ブノワ・トレルイエ

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生誕 (1976-12-07) 1976年12月7日(49歳)
フランスの旗 フランスアランソン
身長178 cm (5 ft 10 in)
体重65 kg (143 lb)
ブノワ・トレルイエ
Benoît Tréluyer
ブノワ・トレルイエ(2013年)
個人情報
国籍フランスの旗 フランス
生誕 (1976-12-07) 1976年12月7日(49歳)
フランスの旗 フランスアランソン
身長178 cm (5 ft 10 in)
体重65 kg (143 lb)
ウェブサイトBenoit Treluyer
スポーツ
競技レーシングドライバー
種目カートレーシング
チームヨースト・レーシング
プロ転向1990年
成績・タイトル
最高世界ランク1位(2011年、2012年)

ブノワ・ジャン=マリー・トレルイエフランス語: Benoît Jean-Marie Tréluyer1976年12月7日 - )は、フランスアランソン出身のレーシングドライバー。日本の四輪レース最高峰カテゴリーであるフォーミュラ・ニッポン(2006年)とSUPER GT/GT500クラス(2008年)の両カテゴリーでシリーズチャンピオンを獲得し、ル・マン24時間レースでは3度の総合優勝、2012年のFIA 世界耐久選手権シリーズチャンピオンである。

1983年にオートバイモトクロスでレースキャリアをスタート。1990年に14歳でカートレーシングに転向し、1995年にはフランス・フォーミュラ・ルノーエルフ(現:トタル)・キャンパスに参戦した。1996年・1997年にはフランス・フォーミュラ・ルノーに参戦。1998年よりフランスF3にステップアップし、1999年に4勝を挙げランキング3位を獲得した。

2000年に訪日して全日本F3選手権に参戦し、2年目の2001年にシリーズチャンピオンを獲得。11月のマカオグランプリF3では佐藤琢磨とトップ争いをし総合2位となった。

2002年は母国フランスでの活動が多く、日本では全日本選手権フォーミュラ・ニッポン全日本GT選手権にスポット参戦する程度だったが、2003年には星野一義率いるホシノインパルと契約を結び、フォーミュラ・ニッポンと全日本GT選手権にフル参戦。2006年に自身初となるフォーミュラ・ニッポンのタイトルを獲得した。

2007年のフォーミュラ・ニッポン第5戦鈴鹿では、バックストレートでコース左側へコースアウトし、シャーシとエンジンが2つに分断する大クラッシュに遇い、3週間後のSUPER GT第5戦菅生ラウンドを欠場した。その後、最終戦の鈴鹿ラウンドにおいても、130Rでクラッシュし惜しくも1ポイント差で松田次生に及ばず、ランキング2位となりシリーズチャンピオンを逃した。

2008年にはスーパーGTのGT500クラスにおいて、ニスモから23号車ザナヴィニスモGT-Rで参戦。当時「帝王」の称号を持ち、日産ニスモ陣営のエースであった本山哲とタッグを組み、年間3勝を挙げドライバーズチャンピオンを獲得した。

2010年のル・マン24時間レースからは、同じく日本のレースで活躍したアンドレ・ロッテラーとともにアウディワークスに起用された。同年のル・マンでは総合2位を獲得し、翌2011年は総合優勝を果たした。以降、ル・マンでは2012年と2014年にも勝利し、通算3度の総合優勝を遂げている。

2012年には復活した世界耐久選手権の初代チャンピオンを獲得した。それに伴いニスモを離れ、長年参戦していたスーパーGTから離脱した。

世界耐久選手権にはアウディ・ワークスが撤退する2016年まで参戦。2017年はアウディファミリーの一員として、ブランパンGT選手権やイタリアGT選手権にアウディ系チームから参戦した。

人物

身長178cm、体重65kg、血液型RH+A型。性格は気さくで、日本語はレースに関する用語のヒアリングには問題がなく、日本での参戦が長くなりかなり上手に話をすることもできた。日本での愛称は「ブノワ」、「ベンちゃん」。IMPULでチームメイトとなった星野一樹は「ブノワは自分にとって一番近くにいたお手本ですべてを学んだ」と述べているほか、監督だった星野一義も「ブノワを若い時にF1へ行かせたかった」「人柄も最高で、俺はブノワのファンだから」と最大限の評価を与えた[1]

長男のジュール・カズキ・トレルイエもレーサーで、父の紹介で2025年から星野一樹のチームよりスーパー耐久に参戦している[2]

レース戦績

脚注

外部リンク

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