サム・ダイソン

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生年月日 (1988-05-07) 1988年5月7日(37歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
205 lb =約93 kg
サム・ダイソン
Sam Dyson
サンフランシスコ・ジャイアンツでの現役時代
(2017年8月13日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州タンパ
生年月日 (1988-05-07) 1988年5月7日(37歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 MLBドラフト4巡目
初出場 2012年7月5日
最終出場 2019年9月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
WBC 2017年
獲得メダル
男子 野球
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ワールド・ベースボール・クラシック
2017野球

サミュエル・アイザック・ダイソンSamuel Isaac Dyson, 1988年5月7日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州タンパ出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

愛称は赤髪であるがゆえに、スペイン語で赤を意味するロホRojo[1]

プロ入り前

2006年MLBドラフト19巡目(全体571位)でワシントン・ナショナルズから指名されたが、サウスカロライナ大学へ進学した。

2009年MLBドラフト10巡目(全体303位)でオークランド・アスレチックスから指名されたが、契約には至らなかった。

ブルージェイズ時代

トロント・ブルージェイズ時代
(2012年7月5日)

2010年MLBドラフト4巡目(全体126位)でトロント・ブルージェイズから指名され、8月16日に契約。この年は右肩の関節唇を手術したため、登板することはなかった。

2011年トミー・ジョン手術を行い、シーズンを全休した。

2012年はA+級ダニーデン・ブルージェイズでプロデビュー。A+級ダニーデンでは6試合に登板し、5月にAA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツへ昇格。7月5日にブルージェイズとメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りし[2]、同日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビュー。3点ビハインドの7回表2死から登板し、0.1回を無安打無失点に抑えた[3]。2度目の登板となった7月17日のニューヨーク・ヤンキース戦では、3点ビハインドの7回裏から登板。先頭打者から4連続安打を打たれ、四球を挟み、6人目のアレックス・ロドリゲスは二塁ゴロで1死を取ったが、合計3失点を喫し途中降板した[4]。7月19日にAA級ニューハンプシャーへ降格。結局この年は2試合の登板にとどまり、防御率40.50だった[5]

2013年1月22日にDFAとなった[6]

マーリンズ時代

2013年1月30日にウェイバー公示を経てマイアミ・マーリンズへ移籍した[7]。2月20日にマーリンズと1年契約に合意[8]。3月11日にAA級ジャクソンビル・サンズへ異動し、そのまま開幕を迎えた。8月にAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズへ昇格。AAA級ニューオーリンズでは5試合に先発登板して1勝3敗、防御率2.61、16奪三振を記録した。8月29日にメジャーへ昇格した[9]。この年メジャーでは5試合(先発1試合)に登板して0勝2敗、防御率9.00、5奪三振を記録した[5]

2014年3月17日にAAA級ニューオーリンズへ異動し、そのまま開幕を迎えた。4月29日にマイアミのバーでチームメイトのクリス・ハッチャーと喧嘩し、顎の骨を折る怪我を負った[10]。6月15日にメジャーへ昇格すると[11]、17日のシカゴ・カブス戦では、1点ビハインドの7回表1死から登板し、0.2イニングを無失点に抑え、直後の7回裏にマーリンズが逆転したため、メジャー初勝利を挙げた[12]。試合後にネイサン・イオバルディが父親産休リストから復帰したため、AAA級ニューオーリンズへ降格した[13]。6月28日にリリーフとしてフル回転していたA.J.ラモスの休養のため、メジャーへ再昇格した[14]。この年は31試合に登板して3勝1敗、防御率2.14という安定感のある成績を記録した[5]

2015年はリリーフ陣の中心格の1人として44試合に投げ、防御率3.68をマークした[5]

レンジャーズ時代

2015年7月31日にトマス・テリスコディ・イギー英語版とのトレードで、テキサス・レンジャーズへ移籍した[15]。移籍後は31試合に登板して防御率1.15、WHIP0.89を記録。シーズン通算では75試合で5勝4敗、防御率2.63、WHIP1.14だった[5]。また、この年はチームが西地区優勝を果たしたため、ポストシーズンでもロースター入りすると、トロント・ブルージェイズとの地区シリーズでは4試合に登板。敵地ロジャーズ・センターで行われた第1戦ではジェイク・ディークマンの後を受けて4番手で登板すると、1イニングを無失点に抑えてポストシーズン初セーブを記録した[16]。以降の2試合でも無失点で抑えていたものの、再びロジャーズ・センターに移動して行われた第5戦ではこの試合で先発を務めたコール・ハメルズの後を受けて2番手で登板。この試合ではホセ・バティスタに3点本塁打を浴びるなど0.2イニングを投げて被安打3、1失点の内容だった(なお、これは先発だったハメルズが残したランナーであったため、ダイソン自身の失点は1)[17]。チームはこの試合に敗れ、シリーズ通算でも2勝3敗となったため、地区シリーズで敗退した。

テキサス・レンジャーズ時代
(2016年6月20日)

2016年5月15日に起きたブルージェイズ戦での乱闘[18]で暴力行為を行ったとして、17日にMLBから罰金処分が科せられた[19]。本業の野球の方では、ショーン・トールソンの不振に伴い、シーズン途中から抑えに抜擢されてリーグ2位タイとなる73試合に登板。3勝2敗、リーグ3位の38セーブ、防御率2.43、WHIP1.22という成績を残し、大活躍した[5]。この年もチームが西地区連覇を達成したため、ポストシーズンのロースターに入ると10月7日に本拠地であるグローブライフ・パーク・イン・アーリントンで行われた因縁のブルージェイズとの地区シリーズ第2戦ではマット・ブッシュの後を受けて4番手で登板。この試合ではルーグネッド・オドーアから空振り三振を奪うなど1イニングを無失点に抑える好投を見せた[20]。なお、同年のポストシーズンにおける登板は前述の試合のみで、チームもブルージェイズに3連敗を喫して2年連続となる地区シリーズ敗退に終わった。

2017年開幕前の2月9日に第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)アメリカ合衆国代表に選出された[21]。3月22日の決勝プエルトリコ戦に勝利し、初の優勝を果たした[22]

シーズンでは開幕から途中の故障者リスト入りを挟んで17試合に登板したが、4度のセーブ機会全てに失敗するなど1勝6敗、防御率10.50と絶不調に陥り、6月2日にDFAとなった[23]

ジャイアンツ時代

2017年6月6日に後日発表選手(ハンター・コール[24])とのトレードで、金銭と共にサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した[25]。6月11日のミネソタ・ツインズ戦で9回表に移籍後初登板したが、守備の乱れもあり1アウトも取れず被安打2・与四球1・失点3(自責点2)で降板した[26]。6月28日に故障者リスト入りしたマーク・マランソンに代わるクローザーとして指名され[27]、7月1日のピッツバーグ・パイレーツ戦(PNCパーク)で移籍後初セーブを挙げる[28]。7・8月には19試合に登板して12セーブ、防御率1.29を記録して調子を取り戻したが、9月に入ると失点する試合が増え、11試合に登板して防御率9.31と精彩を欠いた。マランソンの復帰後もシーズン終了までクローザーを務め、最終的に14セーブを挙げたが、移籍後の成績は防御率4.03、WHIP1.42と安定感に乏しかった。2チーム合算では55試合登板で4勝10敗14セーブ、防御率6.09であった[5]

2018年はナショナルリーグで7番目となる74試合に登板。4勝3敗3セーブ15ホールド、前年を上回る56奪三振を記録した。また、防御率も2.69と大幅に改善して2年ぶりとなる防御率2点台に復帰した[5]

2019年は49試合に登板。4勝1敗2セーブ17ホールド、防御率2.47、登板数とほぼ同じ47奪三振を記録した[5]

ツインズ時代

2019年7月31日にジェイリン・デービスプレランダー・ベローア鄧愷威とのトレードで、ツインズへ移籍した[29]。オフの10月31日にFAとなった[30]。ツインズ移籍後は1勝を挙げたものの、12試合の登板で6ホールド、防御率7.15などと移籍前よりも成績が悪化した。それでも2チーム合計では61試合の登板で5勝1敗2セーブ23ホールド、防御率3.32、前年とほぼ同じ55奪三振を記録するなどまずまずの成績であった[5]。オフには当時交際中だった2人の女性(うち1名は1匹の飼い猫を含む)にDV疑惑を告発された[31][32]

2020年は右肩のリハビリに費やしたため、シーズンを全休した。

2021年は前述のDV疑惑の処分が確定。その結果、DV規定に違反していたとしてMLBから1年間の出場停止処分を受けた[33]。そのため、2年連続でシーズンを全休した。この年のオフに今度は元恋人から暴力や中絶強要などの疑いで提訴された[34]。なお、出場停止が明けた11月5日にはプエルトリコウィンターリーグに参加。インディオス・デ・マヤグエスに所属した[5]

メキシカンリーグ時代

2022年4月18日にメキシカンリーグティファナ・ブルズと契約を結んだ[5]。ティファナでは41試合に登板して5勝3敗、45奪三振、防御率2.66などの成績を挙げたものの[5]、シーズン終了後に退団した。

投球スタイル

最速球速99.8mph(約161km/h)・平均95mph(約153km/h)の2種類の速球シンカーフォーシーム)を中心に、決め球である平均89mph(約143km/h)のチェンジアップ、その他に平均83mph(約134km/h)のスラーブ、平均88mph(約142km/h)のスライダーなどを使用する。GB%がメジャー通算66%と高く、シンカーなどでゴロを打たせて取るピッチングスタイル[35]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2012 TOR 200000000---80.2400010003340.509.00
2013 MIA 510000200.0005411.016251150012119.001.91
2014 3100003100.75018142.04111543331014102.141.33
2015 4400003309.50019044.04131713416021183.681.32
TEX 31000021212.66711931.12414013020541.150.89
'15計 75000054221.55630975.16542114718026222.631.14
2016 730000323810.60028570.16352303553019192.431.22
2017 1700001603.1439116.23161230710232010.802.58
SF 38000034141.42916938.03621843271118174.031.42
'17計 550000410144.28626054.26783073342141376.091.77
2018 74000043315.57127370.15652013562023212.691.08
2019 49000041217.80019651.0393703470017142.470.90
MIN 12000010061.0005311.1143600810997.151.76
'19計 61000051223.83324962.15361303551026233.321.06
MLB:8年 376100024235973.5111619386.23653112914203101711641463.401.28

ポストシーズン投手成績













































2015 TEX ALDS 40001183.261110200112.45
2016 ALDS 1000031.000000100000.00
出場:2回 50001214.261110300111.93

年度別守備成績



投手(P)












2012 TOR 20000----
2013 MIA 510001.000
2014 317420.846
2015 443531.727
TEX 3116001.000
'15計 7541131.833
2016 73312011.000
2017 1701001.000
SF 3827001.000
'17計 5528001.000
2018 7458021.000
2019 4975011.000
MIN 1202001.000
'19計 6177011.000
MLB 376295055.940

背番号

  • 35(2012年)
  • 36(2013年 - 2015年7月)
  • 47(2015年7月 - 2017年6月)
  • 49(2017年6月 - 2019年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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