三河大塚駅
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当駅は蒲郡市の東の玄関であり、観光リゾートラグーナテンボスの最寄り駅である。ラグーナテンボス利用客輸送のため、土休日の午前に上り新快速豊橋行3本が停車する。
当駅は海水浴客のための夏季営業の仮停車場として開業したが、地元からの請願により通年停車の常設駅に格上げされた。東海道本線としては東田子の浦駅開業以来10年ぶりの常設駅となる。また、東海道本線の常設駅をひとつの市で3つ持つのは、当時は名古屋市[注釈 1]と蒲郡市の2市のみだった[3]。
1988年に旧駅舎が老朽化のため改築が行われた。2004年(平成16年)にはホームと列車の段差を解消する嵩上げ工事が行われた。2005年(平成17年)7月20日、駅舎新築および地下通路の大幅な改装が完了。2005年(平成17年)8月29日、駅前のバス停およびロータリーの改装が終了し、駅前広場にケヤキの木が植樹された。ロータリー中央には開駅30周年記念碑が設置されている。
かつては海水浴客のための臨時改札口が存在したが、廃止された。上りホームには、蒲郡東高校の生徒専用の簡易な改札口(出口専用)があったが、現在は廃止された。駅舎建て替え・駅前ロータリー整備に伴い、これまで改札内にあったトイレは改札外に新築され、蒲郡市の管理下に置かれている。桜の木がホームおよび駅周辺にあったが、ホーム嵩上げ・駅舎新築・駅前ロータリー改良により伐採され、一部を残すのみになった。
ラグーナテンボス内各種イベントの利用客増加に伴い、2019年(令和元年)8月に臨時改札を新設。混雑時は通常の自動改札2通路に加え臨時改札1通路が開設される。
歴史
- 1952年(昭和22年)4月:東海道本線愛知御津 - 三河三谷間への駅設置請願書を大塚村長が国鉄総裁へ提出。
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)6月21日:初代駅舎の完成。
- 1960年(昭和35年)3月1日:常設駅に昇格[5]。旅客営業のみ[4]。
- 1965年(昭和40年)11月25日:2代目駅舎、地下道、ホーム延長完成[6]。
- 1972年(昭和47年)7月1日:業務委託駅となり、駅業務を日本交通観光社へ委託。三河三谷駅が管理駅となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる[4]。
- 1988年(昭和63年)4月1日:駅業務の委託先を東海交通事業に変更。
- 2002年(平成14年)4月:駅前広場暫定整備完了。
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)2月:プラットホームの嵩上げ完了。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)11月25日:TOICA導入。
- 2008年(平成20年)3月末:ホーム上屋を1両分から3両分へ延長。
- 2017年(平成29年)
- 9月30日:JR全線きっぷうりばの営業を終了[8]。
- 10月1日:集中旅客サービスシステム(現・お客様サポートサービス)の使用開始に伴い終日無人化[8][2]。
- 2019年(令和元年)
- 8月19日:臨時改札新設工事開始。
- 9月7日:TREASURE05Xラグーナビーチ公演に伴い、供用開始。
- 2代目駅舎(2003年8月)
駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅[1]。駅舎は地上にあるが、北側(山側)に向かって標高が高くなっているため線路は高い位置を通っている。南側(海側)に駅本屋があり、上り線と下り線のホームは地下通路でつながっている。当駅の名古屋方で東海道新幹線をオーバークロスしている。
ラグーナテンボス大規模イベント時のみ駅員が派遣される。
土休日限定で上り豊橋・浜松方面の3本のみであるが、新快速が停車する[9]。
駅舎内には自動券売機(TOICA対応)が1台、簡易型自動改札機(TOICA対応)が2台設置されている。改札外に多機能トイレがある。また、ラグーナテンボス内大規模イベント時の混雑緩和のため臨時改札口が設けられている。
のりば
| 番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
|---|---|---|---|
| 1 | CA 東海道本線 | 下り | 岡崎・名古屋方面[注釈 2] |
| 2 | 上り | 豊橋・浜松方面[注釈 2] |
- 改札口(2022年10月)
- ホーム(2022年10月)
- 駅名標(2024年4月)
利用状況
「蒲郡の統計」によれば、近年の1日平均乗車人員は以下の通り。
| 年度 | 1日平均 乗車人員 |
|---|---|
| 2004年(平成16年) | [統計 1]1,383 |
| 2005年(平成17年) | [統計 1]1,374 |
| 2006年(平成18年) | [統計 1]1,309 |
| 2007年(平成19年) | [統計 1]1,294 |
| 2008年(平成20年) | [統計 1]1,283 |
| 2009年(平成21年) | [統計 1]1,270 |
| 2010年(平成22年) | [統計 2]1,255 |
| 2011年(平成23年) | [統計 3]1,264 |
| 2012年(平成24年) | [統計 4]1,255 |
| 2013年(平成25年) | [統計 5]1,273 |
| 2014年(平成26年) | [統計 6]1,203 |
| 2015年(平成27年) | [統計 7]1,214 |
| 2016年(平成28年) | [統計 8]1,242 |
| 2017年(平成29年) | [統計 9]1,266 |
| 2018年(平成30年) | [統計 10]1,346 |
| 2019年(令和元年) | [統計 11]1,357 |
| 2020年(令和2年) | [統計 12]984 |
| 2021年(令和3年) | [統計 13]985 |
| 2022年(令和4年) | [統計 14]1,059 |
| 2023年(令和5年) | [統計 15]1,127 |
| 2024年(令和6年) | [統計 16]1,144 |
