1959年の南海ホークス

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1959年の南海ホークス
成績
日本一
日本S 4勝0敗(対巨人[1]
パシフィック・リーグ優勝
88勝42敗4分 勝率.677[2]
本拠地
都市 大阪府大阪市
球場 大阪球場
球団組織
経営母体 南海電気鉄道
監督 鶴岡一人
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1959年の南海ホークスでは、1959年の南海ホークスの動向をまとめる。

この年の南海ホークスは、鶴岡一人監督の14年目のシーズンであり、4年ぶり7度目のリーグ優勝に輝いたシーズンである。

南海ホークスの当年及び近年のシーズン成績
最終成績

試合











O
P
S




監督
1959 日本一優勝13488424.677574.265907575355.701鶴岡一人
1958 リーグ2位2位13077485.616543.2489311160437.680鶴岡一人
1957 リーグ2位2位13278531.595551.2529810271415.691鶴岡一人
1956 リーグ2位2位15496526.649612.25068238118515.660山本一人
1955 日本シリーズ敗退優勝14399413.707606.2499024580444.666山本一人
1954 リーグ2位2位14091490.650529.2508221989355.663山本一人
1953 日本シリーズ敗退優勝12071481.597541.2656122888369.山本一人
1952 日本シリーズ敗退優勝12176441.633594.2688323982325.山本一人
1951 日本シリーズ敗退優勝10472248.750496.2764819146274.山本一人
1950 リーグ2位2位12066495.574645495.2798822525383.3.381.3138173山本一人
1949 リーグ4位4位13567671.500661670.2709019935459.3.951.4355214山本一人

過去3年間優勝から遠ざかる鶴岡監督はチームにユニフォームの変更を打診。それまでのシンプルユニフォームに代えて、この年登場の新ユニフォームは肩から袖にかけて太いラインが入るものになり、さらに帽子の「NHマーク」とビジター用の「NANKAI」ロゴもこの年から一新された。チームは5月以降西鉄大毎など他球団を突き放し、7月初め時点まで大毎に7ゲーム差を付け一度は優勝秒読みと言われた。しかし、投打ともに息切れした8月になると大毎が首位を奪還。一進一退の攻防が続いたが大毎の主力選手にアクシデントが続いた8月後半以降は首位を奪回し、杉浦忠野村克也といった若いバッテリーの活躍もあり優勝を達成。投手陣は杉浦の38勝を筆頭に祓川正敏を含め4人が2桁勝利を挙げる活躍で、チーム防御率は2.44とリーグ1位。打撃陣は大毎の114本塁打と24本差の90本にとどまったが、打率はリーグ唯一の2割6分台をマーク。この年の日本シリーズ巨人と4年ぶりの対戦となり、巨人相手に4連勝を飾り5回目の日本シリーズ挑戦で初の日本一を果たし、鶴岡監督の悲願である打倒巨人がようやく実現した。優勝後、日本で初めてのビールかけが南海ナインの手によって行われた。前述の新ユニフォームで初の日本一に輝いたこともあり、このデザインは1968年まで10年間使用され強い南海の象徴となった。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 広瀬叔功
2 半田春夫
3 杉山光平
4 穴吹義雄
5 野村克也
6 岡本伊三美
7 大沢昌芳
8 寺田陽介
9 杉浦忠
1959年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 南海-- 南海-- 南海-- 南海-- 南海-- 南海-- 南海--
2位 西鉄1.0 西鉄3.5 大毎7.0 大毎5.0 大毎3.0 大毎8.0 大毎6.0
3位 東映2.5 東映5.0 西鉄7.5 東映8.5 西鉄12.0 西鉄20.5 東映21.0
4位 大毎4.0 大毎5.5 東映9.5 西鉄10.5 東映15.0 東映25.0 西鉄22.0
5位 近鉄8.0 阪急11.0 阪急20.5 阪急29.5 阪急35.5 阪急38.5 阪急40.0
6位 阪急8.5 近鉄17.0 近鉄24.5 近鉄36.5 近鉄39.5 近鉄49.0 近鉄49.0
1959年パシフィック・リーグ成績
順位球団勝率
優勝南海ホークス88424.677--
2位毎日大映オリオンズ82486.6316.0
3位東映フライヤーズ67635.51521.0
4位西鉄ライオンズ666414.50822.0
5位阪急ブレーブス48824.36940.0
6位近鉄バファロー39913.30049.0

[2]

日本シリーズ

1959年 日本シリーズ
日付試合ビジター球団(先攻)スコアホーム球団(後攻)開催球場
10月24日(土)第1戦読売ジャイアンツ7 - 10南海ホークス大阪球場
10月25日(日)第2戦読売ジャイアンツ3 - 6南海ホークス
10月26日(月)移動日
10月27日(火)第3戦南海ホークス3 - 2読売ジャイアンツ後楽園球場
10月28日(水)第4戦雨天中止
10月29日(木)南海ホークス3 - 0読売ジャイアンツ
優勝:南海ホークス(初優勝)

[1]

オールスターゲーム1959

  • 選出選手及びスタッフ
ポジション名前選出回数
コーチ山本一人
投手杉浦忠2
捕手野村克也3
内野手半田春夫
寺田陽介
岡本伊三美5
外野手広瀬叔功2
  • 太字はファン投票による選出。▲は出場辞退選手発生による補充選手。

できごと

  • 10月20日 - 大毎オリオンズダブルヘッダー、打率1位の南海・杉山光平(この日まで0.323)は出場せず、2位の山内和弘(同0.319)に対し、第1試合第1打席は敬遠。ところが第2打席、山内が二塁打を打って打率アップ。慌てた南海投手陣は以後は第2試合第3打席まで慎重に敬遠、観念した山内はベンチへ下がり、杉山の首位打者が確定。これが初の「首位打者争いでの敬遠」である。

選手・スタッフ

表彰選手

脚注

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