ジャンボキング
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1975年10月4日にデビューし、翌月のダートの未勝利戦で初勝利。2勝目は年が明けてからのダートの条件戦で、単勝3番人気というジャンボキングにとっては最も人気を背負っての勝利であった。3勝目は最低人気のオープン戦で、不良馬場で行われた芝のレース。この勝利から挑戦した第43回日本ダービーは、20番人気で12着。この時点でのジャンボキングは、良くても「馬場状態が走りに影響しない、B級中距離馬」位の評価であった。
日本ダービーのあと小倉競馬場に遠征したが3戦して勝てず、毎日王冠では12頭立ての9着であった。
1976年10月10日開催の第10回スプリンターズステークスに参戦した時も、芝1200メートルの持ちタイムが1分14秒5[1]と出走馬中最低のジャンボキングを支持する者はほとんどなく、最低人気であっが、優勝候補と目されたボールドシンボリが出走を取消して9頭立てで行われたレースは、他の有力候補が競り合った結果前半の600メートルが33秒7、同じく後半が36秒8[1]のハイペースとなり、最後方からレースを進めていた[1]ジャンボキングが追い込みを決めて勝った。騎手の的場均ともども初めての重賞勝ちとなった。単勝配当は4010円、連勝複式は12860円の万馬券であった[1]。
その後は、この年に参戦したステイヤーズステークス以外は短中距離路線で活躍。勝ち鞍は挙げられなかったものの、翌1977年の中日新聞杯でキングラナークの2着に粘り2度目の万馬券を演出。中央競馬でのラストランはスプリンターズステークス連覇をメイワキミコに阻止された(5頭立て3着)直後のオープン戦で、結果はトウショウボーイのレコード駆けの前に敗れた(6頭立て5着)。