1956年の南海ホークス

From Wikipedia, the free encyclopedia

経営母体 南海電気鉄道
監督 鶴岡一人(山本一人)
1956年の南海ホークス
成績
パシフィック・リーグ2位
96勝52敗6分 勝率.649[1]
本拠地
都市 大阪府大阪市
大阪球場
球団組織
経営母体 南海電気鉄道
監督 鶴岡一人(山本一人)
« 1955
1957 »

テンプレートを表示

1956年の南海ホークスでは、1956年の南海ホークスの動向をまとめる。

この年の南海ホークスは、鶴岡一人監督(当時は山本一人)の11年目のシーズンである。同年のチームはシーズン96勝を挙げたが、同じく96勝を挙げた西鉄ライオンズより負け数が1つ多く、勝率の差でパシフィック・リーグ(パ・リーグ)優勝を逃した[2]。なお、この96勝はNPBでリーグ優勝を逃したチームとしては歴代最多勝利数である[2]

当年及び近年のシーズン成績
成績 リーグ 平均得点 平均失点 開幕時監督
1956 レギュラー敗退2位96526.649
1955 日本シリーズ敗退優勝99413.707
1954 レギュラー敗退2位91490.650
1953 日本シリーズ敗退優勝71481.597
1952 日本シリーズ敗退優勝76441.633
1951 日本シリーズ敗退優勝72248.750
1950 レギュラー敗退2位66495.574
1949 レギュラー敗退4位67671.500
1948 リーグ優勝優勝87494.640
1947 レギュラー敗退3位59555.518

前年の日本シリーズ読売ジャイアンツ(巨人)に敗退したものの、チームは前年優勝のご褒美としてアメリカ合衆国ハワイで初の春季キャンプを敢行。鶴岡監督は「海外キャンプで選手が何かを得てくれたら」と期待したが、この海外キャンプでほとんどの選手が観光に明け暮れて野球をないがしろにするなどの失態が続き、鶴岡監督は「お前ら何をやってる!」と激怒。これが影響したのかどうか定かではないが、岡本伊三美杉山光平などの主力選手が奮起。チームは4月を首位で終えると、その後も首位を走り2連覇は秒読みと言われた。しかし、9月以降は西鉄ライオンズに抜かれると僅差の争いに敗れ最終的に連覇はならなかった。この年から衰え始めた松井淳に代わって野村克也がレギュラー捕手となり、長く4番に座ることになった。対戦成績は西鉄も含めて全球団に勝ち越したものの、その西鉄には11勝10敗1分でわずか貯金1、4位の毎日オリオンズには11勝9敗2分と貯金2しか稼げなかった。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 森下整鎮
2 岡本伊三美
3 杉山光平
4 飯田徳治
5 堀井数男
6 穴吹義雄
7 寺田陽介
8 松井淳
9 柚木進
1956年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 南海-- 毎日-- 南海-- 南海-- 南海-- 西鉄-- 西鉄--
2位 毎日0.5 南海0.5 西鉄 阪急1.5 西鉄4.0 南海0.0 南海0.5
3位 西鉄2.5 西鉄2.0 毎日2.0 西鉄3.5 阪急7.0 阪急9.0 阪急10.5
4位 近鉄3.0 阪急6.0 阪急2.5 毎日7.0 毎日11.5 毎日12.0 毎日13.5
5位 阪急4.0 近鉄10.5 近鉄18.5 近鉄19.0 近鉄22.0 近鉄27.5 近鉄29.5
6位 高橋10.5 東映13.0 東映21.5 東映25.0 東映34.0 東映36.5 東映39.5
7位 東映11.5 大映17.5 高橋23.0 高橋29.5 大映40.5 大映41.0 大映41.0
8位 大映12.0 高橋18.5 大映24.5 大映30.5 高橋41.0 高橋46.0 高橋45.5
1956年パシフィック・リーグ成績
順位球団勝率
優勝西鉄ライオンズ96517.653--
2位南海ホークス96526.6490.5
3位阪急ブレーブス88642.57910.5
4位毎日オリオンズ84664.56013.5
5位近鉄パールス68824.45329.5
6位東映フライヤーズ58924.38739.5
7位大映スターズ57943.37741.0
8位高橋ユニオンズ52984.34745.5

オールスターゲーム1956

できごと

選手・スタッフ

表彰選手

脚注

Related Articles

Wikiwand AI