関するCIE(民間情報教育局)覚書発表[23]
  • 11月
    • 映画の自由配給開始[13]
    • 11月16日 - 反民主々義映画・演劇の除去に関するGHQ覚書発表[39]。スクリーン上でも許されなかったキスがOKになるという自由な側面もあったが[1]、『宮本武蔵』(松竹、溝口健二監督)[41]など227本が非民主主義的として上映禁止となり[42][注 8]、アメリカへ持ち去られた[1][注 9]黒澤明虎の尾を踏む男たち』もストック(お蔵入り)状態になる[43]
    • 11月27日 - 日本活動写真株式会社が日活株式会社に[13][24]、大日本映画製作株式会社は大映株式会社に名称変更[23][13]
    • 11月30日 - 映画公社解散[39][注 10]
  • 12月

周年

日本の映画興行

  • 入場料金(大人)
    • 95銭 → 1円50銭(東京の邦画封切館)[36]
  • 入場者数 4億人[46]
さらに見る 映画製作会社, 公開本数 ...
新作映画公開本数
終戦以後)
映画製作会社公開本数
松竹 5
東宝 1
大映 6
合計 12
閉じる

出典『映画統計資料 : 昭和21年1月-30年12月(10年間)』日本映画連合会、1956年、1頁。NDLJP:1694281

各国ランキング

アメリカ興行収入ランキング

さらに見る 順位, 題名 ...
1945年アメリカ興行収入トップ10
順位題名スタジオ配給収入
1. 母と娘 Hallmark $16,000,000
2. 聖メリーの鐘 RKO $8,000,000
3. 哀愁の湖 20世紀FOX $5,505,000
4. 白い恐怖 ユナイテッド・アーティスツ $4,971,000
5. 錨を上げて MGM $4,779,000
6. 愛の決断 MGM $4,567,000
7. Week-End at the Waldorf MGM $4,366,000
8. Thrill of a Romance MGM $4,338,000
9. 失われた週末 パラマウント $4,300,000
10. サラトガ本線 ワーナー・ブラザース $4,250,000
閉じる
出典: Box Office Report - Revenue Database - 1945 - ウェイバックマシン(2009年7月13日アーカイブ分)

日本公開映画

受賞

誕生

死去

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI