下田光平

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愛称 シモ[1][2]
カタカナ シモダ コウヘイ
ラテン文字 SHIMODA Kohei
国籍 日本の旗 日本
下田 光平
2012年のサイン
名前
愛称 シモ[1][2]
カタカナ シモダ コウヘイ
ラテン文字 SHIMODA Kohei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-04-08) 1989年4月8日(36歳)
出身地 秋田県秋田市仁井田
身長 180cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MF (DH) / DF
利き足 右足[1]
ユース
1998-2001 日本の旗 仁井田レッドスターズ
2002-2004 日本の旗 FCあきた
2005-2007 日本の旗 秋田商業高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2012 日本の旗 FC東京 3 (0)
2009-2010 日本の旗 水戸ホーリーホック (loan) 31 (0)
2012 日本の旗 FC町田ゼルビア (loan) 16 (1)
2013-2014 日本の旗 V・ファーレン長崎 28 (1)
2015-2017 日本の旗 ブラウブリッツ秋田 56 (1)
通算 134 (3)
代表歴
2005-2006  日本U-16/17
2007-2009  日本U-18/19/20
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

下田 光平(しもだ こうへい、1989年4月8日 - )は、秋田県秋田市仁井田出身の元サッカー選手。ポジションは主にミッドフィールダー(MF)。

小学校3年生時に[3] 地元・秋田のスポーツ少年団でサッカーを始め、中学生時に所属したFCあきたでボランチに転向[3]。3年生時に高円宮杯全国大会に出場。秋田商高在学時には、恵まれた体格に身体能力と当たりの強さを備え、ダイナミックなプレーぶりから[3][4]みちのく稲本」と呼ばれていた[5]

2008年名古屋などとの争奪を経て[4]FC東京へ入団[6]。入団会見では「目標とする選手は今野泰幸」とコメント[7]。同年の公式戦出場機会は掴めなかったが、サテライトや練習試合ではチームのレギュラー選手相手に、守備から攻撃の第一歩となるプレーが通用する所を見せた。[要出典]また、U-19日本代表メンバーに定着し同年開催のAFC U-19選手権に出場[8]U-19サウジアラビア戦ではMF香川真司とのドイスボランチを構成した[9]

2009年1月には各クラブで出番に恵まれない選手で構成されたU-20日本代表に選出され、カタール国際ユーストーナメントに出場。同年5月末、下田を「守備の強い、90分走ることができるタフな選手」と評価していた木山隆之[10] が指揮を執るJ2水戸ホーリーホックへの期限付き移籍が発表されると[11][12]、そのわずか3日後の同月30日に行なわれたJ2第18節・対仙台戦で早速先発で起用され公式戦デビューを果たす。守備のユーティリティープレイヤーとして重宝がられていた[要出典]が、同年9月のJ2第38節横浜FC戦で左膝前十字靱帯を損傷。全治半年以上の診断を受け戦線を離脱[13]

2010年も移籍期間を延長し[14][15]、同年5月のJ2第13節熊本戦で復帰。ボールホルダーへの厳しいチェックを見せた[16]。当時の水戸はドイスボランチの両方に攻撃的な選手[注 1]を起用しており、下田に多くの出場機会が与えられることはなかったが、シーズン終盤のJ2第34節札幌戦からはレギュラーに固定。チームメートのDF大和田真史から「人に強いし、ボールを取るのもうまい」と評された[2] 守備力を発揮し、木山からも「いい位置取りで(相手の)攻撃の芽を摘んで、攻撃の起点にもなっていた」[18] などと賛辞され、守備で貢献するボランチとして存在感を示した。

2011年は移籍期間を満了し[19] FC東京へ復帰。同年はMF高橋秀人アンカーのポジションで定着したため出場機会は限られたが、高橋が出場停止となったJ2第34節湘南戦でFC東京での初先発を果たし[20]、猛烈なプレスで相手のパスの出所を塞ぎ[21]、広範囲をカバーする守備意識の高さで穴を埋めた[22]

2012年3月にFC町田ゼルビアへ期限付き移籍[23][24]。登録後すぐに先発出場を続けるようになり、J2第9節甲府戦でプロ入り後初得点を挙げた[25]。しかし持ち前のボール奪取で激しいプレーを続けたことによる代償か[26]、町田でも負傷による長期離脱を余儀なくされた[27]。シーズン終盤に復帰するも[28]、移籍期間満了により同年限りで退団[29]

2013年からV・ファーレン長崎へ完全移籍[30][31]長崎では 対人の強さを買われ、ストッパーとして3バックの一角に配された。[要出典]同年4月のJ2第9節熊本戦ではプレーとは無関係に相手選手に対し頭突きをしたことが「乱暴な行為」に相当すると判定され、1試合の出場停止処分を科された[32]。2014年にかけて雑なプレーを減らし成長を見せたが[33] 同年限りで長崎との契約を満了[34]

2015年より地元のブラウブリッツ秋田に完全移籍[35]

2017年12月、現役引退が発表された[36]

2018年より東京フットボールクラブに入社し、古巣FC東京のスクールコーチに就任。

2020年より株式会社CrushOnに入社。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008FC東京35J100000000
20090000-00
水戸16J2170-00170
2010140-10150
2011FC東京3530-1040
2012J100--00
町田28J2161-10171
2013長崎130-00130
2014151-10161
2015秋田43J3340-20360
2016151-20171
201770-1080
通算日本J1 00000000
日本J2 782-40822
日本J3 561-50611
総通算 134300901433
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2012FC東京3500
通算AFC 00

その他公式戦

タイトル

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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