クリストフ・タンソー
From Wikipedia, the free encyclopedia
1989年にマニクール・サーキットのヴォラン・エルフ・ウィンフィールドで優勝し、1990年、エルフとジタンの特待生としてフランスフォーミュラ・ルノーにデビュー、1991年にモチュール・ノガロに移籍すると、2勝3PPと好成績を挙げオリビエ・コウヴィールに次ぐランキング2位を獲得する。1992年よりフランスF3選手権にステップアップし、1993年にF3初優勝を挙げランキング4位となった。同年は各国ランキング上位の選手が集うマカオグランプリにも参戦し、10位に入る。1994年のフランスF3ではジャン=フィリップ・ベロクとチャンピオンシップを争い、7ポイント及ばずランキング2位となったが、10レース中3度の優勝、3PP、8度の3位以内と安定した能力を示した。
1995年より国際F3000選手権にステップアップ。チームをアポマトクスへ移籍した1996年最終戦ホッケンハイムでF3000初優勝をマークし、これをほとんどのF1チーム首脳陣は見ていたが[1]、同年の終わりにエルフがレース活動の縮小を決め、キャリア開始からエルフの支援を受けていたタンソーにもこの影響は及んだ。国際F3000でのフランス人最高順位に居ながら、彼は翌年のF3000シートもF1テストの機会も与えられなかった。
1997年はアメリカに渡り、インディ・ライツにコンクエスト・レーシングのシートを得てフル参戦。PP1回、表彰台1回を獲得するも、CARTシリーズのシートを得ることは出来なかった。
1998年からル・マン24時間レースやセブリング12時間レースなど耐久レースに参戦。初年度はリタイアに終わったが、以後ほぼ毎年参戦し、5年目となった2002年にウェイン・テイラーとマックス・アンジェレッリと参戦、総合8位。2007年も7位に入り、2012年にはクラス2位を獲得した。またこの間にFIA GT選手権にも参戦し、活躍した。スパ・フランコルシャン24時間レース、フランス・グランツーリング選手権、ポルシェ・カレラカップ(2006年)に出場した。
2002年、アメリカのプロトタイプ (プロトラック) に乗ってラリーレイドイベントに参戦する機会を提供され、クロスカントリーワールドカップのいくつかのラウンドに参加し、2003年のパリ・ダカールラリーのスタートに出場。総合12位(ルーキー最上位)でフィニッシュした。
タンソーは現役を退いた後、ポルシェ・フランスの公式ドライビング・スクールでインストラクター兼モニターを務めており、サーキットイベントの企画・コーチングをしている。