フェルナンド・ムスレラ

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本名 ネストル・フェルナンド・ムスレラ・ミコル
Néstor Fernando Muslera Micol
ラテン文字 Fernando Muslera
生年月日 (1986-06-16) 1986年6月16日(39歳)
フェルナンド・ムスレラ
ガラタサライでのムスレラ (2021年)
名前
本名 ネストル・フェルナンド・ムスレラ・ミコル
Néstor Fernando Muslera Micol
ラテン文字 Fernando Muslera
基本情報
国籍 ウルグアイの旗 ウルグアイ
イタリアの旗 イタリア
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1986-06-16) 1986年6月16日(39歳)
出身地 アルゼンチンの旗 アルゼンチンブエノスアイレス
身長 190cm
体重 84kg
選手情報
在籍チーム アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ
ポジション GK
背番号 16
利き足 右足
ユース
2001-2004 ウルグアイの旗 モンテビデオ・ワンダラーズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2006 ウルグアイの旗 モンテビデオ・ワンダラーズ 44 (0)
2006-2007 ウルグアイの旗 ナシオナル (loan) 5 (0)
2007-2011 イタリアの旗 ラツィオ 96 (0)
2011-2025 トルコの旗 ガラタサライ 443 (2)
2025- アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス 19 (0)
代表歴2
2003  ウルグアイ U-17 1 (0)
2004-2005  ウルグアイ U-20 13 (0)
2009- ウルグアイの旗 ウルグアイ 134 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2026年1月2日現在。
2. 2026年3月27日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ネストル・フェルナンド・ムスレラ・ミコル(Néstor Fernando Muslera Micol、1986年6月16日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身のサッカー選手アルゼンチン・プリメーラエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ所属。ウルグアイ代表。ポジションはゴールキーパー

なお、ルーツがリグーリア州サヴォーナにあるため、イタリアのパスポートも有するイタリア系ウルグアイ人である。 PKに滅法強く、よくストップしている[1]

ウルグアイ時代

モンテビデオ・ワンダラーズの下部組織で育ち、2004年にプロデビュー。2006年には同国の強豪クラブナシオナル期限付き移籍した。

ラツィオ

2007年8月28日、SSラツィオへ移籍金300万ユーロで移籍。9月16日のカリアリ・カルチョ戦でセリエAデビューを飾るが、10月6日のACミラン戦で5失点を喫し、大ベテランのマルコ・バロッタに正GKの座を奪われた[2]

翌2008-09シーズンは、背番号を1番から自身の生年である86番に変更。シーズン後半にフアン・パブロ・カリーソに代わる守護神に昇格した。つづく2009-10シーズンと2010-11シーズンは年間を通じてゴールを守り、2009年にはコッパ・イタリア獲得に貢献。しかし、契約延長をめぐりクラブとの関係がこじれたため、2011年夏に移籍を決断した[3]

ガラタサライ

2011年7月19日、トルコガラタサライSKへ5年契約・移籍金675万ユーロで移籍[4]。期待通り1年目から正GKを務め、2011-12シーズン最終戦のマニサスポル戦ではサポーターの後押しを受けて試合終了間際にPKキッカーを務め、見事プロ初ゴールを挙げた。

2012年11月24日のエラズースポル戦では1点リードの後半44分にペナルティエリア内で相手選手を倒し退場。ガラタサライはすでに交代枠を使い切っていたため、ムスレラに代わって急遽キーパーを任されたMFのフェリペ・メロがPKを止め試合に勝利するという珍しい出来事があった[5]

2024年5月18日、スュペル・リグ第36節において、ガラタサライはカイセリスポルに3-0で勝利し、3季連続25回目のリーグ優勝を決めた。この試合で、今季限りでの退団が報じられていた38歳のムスレラが後半44分にPKを決め、自身のゴールで優勝を祝うという異例の場面があった。シュートは右足でゴール右に放たれ、相手GKにコースを読まれながらも脇の下を抜けてネットを揺らした。ムスレラの得点は、チームメートが功労者に花を持たせた形だった[6]

エストゥディアンテス

2025年6月24日、アルゼンチンのエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタに2026年末までの契約で加入した[7]

代表経歴

2009年10月10日、エクアドル代表とのアウェーゲームでウルグアイ代表デビュー。同年11月のW杯南アフリカ大会大陸間プレーオフではコスタリカ代表相手に好セーブを連発し、2試合で1失点に抑え、本大会出場を決めた。

2010 FIFAワールドカップ本大会ではグループステージ3試合すべてで無失点。PK戦へともつれたガーナ代表との準々決勝では2本をスーパーセーブし、ベスト4進出に貢献した[8]

コパ・アメリカ2011でも正ゴールキーパーを務め、準々決勝のアルゼンチン代表戦ではPK戦でカルロス・テベスのシュートを阻止する活躍を見せるなど[9]、ウルグアイの6大会ぶりの優勝に貢献した。

2022 FIFAワールドカップ・南米予選では18試合中10試合に出場したが、判断ミスによる失点に故障も重なり、ディエゴ・アロンソ監督就任以降は、セルヒオ・ロシェにポジションを譲った。

2022年11月10日、カタールW杯に向けたメンバーの1人に選ばれた[10]ものの、ロシェからポジションを奪い返すことができず、グループリーグ最終節のガーナ戦では、PKを与えられなかったことにより得失点差で決勝トーナメントに進出出来なかったことに腹を立て、試合後にも両チームの選手たちが揉める事件を起こし、チームはグループステージ敗退となった。

2023年1月27日、FIFAはこの事件の主犯とされるムスレラ、ホセ・ヒメネスに対し、4試合の出場停止処分と、奉仕活動、2万スイスフラン(約280万円)の罰金が課されることとなった[11]

カタールW杯での不適切行為をして以降、代表から遠ざかっていたが、2026年3月23日、北中米W杯前最後のインターナショナルマッチウィークとなる、ヨーロッパ遠征のメンバーに選出され、約3年3か月ぶりの代表復帰を果たした[12]。同月27日のイングランド戦でスタメン出場を果たし、約3年ぶりにキャップを記録した。

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 134試合 0得点(2009年 -)[13]
ウルグアイ代表国際Aマッチ
出場得点
200940
2010120
2011150
2012100
2013140
2014110
2015110
2016110
201760
2018110
2019110
202000
2021150
202220
202610
通算1340

タイトル

脚注

外部リンク

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