上野精一
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1882年、朝日新聞社社主・上野理一の長男として大阪市東区平野町に生まれる。北野中学校、第三高等学校を経て、東京帝国大学法科大学卒。大学院在籍のまま日本勧業銀行に入行するが、1910年に朝日新聞社に入社。営業部長、副社長を歴任。妻は九鬼隆義の娘の梅子(琴の奏者として知られる。戒名は慈徳院殿仁讓琴室梅箏大姉)
村山龍平社長のもとに専務取締役、取締役会長を経て1933年に社長就任。廃止されていた主筆制を復活させる。1946年、全国中等学校野球連盟(現日本高等学校野球連盟(高野連))設立、初代会長に就任。全国高等学校野球選手権大会を朝日新聞社主催とする。翌1947年、公職追放を受ける[1](1951年追放解除[2])。1970年、87歳で死去。墓所は、法然院 にあり戒名は髙徳院殿禪機靈通精一大居士。
