ホラアナライオン
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ホラアナライオン(Panthera spelaea または Panthera leo spelaea)は中期更新世(チバニアン)から後期更新世にかけてユーラシア大陸を中心に生息していたネコ科の化石種であり[2]、現生種であるライオン(Panthera leo)の亜種であり異なる進化史を持つが[3][4]、両種間には遺伝子流動が存在する[5]。後期更新世末期の「第四紀の大量絶滅」を機に絶滅した。
| ホラアナライオン Panthera spelaea | |||||||||||||||||||||||||||
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生息年代: | |||||||||||||||||||||||||||
ウィーン自然史博物館所蔵の骨格標本
ポーランドに生息していた個体の復元想像図 | |||||||||||||||||||||||||||
| 分類 | |||||||||||||||||||||||||||
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| 学名 | |||||||||||||||||||||||||||
| Panthera spelaea Goldfuss, 1810[1] | |||||||||||||||||||||||||||
| 和名 | |||||||||||||||||||||||||||
| ホラアナライオン ドウクツライオン ケーブライオン ステップライオン | |||||||||||||||||||||||||||
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呼称

ドウクツライオン[6]、ケーブライオン[1]、ステップライオン、パンテラ・スペラエア[1]とも呼ばれる。
学名の「スペラエア(spelaea)」はラテン語で洞窟を意味しており、種の呼称の由来にもなっている。その名の通り洞窟から多くの化石や本種を対象とした洞窟壁画などが発見されており、同時期の捕食者であったホラアナヒョウ、ホラアナハイエナ、ホラアナグマも同様の命名を経ている。洞窟はこららの生物や人類の住居として機能していただけでなく、洞窟内は風雨から守られることによって化石や壁画などの資料が保存されやすい環境になっている[1][6]。
「ステップ」はマンモス動物群に代表されるマンモス・ステップなどの当時の草原(ステップ)に見られた動物相の種名に用いられることが散見される表現であり、現生種も含めてステップバイソン、ステップマンモス、ステップサイ、ステップヒグマ、ステップヤマネコなどにも使用されている。
分類

「a」はウクライナに生息していた最後のホラアナライオンの個体群。
「d」は「P. s. vereshchagini(東シベリアホラアナライオン / ベーリングホラアナライオン)」。
約75万年前にホラアナライオン、アメリカライオン、現生のライオンの各系譜に分離したと推測されており、後期更新世のホラアナライオンと現生のライオンの進化史も大きく異なる[7]。しかし、氷期と間氷期に伴う氷床の分布の変動が両種の生息にも影響を与えており、中央アジアと南アジアを中心にホラアナライオンと現在のインドライオンの祖先や現在では絶滅した西南アジアの個体群を含むユーラシア大陸のライオンの間に遺伝子流動と雑種の発生があったことが確認されている[5]。
ヨーロッパホラアナライオン(モースバッハライオン)から派生したと考えられている「P. s. vereshchagini(東シベリアホラアナライオン / ベーリングホラアナライオン)」はベーリング地峡を経て北米大陸に到達し、ユーラシア大陸側ではロシアのサハ共和国、北米大陸側ではアメリカ合衆国のアラスカ州、カナダのユーコン準州に分布していた[7]。
この「P. s. vereshchagini」は頭骨の大きさと体に対する比率が他のホラアナライオンの系譜よりも小さく、遺伝的にもユーラシア大陸や北米大陸の他の系譜とも多少の違いが確認されている。この「P. s. vereshchagini」がホラアナライオンの最終形態であっただろうことと、その子孫としてアメリカライオンが派生し、さらに後述のパタゴニアパンサーがホラアナライオンやアメリカライオンに関連して南米大陸に到達した可能性も示唆されている[7][8][9]。
関連種
分布

東アジア・東南アジアの分布はトラを指している。

ヨーロッパホラアナライオン(モースバッハライオン)、「P. s. vereshchagini(東シベリアホラアナライオン / ベーリングホラアナライオン)」、アメリカライオンも含めれば北半球に広く拡散していた。ベーリング地峡を突破して北太平洋の両岸に到達しており、西側はイベリア半島(スペイン)[6]から東側は北米大陸にかけて分布していた。対照的に、南半球における生息状況には後述の「パタゴニアパンサー」の不確定的な事例を除き確認されておらず[8][9]、現生のライオンの系譜とは異なってアフリカ大陸には分布していなかった。
北米大陸では、ホラアナライオンまたは「P. s. vereshchagini(東シベリアホラアナライオン / ベーリングホラアナライオン)」がアラスカ州やカナダのユーコン準州から発見されており、子孫種であるアメリカライオンはより南方に分布していた[3]。この地理的な隔離は、当時の氷河によってこれらの地域が閉ざされていたことに関係していると思われる[1][7]。
また、以前は特異なジャガーの大型種と考えられていた「パタゴニアパンサー(Panthera onca mesembrina)」が、実際には本種やアメリカライオンに近縁であった可能性も浮上している。このため、仮にパタゴニアパンサーが将来的にホラアナライオンの系譜に再分類されるならば、この系統は南米大陸および同大陸の最南端に近いアルゼンチンのティエラ・デル・フエゴ州にも到達していたことになる[8][9]。
ホラアナライオンの系譜が絶滅した後にアフリカ大陸から現生のライオンの系譜がユーラシア大陸に拡散し、ヨーロッパライオンやインドライオンなどの各個体群(または各亜種)が形成されたという説がある一方で[1]、中央アジアと南アジアの一帯からはライオン(インドライオンの祖先や現在では絶滅した西南アジアの個体群など)がホラアナライオンと接触して交配していたため、少なくともこれらの地域には雑種が存在していたことになる[5]。
日本列島
ライオン自体は約百万年前にアフリカ大陸を出てユーラシア大陸に拡散しており、東アジアでは、極東ロシア、中国北東部、朝鮮半島北部、日本列島に分布していた[11]。日本列島には氷期に伴って列島の北部と大陸との間に陸橋が形成されていた約7万3千~3万8千年前ごろに渡来したとみられる。ユーラシア大陸の北側にはかつてホラアナライオン、南側にトラが分布し、その間に両者がせめぎ合う移行地帯があったとされ、日本列島はこれらの移行地帯の東端に該当していた可能性がある[12]。
最終氷期にかけてケナガマンモス、バイソン、おそらくオーロックス、ヘラジカ、トナカイ、オオヤマネコなどと同時期に列島に渡来したと推測されている。これらの中で、ホラアナライオンとオオヤマネコは列島の南西部にも到達しており、針葉樹林、温帯針葉樹林(英語版)、温帯広葉混交樹林、草原といった拡散経路を利用して西日本まで分布を拡大させた可能性がある[11]。
国内のヨウシトラの化石は山口県から産出して1963年に鹿間時夫と岡藤五郎によって報告されており、日本列島だけでなく中国大陸にも分布していたということになる。また、鹿間と岡藤はこれ以前の1958年にも山口県で「トラ」の化石を報告していたが、これらの中には現生種と同じライオン(P. leo)の可能性がある標本も含まれている[13]。
2026年に発表された研究結果によれば、ミトコンドリア、細胞核のDNAが回収できた青森県、静岡県、山口県からの計5個の標本についていずれもホラアナライオンと特定され[12]、ホラアナライオンが後期更新世の日本列島にも広く分布していたことが判明し、対照的に同時期のトラの証拠が限定的または不在しているというこれまでの見解とは異なる説が浮上した。この見識により、以前は日本列島はトラの進化において重要な役割を担ったと考えられていたが、実際にはホラアナライオンの生息に重要な地域であったことが判明した。また、日本列島に生息していた系譜が大陸側で絶滅してから2万年以上(該当する系譜の種類によっては1万年以上)も後まで生存していた可能性が示唆されており、ステゴドンやナウマンゾウ[14]、ニホンオオカミなどの事例と同様に、同列島が生物種の特定の古代の系譜のサンクチュアリーとして機能して、これらの残存個体群の局所的で特異な適応を促進させていたことも考えられる[11]。
同列島ではホラアナライオンは後期更新世末期まで生存していた。人類が約4万 - 3万5000年前頃に日本列島に到達しており、列島内のライオンは旧石器時代の末期または縄文時代の草創期に地域絶滅を迎えたと推測される。2026年の時点で判明している国内で最も新しいホラアナライオンの化石の年代は、約17,800 - 約21,600年前に該当している[11][12]。
なお、この知見を経て、中期 - 後期更新世の日本列島のネコ科動物の多様性には確証的でない種類(現生種のライオン・トラ)も含めるとホラアナライオン、ライオン、トラ、ヒョウ、オオヤマネコ、ベンガルヤマネコの系譜が含まれることになり[13][11]、これらの中で現代においても自然生息しているのはベンガルヤマネコの系統(ツシマヤマネコとイリオモテヤマネコ)である。
特徴
形態

推定される大きさは頭胴長2.1 - 2.3メートル[1]、肩高1.2メートル、体重160-350キログラムと現生のライオンよりも1割ほど大型であるが[1]、北米大陸の子孫種であるアメリカライオンよりは小型であった[2]。また、体毛は全体的に現生のライオンよりも淡い色合いをしていた可能性がある[5]。
個体や地域や時代によって標本の大きさにも差が見られた。中期更新世(チバニアン)などのより初期のヨーロッパホラアナライオン(モースバッハライオン)の系譜には頭胴長が2.5 - 2.9メートル、肩高が1.4 - 1.5メートル、体重が400 - 500キログラムに達したと推定される非常に大型の個体も記録されており、アメリカライオンやケニアから発見されている「ナトドメリライオン(Natodomeri lion)」、インドネシアのスンダランド地方に分布していたトラの最大種のンガンドントラなどと同様に地球史上最大級のネコ科であった[15][16][17]。
最終氷期以降は継続的に小型化していき、後期更新世のホラアナライオンは頭胴長が2.1メートル、肩高1.2メートル程度であり、ウクライナにいた絶滅する直前の最後の個体群は頭胴長が1.2 - 1.3メートル、肩高は70 - 75センチメートル、体重は70 - 90キログラムにまで低下していた[2][18][19]。
たてがみの有無と社会構成

ホラアナライオンも、大規模な群れ(プライド)を形成していなかった可能性があり、雄同士の抗争がより少なかったために発達したたてがみを持つ必要がなかった可能性が示唆されている[1]。
クロマニヨン人によって描かれたラスコー洞窟の洞窟壁画などの資料から、(睾丸が描かれた個体にも目立ったたてがみが描かれていないことから)たてがみや尾の先の房は現生のライオンよりも薄かった、または無かったであろうと考えられている[1][6]。
しかし、近縁であるヨーロッパホラアナライオン(モースバッハライオン)はたてがみを有する。単独性の強いトラよりも社会構成をより発達させたライオンの方が脳が大きくなる傾向にあるが、同様に比較的に大きな脳を持つホラアナライオンの系譜は現生のライオンとは異なって大規模な群れ(プライド)を形成しておらず、より小さな群れや、雌雄のペアや家族で行動していた可能性がある。現生のライオンにおいては、雄同士の激しい競争や殺し合いが見られる地域ではたてがみの発達が普遍的に見られるが、その必要性が少なく小さな群れが形成されがちな地域では現在でも目立ったたてがみを持たない雄が存在する[1]。
また、子孫種であるアメリカライオンも、ラ・ブレア・タールピットから発見された歯の雌雄の比率が同じであり、現生のライオンのプライド(群れ)の比率と異なっていことからホラアナライオンと同様の社会を作っていたことが示唆される[1]。
これらの判断材料からも、ホラアナライオンの社会構成も発達したたてがみを持つ地域のライオンよりも小規模であり、そのために分厚いたてがみを必要としていなかった可能性がある[1]。
しかし一方で、少なくとも中央アジアと西南アジアにおいては、発達したたてがみを持つ現生ライオンの系譜との間に遺伝子流動が起こっていた[5]。このような雑種および雑種の子孫におけるたてがみの有無や、雑種が発生した状況での両種の関係(両種が混合したプライドが形成されていた可能性の有無)は明らかになっていない。
生態
乾燥した比較的寒冷な環境を好んでいたと思わしく、洞窟およびマンモス・ステップなどの広い草原を棲み処にして当時のメガファウナなどの動物相(マンモス動物群)を捕食対象としていた[20]。クロマニヨン人によって描かれた洞窟壁画から推測すると、現生のライオンと同様に群れを形成していただけでなく[2]、現生のライオンの種と異なり大きな群れではなくより小規模な群れまたは単独で生活していた場合が見られただろうことや、ウマ類を主な獲物にしていたことが示唆されている[2][21]。
「P. s. vereshchagini(東シベリアホラアナライオン / ベーリングホラアナライオン)」の化石はマンモス、バイソン、ウマ、ロバ、ニホンジカの大陸種、アカシカ、サイガ、クマ、オオカミなどの化石群と共に発見されており、ウマ、トナカイ、ジャコウウシ、ステップバイソンなどのメガファウナを獲物としていたと考えられている[7]。ホラアナライオンも含めてライオンは競合相手であった剣歯虎(サーベルタイガー)とは異なって長い剣歯を持たず、ホラアナライオンの生態が現生種の生態に類似していたのならば、獲物の皮膚を歯で貫通するのではなく、獲物を引きずり倒して窒息させることを主な狩りの手段としていたと思われる。アラスカ州から発見されたバイソンの化石には鼻先にライオンの犬歯による傷跡が遺されていることもこの説を支持している[1]。
2015年[6]と2017年に、ロシア連邦のシベリアの永久凍土で、冷凍状態のホラアナライオンの子供が合計3頭発見された[20][22]。先史時代のネコ科動物が、このような良好な状態で発見されたことは例になく、ホラアナライオンおよびその他ネコ科動物に係る今後の研究の発展が期待されている。また、2018年にも北極圏のシベリアの河川の付近でホラアナライオンの子供が発見されている[23]。
- 生体の復元想像図。
- 発達したたてがみを持つと仮定した場合の復元想像図。
- ステップヒグマを襲撃するホラアナライオン(ステップライオン)の想像図。
人間との関係


ホラアナライオンの系譜は後期更新世に発生した「第四紀の大量絶滅」を最後にすべて絶滅している。この大量絶滅の主な原因として、当時の気候変動による植生の変動、拡散してきた人類、またはこれらの複数の要因が複合的に作用した可能性が指摘されている[1]。
氷河期の緩和に伴ってマンモス・ステップの消失と森林の拡大が起こったことがホラアナライオンの減少を引き起こしたという推測がある一方で、(ライオンの生息に適していた)草原が豊富に残っていた中央アジアでもホラアナライオンは絶滅しており、人為的な影響によってホラアナライオンの減少が引き起こされたことも考えられる[1]。日本列島においても、ホラアナライオンを含むメガファウナなどの絶滅を引き起こした主要な要因は厳密に特定されていないが、他の地域と同様に人為的な影響、気候変動による影響、またはこれらが複合的に関係した可能性が示唆されている[11]。
人類の分布の拡大は当時の各地の生態系に多大な影響を及ぼした可能性が大きく、ホラアナライオンの系譜も含めた頂点捕食者も、獲物となるメガファウナが人為的な原因で減少・絶滅したことに起因する共絶滅を辿ったり、またはこれらの捕食者自身も人類の狩猟対象となっていた可能性も存在する。実際に、ラスコー洞窟の洞窟壁画にはライオンを狩る場面も描かれており、ホラアナライオンの頭蓋骨が呪術用の儀式に用いられていたと思わしい痕跡も発見されている[24]。
ヨーロッパホラアナライオン(モースバッハライオン)と人類の関わりを示す唯一の痕跡はスペイン・アタプエルカにある世界文化遺産「アタプエルカの考古遺跡(英語版)」から報告されており、食用に解体されたと考えられる個体の化石が出土している[25]。アメリカライオンや他の北米大陸の頂点捕食者も、人類の影響で同大陸のメガファウナの多様性が大幅に低下し、残された獲物となるメガファウナの大部分が草原に多く見られるバイソンとなったことで、身を隠す場所の少ない草原に進出する必要性が増加したことと、頂点捕食者自体も人類からの狩猟の標的にされたことが絶滅に拍車をかけた可能性がある[1]。
ホラアナライオンと人類の接触を示唆させる考古学的な資料は多数残されており、当時の人類にとってライオンが印象的な動物であったことが示唆される。数々の洞窟壁画、象牙彫刻、粘土製の像などにその姿が表現されており、通称「ライオンマン」と呼ばれるドイツ・シュヴァーベンジュラ山脈から発見された象牙製の彫刻は本種を題材とする著名な作品の一つである[1][2]。
ホラアナライオンが絶滅した後にアフリカ大陸のライオンがユーラシア大陸に進出してヨーロッパライオンやインドライオンなどの個体群(亜種)が各地に形成されたが、これらのライオンも人類の影響に直面し、ヨーロッパや中東(メソポタミア)など各地で地域絶滅を迎えた[1]。
なお、再野生化運動の一環である「更新世再野生化」の議論においてもライオンが議題に挙げられることもあり、ホラアナライオンやアメリカライオンの代用として現生のライオンを(ホラアナライオンの系譜のかつての生息地に)野生導入する案が提言される場合もある。主な目的としては、絶滅した動物種が生態系に提供していたニッチや生態系サービスを人為的に復元させること、および現生種(ライオン)に新たな分布を提供することで原産地域(アフリカ大陸)における絶滅などのリスクを分散させることが存在する[26][27][28]。
関連画像
参考文献
- 北村雄一『謎の絶滅動物たち』佐藤靖、慶昌堂印刷、歩プロセス、小泉製本、大和書房、2014年5月25日。ISBN 978-4479392583。